エンゲージ 4



 女の声に素早く反応した琴美は壁際の壁に背中を付け、そろりと片目だけで外を覗き見た。


 ヘッドライトに照らし出されたスーパー佐藤の社長を見てジリジリと後ずさりを始める琴美に、拡声器からの声が浴びせられる。



「琴美ちゃん! 聞こえてるか? 事情は良くはわからない。でも俺は信じてる。まずは出てきて本当のことを話そう。琴美ちゃんはそんなことをするような人じゃ無い。小さい頃からずっと見てきた俺にはわかってるんだ。警察の方を放して、国崎君と一緒に出てきてくれ」



 傘と拡声器のマイクを握り締め、いつもの蛍光色ウインドブレーカーを着た痩せぎすの佐藤は、決意の眼差しを七メートルほど離れた部屋の中まで送っている。



 佐藤の後ろから小さな人影が視界に入ってくる。大きな帽子とタイトな黒いコートを身に着けたその女は、拡声器を受け取ると言葉を琴美に浴びせる。



「スーパー佐藤の社長さんに、この雨ん中わざわざお越しいただいた。出てきな」



 琴美は小さな声でちくしょうと何度も繰り返し、一瞬の後、弾けるように窓へと腕を伸ばすと力一杯それを開き、怒鳴り散らした。



「汚ねえぞ。なんで社長を連れてきた! テメエぶっ殺してやる!」


「あんた、社長の前でそんな汚い言葉使わないでよ。善意で協力されてるのよ。――ほらあ、動揺しちゃってるよ」


「うるせえ、ババア。社長には関係!……ねえんだよ」



 琴美は、うなだれしゃがみ込み、床に手を突いた。人見が銃から弾倉を抜き、それを地面に置いて、そっちにいくぞ、と怒鳴るが、それにも反応しなかった。人見は手を上げながらゆっくりと窓に近づく。残り三メートルほどのところまで歩み寄ると、琴美はやっと顔を上げ、人見は立ち止まった。



「やっと直接話しできるね。あたしは群馬県警から来た人見。嫌いな言葉はババア。嫌いなものはあたしをババアと呼ぶ能無し。だから今度言ったらタダじゃ済まさない」


「なんの用?」



 床にへたり込んだまま力無く吐き捨てる琴美の顔を、しゃがんで覗き込む人見は「さあ」とだけ返答する。



「なんの用も無いわけ? 警察が、殺人犯に」


「だって、あんた葛西になんかしてるし、後ろには――まあ、あんまり愛しては居ないようだけど――可哀相な男の子まで侍らせてるし。普通こういう場合、あんたのほうがこっちに何か要求するもんだよ」


「じゃあ、ゴミ共を警察署に返して、あんたもお家に帰るってのは?」


「全く素晴らしいご提案だけど、却下。上司に怒られるの嫌だもの」



 琴美はへへと声に出して笑い出した。足を靴脱ぎ石代わりに置いてあるコンクリートブロックに投げ出しそれをバタつかせる様子を見て、しゃがんだままの人見も笑った。



「あんた、面白いね」


「そお? 気に入ってもらえて良かった」


「じゃあマジな要求しても良い?」


「出来る範囲ならね」


「社長を家に帰して」


「居られると不味いってことか。じゃあ却下かなあ。ああ、二人を解放してくれるなら、ありかな」


「開放したら私を殺す?」


「そうね。投降する気は無いでしょ?」


「じゃああたしも却下」



 鼻を鳴らして人見は立ち上がると、揺れながら銃を頭に突きつけたまま立ち続けている葛西に近づき、足の先からその顔までを舐めるように見た。



「これってどういう手品? 教えてくれないかな」


「正直私にもわからないの。出来るようになったのは昨日だし」


「出来るようになった……のね。その辺を詳しく教えてよ」



 小首をかしげ、媚びるような目を向けてくる小柄な女に琴美は「入って」と呟くように言った。そのまま立ち上がりちゃぶ台へと退く琴美に人見は続く。


 おじゃましますと靴を脱いだ人見が、靴の置き場に困っていると、琴美は新聞入れにしていたプラスチックトレイを差し出す。人見は靴と傘を置き、窓を丁寧に閉めてちゃぶ台に座った。口を半開きにして顔を引きつらせている国崎に人見はウインクする。



「なんなの? 外国育ち? 人の彼氏にちょっかい出さないでよね」



 琴美の冗談には耳を貸さず、人見は瞬時に目の色を変えた。



「わかってるだろうが、土居琴美。出頭を拒む選択肢は無いわよ」


「それはわたしが決めることよ」



 二人は暫し睨み合っていたが、直ぐに人見が口を動かした。



「大した自信だね。あんた、あたしも瞬時に殺せる確信があるね」


「そういうことね」


「じゃあ五分だね」


「負け惜しみ言っちゃって」


「ほら、後ろに丘があるだろう? あそこのどこかから部下が、長ーい鉄砲でここを狙ってる。知らないだろうが、ここからあそこまでの距離は約三百メートル。あたしの部下の腕ならあんたの頭を撃ち抜ける距離だ」


「っそ! じゃああんたもおっさんの横に並んでもらおうかな?」



 人見は溜息を一つして、国崎のほうに向き直る。



「この子、あたしが誰だかわかってないの? 国崎君」


「琴美ちゃん。――こいつなんだよ、殺人集団の親玉の一人は。佐藤さんでも、多分躊躇なく殺してしまえる」



 琴美の目が一瞬狂暴に細められる。だか、二回の瞬きでそれは平静を装う目に戻る。その変化を観察していた人見は座りなおして続ける。



「殺人集団ってのはちょっと言い過ぎだけど、まあそういうこと。なあに、この豪雨だもの。長い距離の射撃でちょっと狙いが狂ってもおかしくは無いでしょう? あたしが死ぬよりはよほどいい。それともあんたの魔法で私の部下を探し出し、葛西のように腑抜けにする? 出来ないよね。そっちの射程は精々五メートルってとこでしょう」



 琴美がちゃぶ台を思い切り叩き、急須や湯のみが跳ねて床に落ちた。



「汚い。結局人はみんな汚い。土居と原田だって表面じゃ対立して見せてるけど、裏では結局手を結んだことくらい誰でも知ってるのに。誰もそんなことを言い出せないで、あたしばかりに辛く当たって。あんたにこんな苦しみわかる? 誰にも相手にされず、口も聞いてもらえず、いつも一人で……」


「だから殺したわけね。二十四年分の恨みを晴らしたってことか。そのおかしな力を使って」


「そうよ! 一体何がいけないの? あたしを罪に問うって言うなら、あいつらの罪はいったいどうなるのよ。あんな小さな、自分の子供をバラバラにしたり、立場を使って次々に女を虐待したり、銃を日本中にばら撒いたり、あたしを――。あんたの罪はどうなるのよ人見さん。勝手なことばかり言わないで!」



 琴美の大きな目から涙が溢れだす。口を結び歯を食いしばるその表情を見て、人見はまた溜息を漏らした。そして、大きなキャスケット帽を脱ぐと、かつらのフックを少し外す。


 そこからのぞいたのは、長めのスポーツ刈りだった。


 琴美と国崎は、目を丸くしてそれを見つめる。かつらはすぐに戻されたが、もうそこに居るのは、童顔の小柄な男が女装した姿にしか見えなかった。



「誰にも言うんじゃねえぞ。人見は生物学的には一時男だったってのは国家機密なんだからな」



 国崎はウインクを思い出して複雑な気分になる。


 口を開けた、ただらしない顔をしている国崎に人見は笑いかけた。



「でも、心は女だからさ、そこんとこ宜しくね国崎君」



 そういうと人見はすぐに琴美へと首を捻る。



「あたしはね、相撲が好きでね」


「だ……だから、何よ」


「今でこそ、改造やら注射やらで殆どの男はわたしに振り向いてくれる。けど、子供の頃のわたしはただの、こ汚ねえチビ男だったんだよ。だから、あたしは精一杯明るく振舞って、好きな男の子に相撲を挑んだんだ。そうすれば何とか気持ち悪がられずに、男の子に触れられるからね。切ない乙女心ってやつ」


「だから何?!」


「なんでもないさ。気持ち悪い、汚い、オカマと呼ばれたって、トイレを覗かれたって、男か女か調べると言われて教室でパンツを剥がれたって、どうってこと無い。あまり背は伸びなかったけど、警察の審査には通ったし、服のサイズとかも色々ギリギリだけど、まあそこまで困ることも無い。そしてラッキーなことに、薄気味悪い魔法で復讐のデリバリーをすることも無かったって訳よ」



 琴美は、何かから解き放たれたように急に笑い出す。



「説教ですか、オジサン」



 その目は外部の光を吸収するように黒く落ち窪み、急速に狂気を帯び初めた。



「あたしを一緒にしないで。そんな苦労なんか誰だってしてるみたいな理屈糞食らえだわ。不幸自慢になんの意味が有るのよ」



 琴美の鏡を覗き込んでかつらを調整していた人見も、視線を動かさずに何回か頷いた。



「うんうん。それ、あたしも飽きるほど言ったー。結局さ、それ、正解なのよね。過去の不幸自慢には意味が無い。人間性も立場も人格も全然違うんだから。問題なのは今な訳。そして今、あんたは何をしてるかってって言うと、連続殺人事件の容疑者にまで落ちちまって、あたしは一応警察官なんだよね。――わかったらさっさと葛西を解放しろよ。面倒くせえなこのクソガキが!」



 琴美の鼻に皺が寄る。後ろの引き出しの一つを拳で砕き突っ込んだ手が再び現れると、そこには大きな裁ちばさみが握られていた。



「ブッコロス!」


「やめろ!」



 喚く国崎に構わず、琴美は帽子を鏡で直している人見に向け、はさみを振り上げた。

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