Ⅸ 悪夢は優しさの中に溶けて
流星の零れる夜、ふと人の気配を感じてヘレンはむくりと起き上がった。寝起きでぼやけた視界に見慣れた金髪を見つけて、ほんのわずかに口角が上がる。
「起こしてしまいましたか? 今日は樽の中じゃないんですね」
コレットは柔らかな笑みを浮かべて食事の乗ったおぼんを手に、ヘレンの傍に座った。ヘレンは首を横に振る。丁度腹の虫が飯をよこせとばかりに鳴っていた。
「食事ここに置いておきますね」
「んー……疲れて手が動かないー」とヘレンは毛布の中で体をもぞもぞさせ、ちらっと期待するようにコレットの方を見て、巣で餌を待つ雛鳥のように口を開けた。あまりの図々しさにコレットは呆れた。
「しょうがない人ですね……」
「あー……むぐっ!?」
開けた口に大きなパンを丸ごと突っ込まれてヘレンは口をもごもごさせる。
コレットはとてもとても優しい笑顔を浮かべたまま、パンをヘレンの口に押し付けている。
あ、これ顔では笑ってるけど、怒ってるんだなー……と人の機微に疎いヘレンでもなんとなく感じ取ることができた。ヘレンが毛布から手を出し、しっかりとパンを受け取ると、一転してコレットは元の優しい表情に戻った。
(なんかお母さんみたいだなー)とヘレンは懐かしい気持ちになる。
「ほら、ちゃんと起きて食べてくださいね?」
「もぐもぐ――ごくん、コレット思ってたより厳しかった……」
でっかいパンをあっという間に噛み砕いて羊乳で飲み干した。ここの人達はコレットの事を聖女だと持ち上げ、勝手な想像で、清廉かつ神々しさを彼女に見出している。だが、ヘレンの見立てでは彼女は貴族よりも平民に近い感覚の持ち主だ。
「私がいた村では自分の事は自分でやるように教わってましたから」
「へー……、コレットの村、一度行ってみたいなー」
何気なく発した言葉に、コレットの顔が曇る。ヘレンの食事の手が止まった。
「何か悪い事言っちゃった……かな?」
「あ! いえ、村の事を思い出してちょっと――ヘレンのせいじゃありませんよ! ホント! 気にしないで――ほら、あーん!」
なんとなく事情を察してしまい、顔が暗くなっていくヘレンにコレットは慌てふためき、パンを千切ってヘレンの口に運んであげる。それを無造作にぱくっと食べて、コレットの顔を見る。
「私の村、この森の近くにあったんですよ。こじんまりとしていましたが、のんびりとしていて……あ、これは聞いたら驚くかもしれないけど、あのソル王子も子どもの頃にお忍びで参られたんですよ」
「へぇ……あの怖い王子様にも子どものころってあったんだー……」
コレットがどこか陰のありながらも楽しそうに語るのを見て、ヘレンは静かに相槌を打った。昼間、処刑を命じられたことを思い出す。淡々、処刑する者に対する一切の情も無かった。だが……。
「――あの方にもちゃんと子どもだった頃があったんですよ。子どもの頃はお父様である国王、レイ陛下の教育が厳しかったそうで、哀れに思った使用人が息抜きに、と連れ出してあげていたそうです。私もよく一緒に遊んでました」
コレットの思い出の中にいるソルは、ヘレンが見たソルとはまた違うのだろう。人は変わりうる。なにかをきっかけにして。変化とは残酷なものだ。
「それが、月日が経つと王子は村に来れなくなりました。当然ですよね、将来国を担う方が、ふらふらと出歩くわけにはいかないのですから」
別にいいと思うけどなーと、ヘレンは能天気に思った。これは彼女が王家の生活に全く想像が付かないからというのもあるが。それと同時に彼女の中には疑問も浮かんでいた。
(国の中を見て回れない人が国の偉い人になるんだ)
けれど、それを口にすることはしなかった。
「王子が来なくなってから十年程でしょうか、魔王軍の一団が森から現れて村を襲いました……家を焼いて、人を――」
最後まで言いかけて止め、コレットは自身の手を見つめた。
「私の力が発現したのは、村が全滅してからでした。魔人を『星の力』で吹き飛ばし、焼き払って……それでも生き残れたのは私と数人の村人だけ」
コレットの辛い気持ちに共感してヘレンはその手にそっと自分の手を重ねた。ヘレンもまた魔王軍に故郷を焼かれた身だ。コレットの手は少し震えていた。
「この力は――なんで、村が焼かれる前に発現しなかったんでしょうね」
その問いに返答は無いだろう。少なくともヘレンは正しい答えを持たない。それでも。
「コレットの力は……沢山の人を助けてきたんでしょ? イズルからそう聞いた」
自分が思ったこと、正しいと思ったことを口にする。かつて一緒に旅をしてきた仲間の顔を浮かべながらヘレンは言う。
「私の知ってる中で一番強い人が言ってたよ。力そのものは重要じゃないって。どう使うかが大事なんだって」
英雄はその強大な力故に思い悩み、時として道を踏み外す。その力は修練で得たものもあれば、コレットのようにある日突然『星天』から授けられて覚醒する者もいる。特に後者は覚悟も決まらないまま突然得る物の大きさ故に、その苦悩も大きい。
コレットは思い悩みながらも、誰かの助けになる為に戦っている。ヘレンはその行動を、気持ちを――肯定する。
「コレットは優しいから……おかげで助かった人も沢山いるよ」
ヘレンは滅多に浮かべない笑みを浮かべて言った。だがコレットからの返事は無い。
食事を終えて食器を置くと、ヘレンはそのまま毛布にくるまった。コレットの表情はよく見えなかったが、涙が浮かんでいた気がする。あまり見られたくないだろうと目を瞑ると、背中に柔らかい手の感触があった。優しく摩られるままにヘレンは眠りについた。
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