レジスター 4



 七十八歳の誕生日を迎えたばかりの土居妙泉どいみょうせんは疲労していた。井出組の本部ビル四階にある応接室で四人の屈強な部下を後に従え重厚な三人掛けで背筋を伸ばす。



「地下倉庫からの連絡は!」



 井出組組長の相良は、ナスのように下膨れた顔を紅潮させて部下にわめき散らした。



「今、若いもんを向かわせておりますし、なにかあっても相当量の武器はこちらに運ばせてありますので……当面は心配ないかと」



 一本も毛が無くなった頭を少し揺すり、妙泉は正面の扉を見つめる。相良が困った顔を向けると、やっとその細い首が一つ縦に振られた。



「まさか警察が動いているというわけではあるまい?」


「無線も傍受しております。新山も何も言ってきておりません。奴はどうも警察に疑われていたらしいのですが。どこか別の組織が動いたとしても原田から何か言ってくるでしょうし」



 妙泉は大きな目玉だけを相良に向ける。



「腐れ縁も使いようということか」


「はい。まさか我々が繋がってるなんてことは、誰も思いますまい。そこが味噌ってもんで。お互い都合よく回っておりますので」


「わしは、お前に感謝せねばなるまいな」


「何を仰いますか。土居家の御威光あっての井出組」


「桜子の娘か……何故とは問えんな」



 妙泉は口を一文字に結ぶと、また厚いウオールナットのドアを見つめる。



「妙泉様の、姪御さんでらっしゃいましたね、桜子さんは」


 上目使いで顔を伺う相良に、妙泉は首を振る。


「勘当したのだから。関係は無い」


「しかし、なんで庄野なんぞとくっ付いたり――」


「やかましい」



 相良は、弾けるように立ち上がると最敬礼をし、謝罪の言葉を並べる。その場に居た相良の部下も続いて頭を下げた。


 そこへ直接首塚へ向かった者が転がり込んで来た。



「大変です! 地下倉庫が潰れています。爆破だありゃあ」


「なんだと? 中のもんはどうなった。確認はとってきたのか」


「わかりません。入り口は二つとも完全に潰れちまってました。重機で掘り返しでもしなけりゃわかりません」


「どこのもんじゃ! ふざけた真似しやがる。ただじゃすまさんぞ」


 立ち上がろうとする相良を制すると、妙泉は声を張る。



「もういい。武器を配れ。ここを固める。不審な者に容赦するなと伝えよ」



 相良は短い手足を懸命に振り回し、肥満体型に似合わない機敏さで部屋を出た。四人の取り巻きも拳銃を取り出し、一斉にスライドを引く。



 妙泉にはわかっていた。庄野二郎が殺されたと聞いた途端に、次は自分だとはっきり言われたような気がしていた。どんなに大勢で守られようが、あれは殺しに来るだろう。だが、物理的にそれは不可能だった。倉庫から運んだ武器があれば自衛隊でもない限りここに近づくことも出来るはずがない。



 ――では、なんでわしはこれほどまでに諦めているのか。



 妙泉はゆっくりと羽織を脱ぎ、差し出される日本刀を手に取った。



 ――因果応報。



 口の中でそう呟くと、下から銃声が聞こえてきた。


「ゆるりとはさせてくれんな! 者共、油断するなよ」


 背筋を伸ばし、抜刀する妙泉に応じ四人も部屋を出て行く。三十五の拳銃、二十のサブマシンガン。五丁の機関銃と手榴弾やダイナマイトが進入を防いでいる。その外側はぐるりと警察に囲まれ蟻の這い出る隙間も無いはずだった。


 だが、実際には既に、散発的な銃声が近くにまで達していた。数発撃っては沈黙するそのリズムは不気味なほどに静かだった。そしてとうとうそれは四階にまで達する。パキンと銃声がし、まるで命を吸い取られたかのような力ない呻き声がしたかと思えば、どさりと崩れ落ちる。


妙泉はその一連の音がする度、額に汗の玉を作る。そして、とうとうドアの前に立つ最後の二人も倒れ、それが開き始めた。



「琴美か」



 妙泉の低い声が、部屋を漂う。



「お前は……」



 赤と黒に塗りつぶされたその顔がドアの影から半分覗いた瞬間、彼の全感覚は奪われる。そして唐突に妙泉の感覚は、現実に引き戻された。


 周りには妙泉の取り巻きの死体が転がっている。全員がこめかみを打ち抜かれて死んでいた。


 手にしていたはずの刀は無く、いつの間にか、目の前の女がそれを握っている。


 ギラギラと照りつける部屋の照明が眩しく妙泉は思わず手を目の上にかざす。



「琴美……なのか」



 ただ、幼児のように笑い続けるその女の手に握られた刀は、土居家伝来の信国。


 妙泉は引きつった笑いを浮かべる。



「なるほど、栃姫記には百の騎馬をたった五人で押し返したという記録もあった。たぶんこのような力があの方にもあったのだろう。なるほど……これなら納得だ。――その内なるあなたが栃姫様だろうが……いや、誰であろうが、琴美の姿をした者に切られるならば仕方無し。わしはそれだけの仕打ちを――いや、何も言うまい」



 妙泉は膝を畳み床に手をつくと、首を差し出した。琴美は狂気の笑いを止め、刀を持ち替えるとそれを振り上げる。そして振り下ろされる太刀の刃は妙泉の身体を向いてはいなかった。


 声も上げられないほどの痛みが彼の脇腹を襲う。次の一太刀は二の腕の骨を砕き、その次は肋骨を折る。耳が削げ落ち肩甲骨が割られる。遠のく意識の底から「声」が立ち登り、落ちていこうとするそれを強制的に覚醒させる。



『簡単に殺しはしないぞ。楽に死なせはしない。琴美の恨みを全て受けきるまでは生きて苦しみぬけよ!』



 悲鳴と骨が砕ける音が止み、ガチャリと刀が床に落ちた。老人の四肢は血に塗れたただの布のように潰れ、顔の皮は剥がされて傍らに落ちている。琴美は一つ二つと引きつった笑いを残し、窓に飛びこんだ。

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