Ⅳ 麗しの眠り姫

 作戦会議後、イズル・ウォンゴールが足早に兵舎に戻ると、部下のフレッドが申し訳なさそうに駆け寄ってきて耳打ちしてきた。なんとなく嫌な予感がしていたイズルだったが、報告を聞いて「……全く」と、手に掛かる子どもの悪戯でも目にしたかのような溜息を吐いた。

 要約すると、ヘレンは兵舎に来るや否や、女子寮に連れ込まれ、そこからどうやら勝手に抜け出してしまったとのことだ。


(人慣れしてない犬じゃあるまいし……)


 そんなわけで、近くを軽く探す羽目になった。その辺の草原とか、馬小屋の藁の中とか、樽の中とか、はたまた屋根の上とか、彼女が寝そうな場所はとりあえず探して回ったのだが、見つからない。時間が経つにつれ、イズルの脳裏に一つの嫌な想像がよぎる。


――ソル王子のベッドの上でぐっすり眠るヘレンの姿。


 王家の寝室には金色の羊から作られた神々しい羊毛のベッドがあるとかないとか。どこかで聞いた事があった。そんなものヘレンの目の前で見せたらノータイムでダイブしていることだろう。顔を埋めて頬ずりしかねない――等と若干ヘレンに対して失礼な妄想が浮かび、それを振り払うように、首を振る。そんなことになったら、不敬罪で斬首を言い渡されてかねない。


 頼むから、その辺にいてくれ――と、イズルがふと砦の見張り台の方を見ると人影が二つ見えた。一つはよく見慣れたふわふわの緑色の毛の少女、もう一つは金色のさらさらの髪の女性――。


 ヘレンと聖女(コレット)が仲睦まじく話をしていた。


「な、なんで……?」とイズルの口がぽかんと開く。一体どういう経緯で二人は出会ったのだろうか。ヘレンはいつもの気の抜けるような顔で話しているのに対して、コレットは……会議の時の凛とした姿、どことなく近寄り難い高潔さは薄れ、優しく包み込むような柔和な笑みでヘレンの話を楽しそうに聞いていた。


 二人の事を全く知らない者がいたら、仲のいい姉妹にでも見えたことだろう。


「アストレア殿!」


 思わずその二人の姿に見とれていたイズルは、近くにいた近衛騎士団長の姿に気が付かなかった。彼もまた、イズルと同じように誰かを探していたようだ。肩口で切り揃えられた銀髪には埃一つ無い


「全く困ったお方だ……」と、頭を抱えながら見張り台へと向かう団長の姿に若干親近感が湧きつつも、ヘレンが厄介なことにならないよう、イズルも後を追う。



「それでねー……、イズルが一緒に来ないかーって」


「まぁ、では、そのイズルさんはヘレンさんに道標を示してくれた方なのですね」


 会話が耳に入ってくる。そこだけ聞いているとお茶会でも開いているのかと思う程和やかなものだった。だが、あのヘレンは一体いつ聖女と仲良くなったのだろうかと、イズルは疑問に思う。螺旋階段を通って、頂上へ向かう。



 流れ雲が丁度月を覆い隠した夜、ヘレンは、不思議な感覚でおしゃべりをしていた。とても眠くて頭がほわほわしているのに、会話の途中で寝落ちすることもない。かつて一緒に旅をしていた勇者一行の魔女メディアと話していた時の感覚に似ている。


 ヘレンが話をして、コレットが相槌を打つ。返ってくる言葉のひとつひとつが優しく、絆されていく。ふと背後に気配を感じた――感じたのだが、コレットとの話が楽しくて、気にも留めずに喋り続ける。


「でも、イズルって私が寝ようとするとすかさず起こそうと――」


 コレットの表情が不意に変わったのを見て、ヘレンは言葉を止めた。ヘレンの背後にいる誰かが、コレットへと声を掛けた。若い男の声だ。


「聖女(アストレア)殿、どこに行かれたかと思えばこんなところに」


「ア・シュラ騎士団長、ご心配なく。少し風に当たりに来ただけですので」


(喋り方が変わったー……)


 気高く、美しく、高潔、だが、それがヘレンの目には、本当のコレットの姿ではないように映った。恐らく話しかけている相手は身分の高い者なのだろう。ヘレンは昔から高貴な身分の人間との会話はどうにも不得手で、そういった人間との会話は仲間が全て引き受けてくれていた。


「ん? そこの女は?」


 騎士団長――ア・シュラというらしい――がヘレンの存在に気づいて近づいてくる。下手な事を言う前にお暇しようと、顔を伏せたまま、脇を通り過ぎようとしたのだが……。


「逃げるとは無礼な――」


 腕を掴まれて、ヘレンは立ち止まり、観念して振り向いた。丁度雲が流れ、月の光に薄っすらと顔が照らし出される。騎士団長と呼ばれていた男ア・シュラは、思った以上に若い男だった。端正な顔立ちに、白い肌、風に流されるさらさらとした銀髪。チュニックに、ルミエール王朝の白い太陽の紋章の入ったを蒼色のマントを羽織っていた。ヘレンよりは年上だが、二十も行ってないだろう。


 若く、由緒正しき勇猛なる騎士の顔は――ほんのりと頬が赤かった。


「……美しい」


「んぅー……?」


 ヘレンは一瞬、何を言われているのか理解できずに、首をかしげると、ア・シュラはふと我に返って、コレットの方を慌てて見た。そのコレットは張り付けたような笑みを浮かべていた。にこにこ……にこにこと、ア・シュラの腕をそっとヘレンから無言で離した。


(なんか……コワイ)


 誰も何も言わず、ア・シュラはごほんと大きい咳を一つ吐いて、空を見上げた。


「月の事だ。今宵の月は美しいとは思わないかね?」


 なんで急に月の話になったのか、理解が追いつかないヘレンは「そうだねー……あ……じゃーなくて、そうですねー……」といつも以上の生返事。


 騎士団長のその額にたらりと汗が垂れた。暑いのかなーとかヘレンは呑気なことを思う。


「あ、聖女(アストレア)殿、ソル王子がお呼びだ。すぐ戻ってくれたまえ」


 言うだけ言って慌てて振り返り、急ぎ早に立ち去ろうとして、――向かってきたイズルとぶつかってしまう。瞬間、ア・シュラの眼光が鋭く光る。


「邪魔だ、どけ――」


 その胸倉を掴んだ。その一言に彼の傲慢さ、驕りの片鱗が覗いていた。イズルは臆することなく厳しい視線を返す。空気が凍てつく。コレットが騎士団長を制そうと前に出たその時だった。


「……ぶつかったの君の方だよね」


 両者の間に割って入ったのはヘレンだった。

 その場の何者もの反応を許さない早さで、ア・シュラ騎士団長の腕を掴み上げる。

 そこにいた誰もがヘレンがこんな動きが出来るとは思ってもみなかった。ただ一人を除いては。


「な……君は――」


 動揺しているア・シュラをそのままイズルから引き離した。プライドの高い騎士が少女一人の腕力で制される。殺意を向けられてもおかしくはない。それを理解できない程、ヘレンも幼稚ではなかった。この場で決闘になるかもしれない。実際、ア・シュラは腰のベルトに吊るされた剣に手が伸びかけていた。だが、ヘレンは一歩も引かずに、両手を広げて、イズルを庇おうとする。


「団長、おやめください!」


 見かねたコレットが止めに入り、ア・シュラはようやく剣から手を放す。が、タイミング悪く階段の方からドタバタと長靴の音が鳴る。


「団長! 一体何が……」と階段を駆けてきたのはソル王子の近衛騎士の一人だ。丸坊主の青年で、彼はこの状況を見るや否や、何が起きたか判断してヘレンに食って掛かる。


「貴様、団長に何を――どわぁ」


 ヘレンに詰め寄ろうとした丸坊主の騎士をあろうことか、騎士団長が殴り飛ばしていた。周り全員――殴られた騎士に至っては無様に転がったまま「なんで!?」となっている――がぽかんとする中、ア・シュラは、イズルの前に立って非礼を詫びた。


「大変失礼した。下賤の兵士共が覗きにでも来たのかと思い――、貴公は、ウォンゴール家のイズル殿でしたか。彼女がまさかあなたのところの侍女とは知らず」


 聞きようによっては侮辱とも取れるような謝罪だったが、イズルは敢えてここで問題を大きくするつもりは無かった為、聞き流した。爵位は恐らくイズルの方が上の筈なのだが、力のある騎士は時に、驕り昂り、慇懃無礼に振る舞うことがある。特に、モンスターやファントムと単独で渡り合えるものはそうだ。


「いえ、後、彼女は侍女ではなく、傭兵ですよ」


 一つだけ訂正すると「ほお」とア・シュラは笑みを漏らし、ヘレンに向き直る。


「先程の迷いなき動き、容赦の無さ、間違いない。君の力は英雄の領域にある――名はなんという」


 その場にいる他の者等まるで目に入っていないかのような手前勝手。


 対するヘレンは騎士団長のことは目に入っていないかのような無表情。


「ヘレン・ワーグナー……」


 ぼそぼそと出されたその名に、ア・シュラは目を見開いた。


「君は――そうか、あの勇者ジェイソンの……ふっ、どおりで強いわけだ」


 勇者の名が出てきて、コレットや床から起き上がった騎士も何かを察したように、ヘレンの方を見た。対するヘレンはあまり居心地が良くない。イズルは彼女の気持ちを「察して」、その手を引いた。


「皆様、お騒がせ致しました。夜も更けて来ましたし、我らはこれにて」


 凄まじい力の片鱗――それが実は月の光が見せた幻だったのではないか。そう思わせる程無防備にヘレンはイズルに手を引かれていく。


「あー……」と、一度に色々な事が起きすぎて頭が混乱する中、ヘレンはコレットに何か言いたくて、声を掛けようとしたが、言葉が纏まらず、小さく手を振った。


「おやすみなさい」


 コレットが短く、しかし先程会話した時の優しさの籠った眠りの挨拶。ヘレンの意識は急速に薄れる。


「ヘレン・ワーグナー……強き者はうつく――」


 騎士団長の声は途切れた。その言葉は頭の片隅にすら残らず、微睡へ誘われる。

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