Ⅹ ダークエルフの葛藤
この状況を説明出来る者がいるならば是非とも出てきてもらいたい。蚊帳の外から二人のやり取りを見ながらイズルは心の中で愚痴を零した。
或いはこれは夢の中の出来事なのかもしれない――と思ったが、それにしてはあまりに現実味がある。状況を整理するに、バーチ爺さんと名乗るこの男は、得たいの知れない妖精のような存在であることは確かだ。逆にダークエルフの女――サリ・イシルウェンは、稀少な種族ではあるが、まだイズルの理解の範疇にある存在と言えよう。
尤も、バーチに対する殺意ある脅しを見るに、理性的な話が通じる相手なのかは疑問が残る。正直なところ、どっちを相手にするのも骨が折れそうだ。
「残念ながら、エルフ始祖の頃からの誓約でな。あの森の封印を解くわけにはいかんのよ」
バーチは白い髭を撫でながらダークエルフに、にべもなく答えた。サリは舌打ちすると共に静かな怒りを吐露する。
「始祖、誓約、掟――どいつもこいつも昔のことばかり、過去語りばかりね……。そんなことだから、何時まで経っても魔法頼り、結界頼りで、進歩もせず。ゆるりと滅びていく運命にあるというのに、思い込みに囚われて――あの子を傷つける」
サリの独白には悲痛さが滲んでいた。エルフの国がこの森に実在していたことに、イズルはまず驚いた。こんな時でなければ、ダークエルフに根掘り葉掘り聞いていたところだろうが、今はそれどころではない。
「えー……と、まるで話が読めないんだけど、ここから出る方法、そこのダークエルフの人は知っているのかな?」
サリは相変わらず、イズルなどいないかのように振る舞う。イズルはエルフを見た事は無かったが、エルフが基本的に他のどの種族とも慣れ合わないということは、知識として知っている。さっきの反応から察するに、イズルの事は本当に何も知らないのだろう。
そして、バーチの方は朗らかに笑みを浮かべた。
「うむ、この者も己の思考に雁字搦めにされ、森から抜け出せなくなった者ぞ」
「おい、黙れよ、クソ爺。私はあんたの知識を求めてここに来たんだ」
これでは堂々巡り。話が進展しそうにない。イズルは傍にあった根に腰を降ろした。そして彼はバーチの方ではなく、サリの方に話しかける。
「サリ……だっけ? もしもここを出る方法を知ってるなら教えて欲しい。もし教えてくれれば……、見返りってわけじゃないけど、君が抱えてる問題の手助けをするよ」
こんな約束を軽率に行っていいものか、イズルは自信が持てなかったが、彼の心に向けて何者かが囁いた。
今、こうして出会った事は偶然ではないぞ、と。
サリは尚も黙したまま俯いたが、ハッと何かに気が付いたようにその場に立って、焦燥の表情で辺りを見回す。イズルも異変に気が付いていた。
バーチがいなくなっている。
数秒、瞬きする間もなく、まるで最初からそこにはいなかったかのように消え去っていた。サリが毒づき、ナイフを地面に叩き付けた。
「私に期待するだけ無駄だよ、人間」
サリの瞳がぎろりとイズルを睨む。この様子では脱出は望み薄だろう。
「せめて、さっきの彼が何者で、ここが一体どこなのかくらい教えてくれないか?」
この問いも無視されるものと思ったが、ダークエルフは渋々ながらも口を開いた。
「さっきのあのクソ爺――バーチは、エルフの国の守護霊だ。ここがどこかって? 見ての通り、ベオーク高原のど真ん中だとも」
「俺が知ってるベオーク高原とは随分違うみたいなんだけど……」
皮肉っぽい口調に、イズルは冗談かと思ったが、サリが黙り込んだのを見て「いやまさか……」と呟く。
霧が掛かり、金色の粒子が漂ってはいるものの、周囲には白樺の木々が立っている。最初、イズルはあの老人が、未知の魔法で作り出した別世界の可能性を疑っていた。
だが、事はもっと単純なのかもしれない。イズルは周囲を改めて見回し、これがどんな魔法なのかを見極めようと試みる。
「幻術……? この霧は俺達の感覚を惑わし、外と遮断する結界みたいな物かな?」
「へぇ……優秀な人間だね。尤も、この森の幻術は、守護霊バーチが作り出した物で、この世の理から外れたものだ。どれ程歩こうともいつの間にか元の場所に戻ってしまうし、外の人間はどれ程近づこうとも、ここを見つけることは無いんだ」
つまり、バーチが解かない限りはここを出る事も叶わないということだろうかと、イズルは考える。が、それも正確には違うのだとサリは言う。
「クソ爺曰く、この森は私達の迷いや戸惑い、様々な心の壁が作り出した物なのだという。自身の心の中にある本当の望みが明らかになればここから出られるのだと――私は、私の望みが分かっていたつもりだったのだがな」
「サリの望みはエルフの国の結界を解く事――だったっけ? でもそれはできないってバーチは言っていたし……望みを明らかにしたのにサリは脱出できていない」
謎かけじみていて、実はバーチの望む通りのことをしなければいけないのではないだろうか、そんな疑念がイズルの中にはあった。
「聞いていいのか分からないけど……、エルフの国もここみたいに、バーチの幻術で守られているってことでいいのかな?」
「そうだよ、言っただろう。あいつはエルフの国の守護霊だ。ここのおふざけで作った結界とは比べ物にならない守りの幻術――霞の結界がエルフの国には張られている」
「そして、君はそれを解くのが願いである、と。なぜだい?」
何故同じエルフの民であるサリがそんなことを願うのか。イズルの脳内で嫌な推測が飛び交う。
――裏切りか、もしくは復讐の為か。
だが、さっきの彼女の独白をイズルは思い返し、憶測で判断するのを止める。
「俺は人間だ。エルフとの繋がりも無い」
「だからお前を信用して洗いざらい話せ――と?」
ここでイズルは自分の事に関して一体どこまで話したものかと慎重に考える。
「俺はアリエス王国の特使で、魔王軍を倒すのに協力してくれる国や人を探している。今は大事な仲間とはぐれてしまったところなんだ。もし、君が自分の事や自分の国のことで困っているならば、力を貸せることがあるかもしれない」
結果、話せる事はとりあえず話してしまっていた。突然の宣言にサリは困惑と疑念の目をイズルに向けたが、それも一瞬のことだった。
イズルは政治的な駆け引きを必要としない場においては、誠心誠意を常に見せる。それは元来の性格であり、他の誰かが彼を石頭と評するのはそこに由来もしていた。
イズルの知らぬことだが、エルフは種族を問わず、他人の感情に敏感であり、機微な変化も感じ取る。彼らが人と積極的に交わらないのは生まれついての育ち以外にもこうした性質も関係していた。
見方によっては頑迷とさえ映るイズルの誠意は、ダークエルフの心を開くきっかけとなった。
「……いいだろう話してやる。といっても大した話じゃない。我がエルフの国は魔法に偏重した国だというのは君は知っているか?」
「おとぎ話上の話でしか聞いた事がないけど、魔法が発達している国だというのは……」
サリは「……発展ね」と皮肉めいた笑みを浮かべた。
「私は元々、外の世界を『偵察』すべく、送り出された斥候だった。三百年、その役目を果たして来た」
最初は愚直にその使命を信じて外の世界を見て回ったそうだ。ダークエルフということでその珍しさから、人間に好奇の目で見られることも多かったという。元々エルフの国で他種族を見下すよう育てられていたこともあり、サリは彼らを軽蔑した。
「けどな、ある時からか。人間にはエルフと違う面、優れている面が幾つもあることに気づいた。彼らは私だけでなく、珍しい物にはなんでも反応し、理解しようとする」
自分への興味も、決して悪意ある目だけではないことに気が付いたのだという。そして、それに気づいた途端、サリの中であらゆるものへの見方が変わったという。
「人類は魔法に対して柔軟な考えを持ち、時として魔法を使うことに拘らない。それはエルフにはない考えだった。ま……、だからこそだろう。私がそんな考えに染まったことをエルフの国の重鎮は快く思わなかった」
人間の国の事を好意的に報告するサリをエルフの国の重鎮は危険視し、国外へ出る事を禁じるようになったという。
話をするうちに、二人はいつの間にか近くの切り株に腰を降ろしていた。
「暇になって適当にぶらついていた時のことだ。私は一人の子どもと出会った……エルフとしては子どもといって差し支えない年齢の子だよ」
エルフにとって何歳までが子どもなのかを知らないイズルは、
(少なくとも百歳くらいと思ってよさそうだな)
等と思った。が、サリはそんな彼の思いを感じ取ってか、否定する。
「いや、言い方が悪かったな。ここ数百年でエルフの国で新たなエルフが誕生することはなかった。彼女は新生のエルフなのだ」
「人間基準で見ても子ども……ということになるのかな?」
そのエルフの少女は魔法が使えなかったという。だが、少女は努力家であり、魔法も含めてありとあらゆるものに興味を持って知識を柔軟に取り込む事ができたという。
「彼女は特に身体能力に優れていた。私は――ほんの興味本位で、外界の武術を教えた。少し教えるだけで彼女はそこらへんの武道家を軽くしのぐ素質を見せた」
教えれば教える程吸収する少女に。サリはつい入れ込んでしまったという。
「彼女は純粋過ぎたのさ。自分が出来ることを周囲に話してしまった。技を教えた私は追放されてしまった。武術はエルフの国の……特に長く生きている者の間では忌み嫌われた技術だったからな」
「身を護る術が……かい? だったら、どうやってエルフは自分の身を護るんだい」
当然のように出たイズルの疑念に、サリは首を振る。
「エルフの老人共は千年単位で外には出たことがない。武術――鉄と暴力の技によってかつてエルフは住む場所を追われ、滅びに瀕したことがある。エルフはその時、原初の魔法でもって対抗した。その時の記憶が根強く残っているのさ」
武術は身を護るだけではない。相手を害する手段ともなりうる。エルフが魔法偏重の考えになった理由を知り、イズルは顔を曇らせた。
「だが、そんなことは数千年も前の話だ。魔法だって――外界の物を見下し、内に閉じこもるばかりで発展が無い。古代の魔法を延々と伝えていくだけになってしまっている。同じ技術を繰り返すばかりでは、エルフの国に未来はない。だから、私は無理やりにでも、あの国を外の世界と触れさせるべき、と強く望んだのだ――あのクソ爺には拒否されてしまったがな」
「そうか。それで――彼女はどうなったんだい?」
エルフの少女は魔法が使えない。忌み嫌われた武術を学んでしまった。その行く末に空恐ろしい物を感じる。
「分からない……だが、彼女が――エフィルミアがただで済まされるとは思わない。流石に殺されなどはしないだろうが、記憶を消されるような魔法を掛けられていてもおかしくはないだろう」
サリは自分を責めるように項垂れた。ふとイズルは思う。このダークエルフは最初に抱いた冷たい印象よりもずっと純粋だ。
「こんなことを言うと君はまた怒るかもしれないけど――、君に興味を持った人間がいるのも分かる気がする。君は人を見る目があるし、とても面倒見もいい」
「私は――自分の目的や好奇心であの娘に色々教えただけだ。その結果どうなるかを考えもせず」
取り返しのつかない事をした――と、サリは既に娘、エフィルミアのことを諦めてしまっている。彼女は思い詰めている。イズルは尋ねた。
「サリ、君の本当の願いとは、もう一度そのエフィルミアに会うことじゃないか? 会ってもう一度話がしたいんじゃないか?」
「会って何を話す? 彼女は私の事を忘れ今まで通り、魔法を使えない事を非難され続けるつまらぬ生活を続けているだろうよ」
サリが断言するのに対し、イズルは首を振る。
「会ってみなければ分からないだろう? もしも記憶を失っていたとしても、それは魔法によるものだ。その娘の心の底に付けられた君との思い出はそう簡単に消えはしない。俺は神聖術の使い手だ。助けになれるかもしれない」
サリは驚いた顔でイズルをまじまじと見た。何故、エルフの自分にそこまでするのかと本気で困惑しているように見えた。
「決められた――狭い世界の中で生きる。俺にも覚えがあるからさ。それに自分を変えるような人との出会いも」
ヘレンの顔を思い浮かべながらイズルは応える。ウォンゴール家唯一の男子の生まれとして、これまで貴族として生きるのだと言い聞かされてきた。だが、本当に自分が望む物とは何か。それを考えるようになった。
永遠の眠りの呪いを受け、それでも魔王討伐という苦難の道を歩むことを望むヘレンの姿を見て、本当に自分はこのまま敷かれた線路の上を歩むだけが望みなのかと。
「私はもう一度会ってもいいのだろうか」
「君が望むならそうしていいんだ。――自身の心の中にある本当の望みが明らかになればここから出られる――ここはそういう場所なんだろ?」
一筋の光が森の向こうから二人を照らした。サリの瞳から零れた涙が、朝の雫のように輝き、霧が晴れた。
朝の陽ざしが二人を迎え入れた。
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