エンカウント 3
入店を知らせる安っぽいベルの音がカラカラと店内に響くと、コーヒーケトルを持ったままの無愛想なマスターが、いらっしゃいと低く呟いた。
「あの、新山さんは、おいでですか?」
春野の問いに、マスターは顎で奥の席を指す。それとほぼ同時にくたびれたコートを着た男が立ち上がった。
「春野さん? さあこちらへ」
「あ、わざわざお時間頂いて」
招かれるままに国崎と春野は奥の四人掛けに腰掛けた。
「そちらさん、さっき受付のとこで叫んでた若者だね」
「ああ、見られてましたか。国崎です」
「そう。――で、春野さんのお話ってのは、この人の?」
「ええ。生意気言ってすいませんけれど」
「何が生意気なもんか。源さんの姪御さんなら喜んで協力するさ。全く世話になりっぱなしだからな。まあ出来る範囲、でだが」
「助かります。では、この国崎さんですが――」
マスターはぶっきら棒な表情のままで、お冷をテーブルに置く。新山は二人の顔を覗きながらブレンドで? と確認をし、そのまま人差し指と中指を立てた。マスターは何も言わずカウンターへと引き上げる。
「あれで、愛想してるつもりなんだ」
眉を上げて見せる新山につられて国崎も表情をくずしながら、話し始めた。
「実は、昨日の夕方、原田さんの事故を見てました」
新山は明らかに顔色を変えたが、気取られまいと鼻を鳴らして先を促す。
「道が込んでいたんで、原田さんの家から出てきた車の後に付いたんです。そしたら突然車がスピンして。ドイツ車でしたが」
「うん、間違いないな」
「そしたら、横転して。止まった時には、奥さんなのか。血を流していて。すぐに通報と救命をしようと思ったんです。でも」
「横転? いや。でも、なに?」
「子供が立っていて、ですねえ。それで……。やっぱり信じてもらえないかなあ」
「いや、なんでもいい。例え見間違えだとしても、今は情報が欲しいんだ」
「とても普通だとは思えなかったんです。身に着けてるものはシャツとパンツだけで、俯いたまま立っていて。怖くて」
春野が裏返った声を上げる。
「つまり、あなた。お化けを見たと思ったの!」
「そう。……はっきり言えば」
「そうか。それで逃げ出した訳か。で、事故車は具体的にはどうなっていた?」
「横転して、腹を上に向けて車線を塞いでいました」
「それは確かか? 現場にあるBMWは林に突っ込んでいるんだが。屋根にも損傷は無い」
「そんなはずは無いです! そんなはずは」
「まだ続きがあるんじゃないのか? 多少のことは目を瞑るから全部話してくれないか」
「はい。それから、琴美ちゃんの――付き合ってる女性なんですが――家に行ったんです。そして事故のことを話したら、現場に行ってその子を保護しないと駄目だってことになって」
「なるほど。っていうことは、通報してきたのはその琴美さんか? 女性の声だったんだが」
「そうです。でも、どういう訳かあの時は、子供を琴美ちゃんの部屋に連れて行くのが自然に思えちゃったんですよね……いえ、まずは家に帰そうとして原田さんの家にも琴美ちゃんが伺ったんです……あれ?」
「なんだ?」
「あら?」
国崎と春野は同時に首を傾げた。そこへコーヒーの香りと共にマスターが現れ、カップを置いて何も言わずに去っていく。
「何なんだ、二人で」
「琴美さんが原田の家になんか行く? 君じゃなくて琴美さんが行ったんだよね?」
「違う原田だと思ったのかな?」
「有り得ないと思う。だって清子さんが住んでたのよ」
「おいおい、なんの話だ?」
「琴美さんですよ、土居琴美」
春野の鋭い目と、新山の見開かれた目がかち合った。
「そうかあ! あの、土居琴美か、君が付き合ってたのは。思い出したぞ、庄野二郎と桜子の娘の土居琴美だ」
「そうです、その琴美です」
「すまんな春野さん。国崎君には署に来てもらう」
「ええ! 話が違うじゃないですか」
「いや、こうなってはどうしようもない。――実は、庄野二郎がついさっき殺された。琴美なら動機は十分すぎるほどに」
新山の不安に満ちた揺れる目を、二人は声も無く見つめた。
「やったのは……女だということだ。当然警戒も強めていた最中、白昼堂々と。だから悪いんだが、国崎君」
「琴美ちゃんが……疑われてるってことですか」
国崎の腰が椅子から離れてゆく。その凍りついた顔の中で、口だけが滑らかに動いている。
「そんなはずないですよ。彼女は子供だって好きだし、ネコとか犬とかもすぐ寄ってきちゃうし、知らない人に道なんかもよく聞かれるんです。やさしくて良い人です。そりゃ、過去に色々あったって言うか、難しい環境で育ったっていうかそういうことは、あるにしても……」
「行こう、国崎さん。確かめないと」
「いや、ちがう、そんなことは……」
「行こうよ。行かないと駄目だよ。もしかしたら君も……危ないかも」
怯えた草食動物のように立ち上がったまま硬直している国崎を、春野は通路に押し出す。足が縺れテーブルに手を突くのを見て、咄嗟に新山が脇を抱えた。重犯罪を犯した犯人のように国崎は呆然と歩み、再び安っぽいベルが鳴った。
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