マニピュレーター 6
人見はテーブルの端に座り頬杖をついて、人気の無くなった捜査本部を空ろな目で見回していた。香りのしなくなった禁煙パイプをクズカゴへ投げつけ、バッグから新しいのを取り出す。
「禁煙ですかー?」
ホワイトボードに人員の配置を書き込んでいた警官が、愛想笑いをしながら言う。
「えー……。 なんか好きだから咥えてるだけー。ほんとは飴のほうが好き」
ダイエットですか、と顔をほころばせる警官に上の空で答え、咥えていたシガレッポを唇と鼻で挟み込む。
「管理官来ませんね」
「ほんと。雨のせいか……」
人見の呟きと同時にドアが開き、大柄な男二人に挟まれるように、ひょろひょろの眼鏡が人見に笑いかけた。雨に濡れ眼鏡が曇っているのを見た途端、彼女の目が細くなる。
「遅くなって。佐伯です。人見警部ですね」
腰を低くして佐伯は人見の前に歩み寄る。人見も立ち上がって差し出された手を取った。
「はい。人見です。よろしくお願いいたします」
曇った眼鏡を取って、佐伯は本部長と書かれたネームプレートの席に着くなり、胸ポケットから万年筆を取り出し、メモ用紙にさらさらと書き出す。
『状況は把握しております。ここは私が。中尉はご自由に動いてください。まずは「フラン」にて待機を望む、とのこと』
人見が読んだことを確認すると、佐伯はメモを内ポケットに仕舞い込んだ。人見はゆっくりと立ち上がると、人差し指で佐伯の背中をつつきドアへと向かった。
「皆さーん、って言っても六人しか居ないけども。佐伯管理官が到着されましたので、以後管理官の指示に従ってください。私も現場で動きます。では管理官、何かありましたらご連絡を」
「はい、人見警部、お気をつけて」
人見は丸い顔に微笑を溜め、顔を佐伯に向けたままで芝居がかった敬礼をすると、ふっと背を丸め大股でドアへ向かう。
前橋から乗って来た黒のレクサスのドアを閉めると、思い切り左の拳で右の手の平を殴る。
「おせえんだよ、あのモヤシ野郎が!」
ふんと鼻から息を抜き、大きなバックからベルベットの黒い大きなキャスケット帽と同色のコートを強引に引っ張り出す。帽子を目深に被りコートを助手席に放り投げると、抜けきらない鬱憤を鼻から吐き出した。そのままキーを捻り、乱暴にアクセルを踏みつける。
「一体全体どうなってんだ。さっぱりわからねえじゃねえかよ」
顔を顰めてシガレッポを文字どうり握り潰し助手席に叩きつける。
表情を一瞬にして無にすると、状況を再確認してゆく。
夜とは言え、大怪我を負ったと思われる女性と死んでることが確実な少女が誰にも目撃されないまま失踪。
重大な第三者を示すはずの、佐久間のあてにならない証言。同じく国崎も。
どれも重みが無く宙に浮いたような情報ばかりだ。
混乱は『本来の任務』には好都合とは言え、事件が解決しなければ名目上の人見の立場、それ自体の仕事は終わらない。
「落ち着け、事実と嘘を丁寧により分けろ……」
人見は丸い目を細めると、口を噤んで運転に集中した。時折雨が強くフロントガラスを叩き視界が途切れる。街灯が一つまた一つと点灯していった。『フラン』の看板を見つけ敷地横の小さな駐車場に車を入れる。
「夜が来るか……くそう」
人見は、怪しく光るベルベットのロングコートに袖を通すと、冷たい雨の中、店へと走りこんだ。
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