春野 3



 寒々しい風景を、オレンジの街灯と月が浮かび上がらせている。


 車を止めた春野は、グローブボックスを開けて中身を乱暴にかき回すと、アルミ製のライトを見つける。



「伯父さんナイス」



 感謝の呟きも早々に春野は車を出たが、すぐに立ち止まる。



「あ……名前がわからない」



 仕方なく細い声で原田さんと叫んでみるが、返事が返ることは無かった。さっき車を止めていればと自分を責める。


 頼りない光を懸命に林に走らせ叫んだが、強い風に声は消され、心もとない光は林の奥には届かない。警察に連絡を、とも思ったが、余りに不確かで、それも躊躇された。



 仕方ない、と車に戻った春野は携帯を取り上げ、メールを確認した。そっけなくURLと、食事の礼が綴られている。



「鞍馬さん。有難うね」



 独り言を言い、春野は悶々としたものを抱えたまま、ホテルへと向かった。



 栄ホテルは、暗い外壁に小さな看板のいかにもビジネスホテルといった佇まいで春野を迎えた。


 玄関ドアを入ると、カウンターで痩せた鋭い表情の中年女性が迎える。



「鞍馬さんのお友達だってね」


「あ、いえ。顔見知り、って程度ですが」


「そうかい。東京から来たんだろう。お仕事なの?」


「はい、一応記者みたいなことやってて」


「ああ、原田猛の取材? そういえば昨日、こっちに入ったとか」


「はい、あ、いや、原田清子さんとそのお子さんのことで」



 記帳のペンを持つのもしんどいほど疲れていることに、春野は突然気がついた。早く横になりたいとしか考えられなくなる。



「ああ、そう。なんか、大変なことになってるらしいよねえ。こんなタイミングで。あそこの奥さんとは仲いいんだけどね、心配だわあ。あそこもねえ、庄野さんとこに娘さんお嫁に出して、何もかも安泰だと思ってたところで……戻ってきゃったでしょう。猛さんも大変だよねえ、人気商売なのに」


「そうですねえ」



 終わりの見えないおばさんの無駄話に付き合ってる暇はないんだよなあ、と思った時、女性は口に手を添えて、かさかさに乾いた声を立てた。


「ねえ、あんた。――奥さんと、お話したい?」



 鞄を持ち上げようとした春野は、子供のように女性の顔を見上げて一瞬固まった。



「え? あの満与さんとですか。そんなことが?」


「でもあの人ちょっとぼけちゃってるから、お話になるかどうがわからないけど」


「お願いします。是非!」



 カウンターを叩く春野に後ずさりしながら、女性は頷く。



「友達がやってるケア施設に居るだろうから……明日聞いてあげる」



 自慢げに、にやりと笑う女性に力を振り絞って頭を深々と下げ、春野はエレベーターに乗った。部屋に入ると、そのままベッドに転がる。時計はすでに十二時を回っている。間接照明が僅かに照らす暗い天井を見上げていると、胸にヒリヒリする感覚を感じた。



 ――怖かった。……そうだ、怖かったんだ。



 あの光る目が、まだあそこを彷徨ってるような気がする。あれは現実だったのだろうか、と改めて思う。



「あんな目なんて」



 でも鞍馬の情報が正しいなら、白人のような目をしていてもおかしくはない。そして親から虐待を受けていたという理由も。異様な見た目、死産のショック、清子はそれらに耐えられなかったのだろう。それに加えて別居、名家旧家の因習。まるで昔の小説みたい。この世にはいろんな不幸があるものだ。しかし、母子はどうなってしまったのだろう。と思いを巡らせているうちに春野は眠りに落ちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る