Ⅵ 兵共、森に眠る

 エリュトロン伯爵率いる部隊は潰走状態にあった。本来であれば伯爵配下の騎士が小隊ごとの頭として纏め上げ、一糸乱れぬ行軍でファントムやモンスターと戦う筈だった。実際、進軍当初は当たる敵が悉く弱かったのもあって勢いづいていた。「魔女の援護要らず」「我が軍の勇猛さ留まること知らず」等、華々しさが強調された伝文を王子へと矢継ぎ早に送っていたのだが、今はただただ一文を送るのみ。


――救援求む。


 心の壊れた病人のように伯爵は魔法の掛かった羊皮紙に同じ文を書き続けている。彼と僅かに残った護衛は森の中の大樹の根の下に身を隠し、魔王軍の目をやり過ごしていた。彼らは敵の戦力を見誤っていた。散発的に遭遇する敵と言えば、彷徨いし屍(アンデッド)や小鬼(ゴブリン)程度だった。


 進軍せよ、より多くの異形を討ち取り、功績を上げた者には褒美を取らせる。


 そう告げたのがいけなかった。部隊は群としての統率と安全よりも「個」の功績を優先し、纏まりが無くなった状態で散開してしまった。


 そして出現したのが魔人キュクロープスの大群だった。


 彼らは森の木々から単眼の頭を突き出し、その巨大な足で歯向かってくる兵を――子どもが面白半分に蟻に対してするように――踏み潰しながら進む。部隊は完全にパニックに陥り、四方八方に逃げ惑った。魔人キュクロープスの出現に呼応するように、森に潜んでいた魔物達が襲い掛かる。


 狼型の魔物――マーナガルム達は騎士を引きずりおろした。彼らは人語を操り、今まさに獲物となった者に語り掛けながらゆっくりとその肉を生きたまま喰らう。


 小鬼(ゴブリン)の群れは集団で兵を一人ずつ取り囲み、高笑いしながら飛び掛かって、その原型が無くなるまで棍棒や尖った石等原始的な武器で殴打し続けた。


 キュクロープスは時に足で踏みつけてからすり潰し、時にその巨大な手で人間を捕まえてから奈落の底のように暗い口の中へと放り込んで、骨ごと嚙み砕いて嚥下する。


 エリュトロン騎士団は、味方の魔道部隊に対しては半ば自殺願望の混じった援護を要請していた。目の前で起きているのは地獄のような光景で、兵達に齎されているのは、とても戦士としての――否、人間としての死に様ではなかった。


――化け物に面白半分に踏み潰されるか、生きたまま体を食い散らかされるよりも、味方の放った魔法の炎に焼かれて死ぬ方がマシであると。


 エリュトロン伯爵の命運も尽き果てようとしていた。羽の生えた悪魔が彼らの場所を見つけ出し、奇声を上げて仲間に知らせる。森の木々を草でもかき分けるように、キュクロープスが引き抜き、伯爵達を見つける。


 伯爵は他の兵達と違い、豪奢な甲冑を纏っていた。キュクロープスは宝石でも見つけたかのように単眼を爛々と輝かせ、じわじわと嬲るように歩み寄る。立ちはだかろうとした騎士は拳を一振り下ろしするだけで地面の染みに変わった。


 飛び散った血が伯爵の蒼白な顔面を濡らす。自分も同じくただの血と肉の塊に変わるか、それとも永遠とも続くような地獄の苦痛の中で生かされるかのか――巨人の気紛れでどっちにでも転ぶ運命に彼は絶望する。


 単眼の頭が近づいてくる。口の中から漂ってくる血と肉の混じった吐息の匂いに伯爵が吐き気を催したその時だった。


 キュクロープスの首に一筋の線が煌めく。巨体が地響きを立てながら尚も迫るが、首と胴体は足を踏み出す毎に徐々にずれていき、単眼の頭が目を見開いたまま落ち、一拍遅れて体が膝を突いて倒れた。


「やー、生きてるー……?」 


 凄惨な光景からは想像もつかない程に軽く淡白な問い。巨大な斧(ハルバート)を片手に担ぐは、生い茂る森のような翠の髪を持つ――眠たげな少女。その斧の刃からは今しがた仕留めた単眼の巨人の血が滴り落ちていた。少女自身は返り血一つ浴びず、戦(そよ)ぐ風がふわふわと翠の髪を揺らしている。


 その現実と乖離したかのような光景に、伯爵達は空いた口が塞がらない。


「き、貴様――何者だ?」


 どうにか口に出せた言葉に少女は答える――鎧が派手で偉そうなおじさんだなー等と失礼な事を考えながら。


「ヘレンだよー……今はただの狩人」


 


 今のヘレンは実に調子が良かった。コレットと昨晩話してから寝心地が良く、目覚めもいつもより悪くない。それに今はイズルの助けになりたいという気持ちもあって、張り切っていた。キュクロープスは久々に見るが、勇者ジェイソンと旅していた頃であれば、難なく倒せていた相手だ。


 彼らは凄まじい剛力であるが、動きそのものは単調で、読みやすい。並みの人間であれば迫る巨人に対して足が竦んで何もできないが、ヘレンは恐怖という感情に乏しい。眼前に圧殺せんと迫る拳が来ても、冷静に距離を測って回避することができた。


 加えてヘレンはその生まれつきの常人離れした「怪力」でもって、キュクロープスの首を落とすことができる。旅の中で極めた「武術」の技にて、キュクロープスの渾身の拳さえも、武器さえあれば受けとめることができた。


 一体のキュクロープスが倒されたことで、周りを囲んでいたモンスター達の間にも動揺が広がった。森の中にはまだ大勢の兵士が散らばっている。彼らを再び集結させて、統率さえ取れれば、キュクロープス『程度』なら、互角に戦えるハズ――とヘレンは考えていた。


 兵士達の中にはヘレン程ではないにせよ「武術」――魔法と違い鍛えた体と、内なる「気」を用いて繰り出す技――を習得している者もいる。魔道部隊が数を揃えて複数で魔法陣を組んで攻撃魔法を放つのと同じように、彼らも刃を揃え、一糸乱れぬ隊列を組む事で、剛強無双の一撃を放つ事が出来る。


 だが、そのことをヘレンは上手く言葉にして彼らに伝えることが出来ない。


 別のキュクロープスがヘレンを捻り潰さんと、拳を振り下す。それをヘレンは回避もせずに、大斧(ハルバート)で斬り上げる。拳に刃が喰らい込み、折られた枝のように容易く腕が裂けて鮮血が降り注ぎ、白い肌に赤い血飛沫が点々と染みつく。


 ハルバートをそのまま回転させながら踏み込み、横薙ぎでキュクロープスの脚を両断する。巨体が後ろに倒れ地響きと共に砂煙が舞う。それを煙幕代わりに跳躍、大斧を弧を描くように振るうと、衝撃波が刃の嵐のように、周囲を薙ぎ払う。


 ヘレンが着地する刹那、周囲にいたキュクロープスは身体の至る所から血飛沫を上げ、腹の底にまで響く断末魔と共に倒れていく。間髪入れずに背中に装備していた戦斧(サマリー)を二本、柄と刃を合わせて引き抜いて投擲する。目の前にいた小鬼(ゴブリン)が数体、反応すらできずに首を飛ばされて倒れる。


「後退! 魔道部隊陣地で態勢を立て直す! まだ戦える者は集まって陣形を組め! 一体一体なら決して倒せない相手じゃない!!」


 聞き慣れた男の声にヘレンは振り向く。イズルが柄の長い戦鎚(ウォーハンマー)を手に戦場へと駆けつけていた。その戦鎚の頭は、以前壁画か何かで見た伝説上の聖杯のような銀色の器とそれを満たすように嵌る赤色の結晶。


「き、きさまはウォンゴール家の……」と、つい今しがた助けた「鎧が派手で偉そうなおじさん」が叫んでいた。きっと感謝してるんだろうなー……などと呑気に思っていたヘレンだったが。


「我より下賤な者が、兵に何を勝手をっ……!!」


 その言葉に耳を疑い、ほんの僅かに「……んむー」と顔をしかめる。が、イズルの方はというと彼女が見た事も無いような顔をしていた。


「今はそんなことを言っている場合ではないのです。エリュトロン様。ここで死んだ者達は、誰も報われ――」と冷たく閉ざされた氷の奥に浮かんだような表情に、エリュトロン「様」が押し黙る。


「いいぞー……言ったれー」等とヘレンは心の中で覇気の無いヤジを飛ばしたが。イズルは感情を抑えるように目を閉じる。その様は何かの声に耳を傾けているようにも見えた。


「……いえ、止めましょう」と、イズルは再び瞳を開いた。いつもの穏やかなイズルだ。


「生きてくださいませ、死に旅立った者達もきっとそれを望んでいるでしょう」

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