Ⅷ 寝覚めが悪いことはしない
エリュトロン騎士団の残存兵力はエメリナ率いる魔道部隊と無事に合流することに成功する。日もすっかり暮れ始めており、気が気ではなかったのだろう、部隊長のエメリナが二人の姿を見てほっと胸をなでおろしていた。
「全く、心配かけやがってこの野郎」とエメリナに小突かれ、イズルは「すみません……」とされるがままにしていたのだが、その後ろにいる人物に思考が止まる。
「ソル殿下!?」
太陽のように赤い髪、穢れを寄せ付けない白い肌、眉目秀麗な容貌。気高く、だがどこか冷たさも感じさせるアリエス国の王子。その彼が何故こんな後方に配置された陣を訪れたのか。すっとエメリナは後ろに引き、イズルが反射的にその場に跪くと、隣にいたヘレンが「あー、そっか、この人偉い人……」と余計な事を言いながら同じように片膝を突いた。
ちらっと辺りを見るとソル王子配下の近衛騎士団もいる。その中にコレットの姿を見つけて、ヘレンが目を輝かせたが、イズルは目でヘレンを制した。昨晩みたいなゴタゴタを王子の前で晒すわけにはいかない。
「面を上げよ、イズル殿。此度の働きは、素晴らしいものだった」
「ありがたき幸せ――しかし、今日の戦いは私だけの働きではありません」
(わざわざ労いに来たのか?)
答えながらイズルは思考を巡らす。恐らくそれだけの為に来たのではないだろう。むしろイズルへの称賛等はついでに過ぎない。
「良い配下を持ったようだ。ヘレン・ワーグナーだったか?」
「いえ彼女は盟友であり……何故、名前を――?」
決して従属という関係性ではないとそこだけは訂正しておこうと思ったイズルだったが、ソル王子がヘレンの名を知っていることに驚いた。まさかあの騎士団長から話を聞いたのだろうか?
「そう驚くことでもあるまい。勇者ジェイソン一行の一人だ。その戦いぶりは辺境の村にまで言い伝えられている」
「イズルは最初気づかなかったけどねー……」と、ヘレンが小声で言うので、その頬がもげるまで抓ってやりたい衝動に駆られるが抑える。
「そして、エリュトロン伯爵……貴公には心底失望したぞ」
喉を絞められたような小さい悲鳴が後ろで上がる。振り向くと、エリュトロン伯爵が跪いている――否、頭を擦り付ける程に平伏していた。
「貴公は功を焦り、魔道部隊の攻撃を待たずに進軍し――挙句多くの兵をモンスター共の餌食にした。何か申し開きがあれば――申してみよ」
エリュトロン伯爵は頭を地面に擦り付けたままだ。話す事を許されていようと、一言も発せない。不用意に返せば命は無いだろう。ソル王子の言葉は重く、伯爵はまるで心臓を捕まれたかのように、動悸が激しくなる。
だが、ソル王子は叱責で済ます程、優しくはない。
「失態を正すのも、功労者の務めだ。そうは思わぬか、ヘレン・ワーグナー?」
唐突に話を振られてヘレンは「ほへ?」と、凡そ王族に返す返事とは思えない反応をした。あまり彼女に話を振らないで欲しい――と、イズルは内心で頭を抱える。ヘレンはというと、王子の言葉をよく理解していないように、ぼっとしている。
いや、これは――。
「私は無能な働き者が嫌いでね――、彼らは国を内側から腐らせ、衰退させ、そして滅ぼす。それはこれまでの人類の歴史の中で幾度もあった流れだ――伯爵、ここへ」
王子の言葉にエリュトロン伯爵は肩を震わせた。だが、腐っても彼は王国を支え領土を任された貴族。命に従って立ち上がり、王子の前まで出て、跪く。
「さて、ヘレン・ワーグナー……、君も王国の一員として戦う身だ、私の命であれば命を賭して遂行する――そうであろう?」
ヘレンは頷いた。
「では、命ずる。ヘレン・ワーグナー。栄えあるアリエス王国、騎士団を任された長でありながら、無様な敗北と不甲斐ない失態を演じたエリュトロン伯爵を斬首せよ」
ヘレンは黙っている。
「どうした、ヘレン・ワーグナー。我が命には従えないか?」
ヘレンは首を「うぅっ」と苦し気に横に振った。
「ならば、何故出来ない……申してみよ」
(違う、これ王子の言葉に反応してるわけじゃない)
イズルは今すぐこの場から消え去りたい衝動に駆られる。
最初の頷きは眠りかけて首が動いただけ。黙っていたのは躊躇ではなく、ほぼ完全に眠っていただけで……、首を振ったのは眠気を払おうとした為。奇跡的なタイミングで全て会話に噛み合ってるだけだ。
そして、今は口を開けて――、
「ぐぅむにゃっ!?」
寝息を立てようとしたヘレンの後頭部を、イズルが引っ張叩いて覚醒させる。
「お、王子の命に従えないとは、どういうつもりだーヘレンー!」
頭を押さえて涙目で睨んでくるヘレンにイズルは上擦った声で叫ぶ。その二人のやり取りに面喰らったのか、ソル王子が一瞬目を丸くさせている。
「お、王子の命……令?」
「そうだ、今すぐ斬首せよとのお達しだぞ!!」
ヘレンの呑み込みの鈍さに焦りながらイズルはエリュトロン伯爵の首を指さす。とうの伯爵は「もうどうとでもなれだ」と言いたげな胡乱な眼でヘレンを睨んでいる。
「え……嫌だけど」
突然真顔になって答えるヘレンに一同は固まった。
「……何故だ?」
ソル王子が淡白にその理由を聞く。ヘレンは叩かれた後頭部を撫でながら答える。
「私はー……別にそのおっさ――えりゅとろとろ……?様? 好きじゃないけど」
彼が失態を犯した貴族でなければ、不敬罪にでも問われそうな言い草だ。処刑を待つ身とは思えない程、エリュトロン伯爵は額に青筋を立てていた。
「……でも、ここで殺す為に助けたわけじゃないしー」
ヘレンの言葉は純粋だった。
「だから私は殺さない……誰か他の人が殺すのもやっぱり、気分良くないというか寝覚めが悪くなりそうだからやめてほしいかなー……」
そう言い残すとヘレンは頭を下げた。恐らくまた眠気が襲ってきたのだろう。そのふわふわな髪に顔が隠れてしまっている為、表情は伺い知れない。「ぐぅ」という寝息とも項垂れてるとも取れない声が聞こえるが、ソル王子には聞こえなかったようだ。
「そうか……では斬首は止めよう。代わりに領地を取り上げる」
エリュトロン伯爵はがばっと頭を上げ「いや、そ、それは」と青ざめている。命そのものは助かった。だが、領地を取り上げられてしまうということは貴族としては死んだも同然だろう。領地が無くなれば、爵位も取り上げられてしまうのだから。
「何か不服か?」
だが、ソル王子の言葉は有無を言わせなかった。後ろに控える近衛騎士団が圧を掛けるように一歩前に出る。ヘレンが慕うコレット・アストレアだけはその瞳に憂いが浮かんでいた。
この日、エリュトロン伯爵は失脚、元の領地に引き上げることとなった。彼の持つ兵力は残され、王子の近衛騎士団に吸収される事となる。
「ありゃぁ、最初から仕組まれてたな」
ソル王子がひとまずその場から去った後、エメリナがひょこっと現れた。
「うわっ」
何も無い所から現れたようにしか見えず、イズルとヘレンを驚かせる。
エメリナ率いる魔道部隊のいるこの場を野営地とすることになったらしい。魔道部隊は大地の魔法で土塁と石垣を築き、浮遊魔法で布と木材でテントを張る。召喚魔法を用いて岩石で出来たゴーレムを地上の、炎に燃え盛るフェニックスを空の見張りに立てる。
そこへソル王子率いる近衛騎士団を始め、数多くの騎士団が合流した。エリュトロン伯爵の失脚は早くも噂になり始めており、いずれはこの戦に参加した者全員が知ることになるだろう。規律を乱し、失態を演じた者がどうなるのか。
「どういうことです? エメリナさん」
「つれないなぁ……あたしのこともエメリナでいいよ。そこのヘレンみたいにー」
どうにもこの距離感は苦手だと、イズルは苦い顔をした。ヘレンとの、この距離感は特別な物で、誰に対しても行えるものではない。
「ま、いっかー……あれだよ、あの伯爵は見せしめにされたってことさ。多分だけど、最初から処刑するつもりなんて無かったんだろ」
アリエス王国は王を中心とし、多くの貴族が領地を収める国だ。王は全ての頂点に立つべき存在。だが、ここ何代かは、魔王との戦いによってその権威は衰えを見せていた。貴族は自分の領地の警護を目的に自前の兵力を増やし、その発言力を高めている。
そしてあろうことかその王座を狙う者すらいると――、眉唾物だがそんな噂もあった。
「思いあがった貴族の誰かが失態を演じるのを待っていたんだよ、あの王子はさ」とエメリナはさもそれが真実であるかのように吹聴する。実際、それを全くの嘘とも言い切れない。
「さすがに処刑なんてしたら、恐怖から暴発する奴も出るだろう。だが、領地の没収――命だけは助けてやるとなったらどうか? 程よい緊張感を生むんじゃーないのか? 没収した領地は、功績を上げた誰かの褒賞にも使えるしなぁ」
そんなに上手く事が運ぶだろうかとイズルは思った。怨恨が一切残らないやり方とは思えない。長年治めていた領地の取り上げ――自分だったらどう思うかと、考える。
(素直に従えないかもしれない)
「りょうちって、貴族サマにはそんなに大事な物なんだね……」と、ヘレンが何も考えて無さそうな顔で言う。イズルは苦い顔になり、エメリナは爆笑した。
「だーはっはっはは! そらそうさ、領地の無くなった貴族サマなんて貴族として死んだも同然だからな!」
「え、あのおっさん死ぬの……?」
整った顔の割に下品な笑いを上げるエメリナに対し、ヘレンはぽかんと、だが少し影のある顔で言った。
「あー、あー……死なんさー。領主じゃなくなるけど、財産くらいは残ってるだろうから、それでなんとか食いつないでくだろ……貴族として復権するのは多分無理だろうがなー」
エメリナが慌てて色々説明して、安心させようとする。それを聞いてヘレンは「なんだー」とだけ。ヘレンにとっては死にさえしなければその他の事はいいのだろうかと、イズルはふと思う。
「生きてさえすれば、なんとでもなるよ。私の故郷は酷い目にあったけど、生き残った人達はなんとかやっていけてるし」
そうか――とイズルは彼女の故郷のことを失念していたことを恥じた。彼女の故郷であるレムノスの森は、魔人によって人間の男の殆どを殺され、生き残った者の殆どは各地に移住を余儀なくされた。ヘレンはかろうじて生き残り、父を残して勇者一行に加わった。
「そうだな――……、生きてさえすれば、なんとでもなる」
そう言ってイズルは自然とヘレンの頭を撫でた。ヘレンは「へへー」っと嬉しそうに柔和な笑みを浮かべる。
そして、それを見たエメリナはガタっと立ち上がった。
「ふ、二人ってまさかそういう関係なのかー!?」
イズルはソル王子のような冷たい表情になった。命じる事が出来るならその口を縫い合わせるとでも言っていただろう。
――対してヘレンは……、
「そういうってどういうー……」
眠りこけていた。やはりというか何も分かってない寝言を呟きながら。
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