ⅩⅤ エンドレスヒーラー

運が悪い――の一言で済ますにはあまりに、絶体絶命な状況であった。

 

神を喰らう者――フェンリル。その名は畏怖と共にアリエス王国にも伝わっていた。


 かつて起きた神々の戦争において、戦の神を喰い殺し、大量の死者の血肉を元にした魔法で空を真っ赤に染め上げ、地上に光を届かなくしたという。


(あれは……なんだろう?)


 白狼の首には、魔法で作られたと思われる紐が巻き付いていた。イズルは神聖の術を使える――これは癒しの術とも言われるもので、聖職者等が得意とする――が、他の魔法に対する知識は決して深くはない。


「ふぇ、フェンリルだと!?」


「に、人間が勝てる相手では――」


 魔道部隊には動揺が広がっていた。なまじその恐ろしさが伝説として語り継がれている分、実際の脅威度も曖昧で、「人間が適う相手ではない」という先入観が彼らの思考を狭め、手足を縛る。


「神を喰らう?」


 エメリナが一歩前に出た。魔女は不適な笑みを浮かべていた。その杖が焔を纏って天に昇り、柱となって、フェンリルへと倒れる。


 フェンリルは動きもしなかった。渾身の焔の魔法を正面から受け止め、嘲笑する。が、エメリナは動揺することなく言い放つ。


「冗談はよせよ。“今のお前にそんな力”残ってないんだろ? ヘレンがここにいなくて命拾いしたな!」


 ハッタリをかましているようには見えなかった。暗に、ヘレンがここにいたら負けると断じられ、フェンリルは怒りの咆哮をあげると、焔が霧散した。


「あんな小娘に? この私がか?」


 ヘレンの身が危ない。イズルはフェンリルに向って行こうとしたが、エメリナが杖を広げて彼を止めた。


 身震いして火の粉を軽く払い、フェンリルは周囲のマーナガルムに向って吠える。周囲に展開していた数十匹が一斉に魔道部隊へと襲いかかり、対する魔法使い達は杖を手に滑空魔法、浮遊魔法を用いてどうにか回避した。


「一人残らず喰い殺しておけ。妾はヘレン・ワーグナーを探す。――スコル、ハディおいで」

 

 フェンリルが踵を返し、マーナガルムの群れの中から金と銀の毛並みを持つ魔狼が続く。疾風と共に三匹は見えなくなった。イズルは、喉笛に喰らいつこうとするマーナガルムを戦槌で叩きのめしつつ、


「作戦大成功だな、後はヘレンが三匹とも始末してくれるだろう」


 エメリナに皮肉交じりの抗議を飛ばした。彼女は「生きる為だ」と、肩を竦める。


「そう怒るなって。あいつらを魔道部隊だけで相手したらものの数分で全滅してただろうさ」

 

 イズルが連れてきた兵は全員「エクリプス」の影響を受けており、連れてきていない。判断力が大幅に低下しているようで、魔道部隊のいた陣地の守備を命じると、彼らは機械的にそれを了承した。今頃は誰もいない場所で棒立ちになっていることだろう。


 実質、この場でまともに近接戦闘が出来る者はイズルただ一人のみだ。


「それに今のヘレンには近衛騎士団がいるだろ?」


 彼らは王の暗殺を企む王子の腹心ではあるが、魔族は共通の敵でもある。が、イズルはそれでも懸念を拭いきれない。


「フェンリルが神話通りの怪物なら、近衛騎士団だって――」


「あいつの首についてたアレな、『グレイプニール』は、ドワーフが鍛えた神話級の魔法道具(マジックアイテム)だ。あいつの力を抑え、従わせる為の物だよ」


 誰かあの怪物を飼いならしてる奴がいる、と、焔の魔法で辺りを焼き払いながら、エメリナは語る。


「暴虐の限りを尽くした魔狼は、自分を縛りつけようとした神を喰らい、『グレイプニール』を破壊して支配を脱した――ってのが伝えられている神話だ。けど、どうやらこの話には続きがあったみたいだな!」


 フェンリルは魔王(タナトス)の配下であると名乗っていた。神をも喰い殺す程の魔狼が、魔王の配下になることをすんなり受け入れるものだろうか。もしくは魔王の支配力は魔狼の自尊心すらも凌駕するのか。ヘレンは一体いつあの化け物と相まみえたのか。疑問は尽きないが。


「なんにせよ、ここを生き残らないと、な」


 まずはレイ国王陛下の救出が先決だ。魔狼(マーナガルム)達が群がり、その体に牙を立てようとするのを、イズルは半ば強引に割って入り、戦槌で魔狼達の頭を殴り飛ばし、叩き潰す。


「陛下……!」

 

 荘厳な装飾の施されていた甲冑は、牙に貫かれた痕が凄惨さを物語っている。血が止め処なく流れ出ているが、まだ死んではいない。魔狼達の群れから引きずり出し、エメリナ達がその間に、魔法攻撃で牽制する。


 魔道部隊は遠距離攻撃を主とする。近接戦闘は不得手とするところだ。


「とにかく距離を取れ! 陛下の安全を確保したら即時撤退だ!!」


 エメリナが声を張る。もはや用を為さない甲冑は重しにしかならない。体から外してから、神聖の術で傷を癒しつつ、後ろに引きずっていく。


 他の兵は助けられそうに無かった。王の配下にいたのは武器や装備から察するに雑兵ばかりで、近衛騎士団のような英雄級の強さを持つ者は一人もいなかったようだ。彼らは死んでいるか、まだ生きていても手足を欠損していた。


 魔道部隊の魔法使い達は二人一組で行動していた。一人が囮となり、喰らいついてきた敵をもう一方が攻撃――それが絶え間なく続く。逃げるのが少しでも遅れればマーナガルムに喰らいつかれる。捕まった味方を助けようとすれば自身の魔法で巻き添えにしてしまう。


「俺が全員、癒す! だから、同士討ちを恐れるな!!」


 その躊躇いをイズルが打破する。「力業が過ぎる」とエメリナは苦笑するが、既に形振り構ってはいられない。


焔が鞭のように放たれ、雷撃が敵を穿ち、大地が口を開けて呑み込み、濁流が押し流す。


 魔力の奔流が押し寄せ、敵も味方も区別なく巻き込む。


 神聖の光が差して、魔法に倒れた者を蘇生し、体力の尽きた者の疲労を取り除く。魔狼達は死者の肉でその腹を満たさんと、執拗に攻撃を続けている。魔道部隊はイズルの術で力尽きる事無く、戦い続けることができる。が、肝心のイズルの疲労を癒す者はいない。胃が捩れるような痛みを感じつつも、イズルは歯を食いしばり、王を抱える。


 術を絶え間なく発し、追いすがる魔狼を撃退し続けた。だが、視界は次第に霞み始める。流石に気力だけで保つのは不可能――万事休すのその時だった。


 紅い斬撃が、魔狼(マーナガルム)の胴を真っ二つにし、同時にその体を焼き尽くす。蒼き槍の剛撃が心臓を貫き、血肉が爆ぜる。


「見事――まさか、ここまで出来るとは思っても見なかったぞ」


 純白に金の装飾が施された甲冑、その間から覗くルビーのような瞳は揺るぎない信念に燃えていた。両手には紅く燃え上がる剣を持ち、マントを靡かせ、ソル王子が馬から降りる。


「声を聞くな!」


  エメリナがそう叫んだ直後、空から降ってきた光が大地を覆いつくした。


『星の魔法』


 その使い手の姿がこの場には無いにも拘らず、それは正確無比に魔狼(マーナガルム)達を狙い撃ち、照射された光で、辺り一面を焼き尽くしてしまった。


「ヘレンはどこにいる! 彼女に何かしたら――」


 開口一番、イズルはもはや相手が自国の第一王子であること等、頭に無く、尋ねていた。


「彼女なら聖女(アストレア)と共にいるよ。その方が君も安心だろう? ――だから、イズル・ウォンゴールよ」


 ソルの瞳はイズルが抱える国王を捉えていた。彼の周囲にいる者は全員、ア・シュラを始めとする近衛騎士団、王子の子飼いの兵ばかりだ。


「父上をこの場で殺せ、今すぐに」

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