春野 2
伯父のピンク色のクラウンを駆って高速を飛ばし明市に入った時には、もう十一時近くになっていた。鞍馬の誘導で、原田宅には迷わず着けたが、時は既に遅し。立派な庭木が強風に揺れる原田宅は漏れる光も無く、辺りに人の気配すらもなかった。
「原田って、原田代議士の関係かしら……」
仕方が無い、と車に戻ると、鞍馬から電話が入った。
「ああ、鞍馬さん。今日は夜遅くまでご無理聞いていただいて――」
『捜査終わっちゃってますよね』
「ええ、もう真っ暗です」
『俺が知ってる範囲でよかったら、お話しましょうか?』
大通りを背にして真っ直ぐ道なりに走ればバイパスに出ます、という鞍馬の言葉通り、春野は車を走らせた。期待は出来ないが、何か得られるかもしれないと自分に言い聞かせる。
だんだん少なくなってゆく家並みや街灯に、ペーパードライバーに近い春野は不安になる。バックミラーで中心街の光を確認し、煌々と照りつける月の光に感謝しながら進むと、街灯がオレンジになったのに気が付いた。
「暖色の光はほっとするね」
無理に笑顔を作り、意味の無い言葉を吐いてみるが、やはり不安感は消えない。
強い風が車の横腹を殴る。
急に気配を感じた春野は、視線を路肩に移した。そこに、明るい色のジャージを着た少女が立っていた。街灯の支柱に手を掛け、ひどく明るい色の長い髪を風に靡かせてこちらを見ている。
気が付けば春野の右足は、ブレーキペダルの上に置かれている。
――止まってどうするの?
自問も空しく車はゆるゆると少女の前を通り過ぎようよしている。
その時、ヘッドライトの光の中でエメラルドのような目がぎらりと輝いた。
その視線は春野の目を捉える。
その口が何かを言う。
一瞬が過ぎると、呪縛を解かれたかのように春野はアクセルを踏みつけた。エンジンの振動とかかる加速度が世界をふるわせる。オレンジ色の光を照り返すバックミラーに視線を向けることすら出来ずハンドルにしがみついた。しばらくして、やっと息を吐き出すと、震える左手で汗を拭った。
「なんなの……もう!」
春野は目に力を込めて胸の中に言葉を吐き出す。だが錯覚とも妄想とも取れるあの一瞬、彼女の口は確かに言っていた。確信出来た。
『おかあさんが、きらいなのね』
ファミレスの駐車場に車を入れると、春野は何度か深呼吸してから車を降りた。まだ膝がガクつき雲の上を歩いているようだったが、入り口の階段に腰を下ろしている人影を見つけると、やっと落ち着きを取り戻した。
「あの、鞍馬さん、ですか?」
「ああ、春野さん? やっぱ美人さんだ。声でわかりました」
「本当?」
「いや、嘘つきました」
嬉しそうな顔で立ち上がった鞍馬を見て、春野は仰け反りそうになるのをこらえた。年齢は春野と同じ二十代中頃に見えるが、長めのスポーツ刈りに、パーカーと太いスエットがはち切れんばかりの筋肉を全身にまとっている。身長は軽く百八十五センチを越えているだろう。
「あ、びっくりしました? すいません、趣味でウエイトトレーニングしてるので」
「いえ、こちらこそ失礼しました。でもほんと立派なお体ですね」
「いやあ、まだまだで。入りましょう」
かなり広い店内には客が二組ほどしか居なかった。鞍馬は奥の窓際にどかりと座り込み春野を手招きする。
「本当に、何からなにまですいません」
「いえ、お気遣い無く。『コンタクト』の会員として当然のことをやってるだけです。おまけに美人と食事もできて」
「いや、そんな……」
「あれ? 顔色良くないんじゃないですか」
「あ、いえ、大丈夫です」
「そうですか。じゃあなんか食べます?」
おごりだから贅沢しなくちゃと言いながら、鞍馬は外見にそぐわない無邪気さで和定食を頼み、ドリンクバーだけを注文する春野に申し訳無さそうな照れ笑いを向ける。
その人柄と頑丈な体に安心感を得た春野は、やっと体中に血がめぐり出したような気になれた。
録音を快諾した鞍馬に、愛想笑いしながらレコーダを机に置く。
「それでは、早速なんですけどお願いします。とりあえずの状況は、行方不明?」
鞍馬は軽く咳払いをして話し始める。
「そうらしいです。どうやら福祉関係の人が家に行ったら誰もいなくて、通報、という流れのようです。近所のばあちゃんと知り合いの警官捕まえて聞いたので、たぶん確か」
「相当様子がおかしかったんでしょうね」
「まあ、俺もよそ者なんですけどね。ああ、そこの柔和軽金属の社員でして、三月ほど前に転勤で。で、やっぱり色々ある街でしょう? 会社のひとなんかからも色々と聞くわけですよ。庄野? ……あっと」
春野も小声で庄野? と聞き返す。
「そう、一代でここまで会社をでかくした庄野家と、国会議員の原田猛の派閥。そして反対派代表の土居と、なんともどろどろした土地柄で」
「ああ、聞いたことはあります。確か原田が公約通りに柔和を誘致して、この地域の経済が良くなったとか、工場近くの地主の土居家が反対運動したとか。じゃあ、あそこの家って民政党の原田猛の親族なの?」
「そんな感じらしいっす。その庄野正の息子で柔和の重役、二郎と結婚したのがあの清子さんなんですよ」
「あの、といいますと?」
「あ、失礼。あの家の持ち主、原田満与の娘さんです」
「え、じゃあ子ずれで里帰り? 二郎さんは?」
「なにか……浮気みたいな感じで。かなり前から別居してるそうです。早速愛人を家に引き入れてるみたい」
「かなり複雑な家庭事情みたいですね」
「清子さんはねえ、いい人だったらしいんですけど。双子を妊娠して片方が死んじゃったっていうか、死産ですか? それに二郎ってのがDV野郎でね。会社でも評判悪いんですよ。そんな風で、なにか変な占い師みたいなのにハマってるとかいう噂も」
そう言いながら鞍馬はため息をついて見せる。
「うわあ、めちゃくちゃヘビーですね。じゃあ原田も面白くないでしょうね」
「そう思いますけどね。でも、こっちのほうが大事ってことかなあ?」
鞍馬が親指と人差し指で丸を作ったところで、ウエイターが料理を運んで来る。
鞍馬の独特なリズムで語られる明市の真相に気をとられていたが、不意にあの子供のギラギラと輝く目が頭に浮かび、春野は思わず目を瞑った。
疲れましたか、と茶碗と箸をもったままの鞍馬が筋張った頬を引き上げて笑顔を向ける。
「ええ、ちょっと。ごめんなさい。運転慣れてないもので」
ホテルなら友人の実家が、といいつつ素早く電話をかけ、すぐに空室の確認をとってくれる。春野は鞍馬の手際に呆気に取られたままで、その様子を見ていた。
「あれ? 今日は泊まらなかった、ですか」
「いいえ、そのつもりです。ほんとうに何から何までして頂いて」
「いや、気にしないでくださいよ。こんな美人に尽くせるなんて幸せで」
鞍馬は店中に響くほどの声で笑い、すぐに真顔になるとテーブルに手を突いて顔を近づけてきた。
「おまけにね。まあ噂レベルなんだけど、その双子がね、白子だったって話もあるんだけど。これはホント噂なんだけど。何せ清子さん、殆ど子供を外に出さなかったらしいから」
「白子……あの色素が少ない?」
そこまで言うと春野はコーヒーカップを置いた。呆然と目を泳がせている様子を鞍馬は心配そうな顔で眺める。
「そう。だからね日光に当てられないから、閉じ込めて虐待してるとか、色々と憶測っていうか――。あ。やっぱり春野さん、今日はもう休んだほうが」
「あたし、ここに来る途中で、女の子、見たんです」
「え?」
「鞍馬さんごめんなさい、あたし行かないと。これで。お釣りは収めてください」
言いながら春野は五千円札をテーブルに置き、席を立った。
「ああ、ホテルは! ……いいや、メッセージでお知らせしまーす」
「すいません、お願いします。有難うございました」
急発進するピンクのクラウンを横目で見ながら、鞍馬は定食をつつき、少し笑った。
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