ⅩⅥ 寝坊姫は、聖女の夢を見る
――イズルと近衛騎士団が合流するよりも前。
寝心地の良い毛皮に包まれてしまえば、抗うことは難しい。ヘレン・ワーグナーが自分から起きることはないだろう――
「起きなさい、ヘレン!」
寝室に入ってからいつ起きるかと、待っていたコレット・アストレアだったのだが、刻一時間も経つと、痺れを切らしてしまい、ヘレンを叩き起こした。
「お、おかぁさん」
ヘレンは未だ寝惚けている。
「あなたを生んだ覚えはありません!!」
すかさず、返してヘレンから毛布を剥ぎ取る。伝説級の寝具、『黄金の羊』の毛皮で作られた毛布で、一度その寝具で寝れば、誰も自分から起きることはできなくなる――という、ヘレンにだけは絶対に与えてはいけない代物である。騎士団長が気を利かせて与えたものなのだが、当の本人がその気づかいを知ることはない。
ヘレンは未だ眠気が抜けず、状況を確認する。
「ここはアストレア村――の領主の館です……、魔王軍の支配から我らが騎士団が解放して――」
「そっかー……あれ、なんで私寝てたんだっけ――いたっ……」
痛みが走り、腕を抑える。薄っすらと火傷の痕があり、ようやく何があったのかを思い出す。わけが分からないままに、近衛騎士団が突然、襲ってきたのだった。
白い肌に薄っすらと広がっている赤い傷に、コレットは顔を曇らせていた。ヘレンはそれに気が付いて、むんと腕を曲げた。じくじくとした痛みに顔が強張るものの大丈夫な振りをする。
「大したこと無いから、気にしなくて――」
「大した事? 一体どこまでお人好しなんですかっ、貴女は!!」
激高するコレットに、ヘレンはびくんっと体を震わせた。
「あなたは、裏切られたんですよ!? 味方である筈の近衛騎士団にっ!!」
優しい声――起こす時に少々乱暴になるが――しか知らなかったが、こんな大きな声で怒ることがあるのかと、ヘレンはぷるぷると震えて小さくなる。が、その顔をよくよく見ると、蒼い瞳に涙が浮かんでいた。
「なんで怒らないんですか……問い質さないんですか……私はあなたを裏切った騎士団に祀られている聖女なんですよ……?」
言葉が喉に詰まってるかのように、コレットは苦しそうだった。その手にそっと触れると、コレットは反射的に手を放した。嫌われたかなーと、ヘレンは少し寂しい気持ちになりながら――、
「その、コレットにやられたわけじゃないし……」
「私が同じ状況だったら同じ事をした――と言っても?」
その蒼い眼は冷たく、暗い影が落ちる。だが、ヘレンは一切動じなかった。彼女の涙を最初に見てしまった以上、どれ程冷酷な振りをされても、その本音が浮き彫りになる。
「そうだとしても、多分じじょーがあるんだと思う……コレットはマジメだから、全部話してくれるんじゃないのー……?」
しばらくコレットは無言だった。的外れな事を言ってしまったかなと、ヘレンは少し不安になった。戦いでは如実に表れるが、彼女の読みは、ほとんど直感から来るものだ。理路整然とした考え方は苦手で、それ故に日常生活ではよく相手の考えを読み間違える。だが、今回は間違ってなかったようだ。
ヘレンの真っ直ぐな瞳に根負けして、コレットは片手で頭を抱えた。
「……なんでそこまで私の事信じられるんですか? 優しいのがタダの振りだとか……思わないんですか?」
「わかんないけどー……、コレットはそういう振りとかするの苦手な気がする」
あまりに正直な感想に、コレットは溜息を吐いた。図星だったのだが、ヘレンは自分が合っていることを言っているのかどうか確信は無い。無いが、コレットに関しては自分の勘を信じてみたかった。
「降参です――あなたには全部話しましょう。……話したところで何かが変わらないでしょうし」
「それは―……話してみないとわかんないよー?」
話を最後まで寝ずに聞くのは至難の業だった。コレットはとにかく簡潔に、彼女が寝る前に話の全容を伝えようと四苦八苦する。
「つまりですね――、王子は全軍の心を思いのままにできる魔法で操り、王様を亡き者にしようとしているんです……」
「なんでー……? 王子も王様も同じ国の人間でしょ?」
それは最初によくよく説明したのだが、コレットは根気よく――額に薄っすらと血管を浮かべながら――再度説明する。
「それはですね……、王子はこの国に不満を持っていたんです。魔王軍がかつてアストレア村を滅ぼした際に、何もしなかった国王陛下や貴族達に……、魔人や魔物がアリエス王国にいつ侵攻するかも分からない。それなのに内政ばかりに目を向け、奪われた領地の奪還を行わない現状に――」
なるほどーとヘレンはようやく合点が行ったように頷く。頷いてから小首を傾げる。
「その事、王子は王様や皆に話した……? 相談……とかすればこんな事する必要――」
ヘレンの浅い考えにコレットは首を振った。
「それはもう既に何度も行われました。けれど、国王陛下は王子がいくら説いても派兵を許可してくださいませんでした。今回だってアストレア村の奪還は国王に伏せられての派兵でしたから――」
国王が直々に王子へと会いに来たのも、労ってのことではなかったとコレットは語る。兵士の多くは農民から徴兵したものだ。多くの犠牲を出しながらの派兵は今後アリエス王国の衰退にも繋がる。故にアストレア村の奪還を諦め、撤退せよと。
それまで実の父親の暗殺に躊躇していたソル王子だったが、そこで吹っ切れてしまった。国王を『エクリプス』で洗脳、僅かな兵達と共に無謀な突撃を敢行させた。
「王子怒っちゃったんだねー」
「……そんな軽い言葉で締めないで欲しいのですが、まぁそういうことです」
これ以上、難しい言葉を掛けたら寝てしまいそうな様子を見て、色々こみあげていた言葉をコレットは押し込む。
「色々分かった」
そう言って、ヘレンは立ち上がった。あまりに自然な動きにコレットは反応が遅れる。ドアの方に向かうのを見て初めて、コレットは慌ててその進路を塞いだ。
「ど、どこに行くつもりなんですか?」
「コレットはここにいなよ。私は……王様助けてくるから」
何を馬鹿なことをとでも言いたげな、言葉にならない声が漏れる。けれど、ヘレンは止まるつもりが無かった。武器を一体どこに隠したんだろうと、部屋の中を見て回ると、箪笥の傍に立てかけてあった。恐らく『エクリプス』で洗脳してから私兵としてヘレンの事を使うつもりだったのだろうが、彼女はそんなことは特に考えず、
(近いとこに置いておいて貰って助かる)
等と、呑気に感謝していた。
「なっ――、馬鹿なんですか、貴女は!!」
「むぅ、馬鹿とは失礼だ」
コレットの口から思わず漏れた失言に、ヘレンは素直に怒る。怒りつつてきぱきと武器を背中に装備しなおしていく手は止めない。彼女が本気であることに気づいて、コレットは腰の剣を抜いていた。
「ここから出ていくのは許しません――」
ESPOIR――の銘が打たれた聖なる剣、その切っ先が自分に向けられているのに気づいても、ヘレンは敵意を一切向けず、ちらりとコレットの方を見ただけだった。
「王様――死んじゃったらソル王子もコレットも止まれなくなるでしょ」
諭しつつ、昨晩ソル王子の事や故郷の村の事を楽しそうに語っていたコレットの姿をヘレンは思い出していた。
(あれ? アストレア村って名前……もしかして、コレットの故郷ってここの事……)と、ようやく眠気渦巻く頭の中で、色々と結びく。
「あ……そっか、コレットってソル王子の事」
聖剣が微かに震え、切っ先の狙いが狂う。
「好きなんだ」
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