エンゲージ 3



『どうしますか! 葛西が急に』



 現場の悲鳴と、国崎の動揺した生きづかいが指揮車に響く。人見の顔が引きつり、ロリポップを噛み割った。



「様子を見る。全員その場に待機。動揺するな、銃を向けるなよ」



 抑制が効いた声で命令する間にも人見の頭脳は回転を止めなかった。



――雨の中で、しかもピンポイントでガスを使うことは不可能。だとしたら何かを発射したか? 葛西の居たブロック垣越しではそれも考えにくい。確かな事は奴が窓を開けたこと、そして葛西が最短距離に居たことだ。


……声、か?



 思わず、賭けだな、と独りごちる。



 人見は、国崎への回線を開いた。



『なんとか窓を閉めてちょうだい。そしてなるべく開けさせないで。やはり彼女は手品を使うわ。あなたも十分注意して無理に説得はしないで。了解したらマイクを二回叩いて』



 国崎は人差し指でマイクを軽く叩いた。



『よし、後はこちらでやる。琴美と葛西から一センチでも離れて。それと――国崎君。いろいろ覚悟をして』



 国崎は一瞬躊躇した。首塚の地下で見た死体がくっきりと目の前に浮かび、その顔が琴美の顔に合成写真のようにすり替わってゆく。しかし、間も無く目の焦点を失った男が壊れたロボットのような動きで頭に銃を突きつけたまま部屋に上がり込んできた。国崎の指は勝手にマイクを二度撫でた。



「何を――、琴美ちゃん、この人に何をした」


「さあね。あたしにも良くわからないの。あたしにもよくわかんない」



 葛西は窓際で回れ右をすると、死体のような顔のままで外を向いた。そして琴美は葛西の陰にはいるように座布団へと戻り、テレビに目をやる。国崎は手を伸ばし、指先で押しやるようにサッシの窓を閉めた。すると琴美が鍵も、と要求する。ほっとした国崎は鍵を閉め、体を揺らしながら立っている葛西を見上げつつ、窓を離れた。



「気持ち悪い?」



 戸棚からスナック菓子を出して、それを口に放り込みながら琴美は呟く。



「何が?」



「あたし。わたし――と、その男」


「試すようなこと言わないでくれ」



 視線はテレビに向かっていた。国崎の胸には人見に感じたものとはまた違う怒りが沸いて来る。俺は何のために今日一日琴美を探し歩いたのか、全ては無駄だったということなのか、と奥歯をかみ締める。


 崖に古いロープ一本で吊り下げられた登山者のように、彼の自制心は危うくなってゆく。


 だが相手の正体が読めない。さっきみたいに抑制が切れてしまえばお仕舞いだということだけは、はっきりとわかった。ここは会話を続けるしか無い、と国崎は思う。



 雨音が一瞬激しくなり稲光が辺りを輝かせる。その光が数人の警官をシルエットで浮かび上がらせた。


 テレビに視線をやったまま、琴美は大きく息を吐いた。



「でも、まあわからなくもないわ。イラつくもんね、ウジウジした悩み相談されてもね」


「美月ちゃんは、どこにいった」



 琴美はその問には答えず話続ける。



「大丈夫、全部わかったわ。そう、私はこれがしたかったの。ずっと」


「美月ちゃんの力が手に入ったからやったのか」


「どうだろ。どうせいつかはやったのかも。嫌いになった?」


「どうだろう。君がやけになって嘘をついてる可能性もまだある」


「この人殺しが! ――とは罵れないか。状況がヤバすぎるもんね」


「今なら僕は琴美ちゃんの話を聞けるよ。このおっさんが立ってる限り、警察も来られなだろう。時間はある」


「悩み多き青年に、またご負担をおかけするのは気が引けちゃうわよ」


「話したくないならいいさ。そうやって拗ねてれば良い。でもそれも逃げなんじゃないか? いままでと何が違うんだ」



 奇妙なメイクを施した琴美の顔がゆっくりと国崎に向くのと同時に、イヤホンからその調子、という声が聞こえて来る。他人事かよ、と国崎は心の中で毒ずき、琴美の燃えるような眼光にギョっとした。



「いいわ。あんたには話さなかったもんね。でも薄々は感づいていたでしょう? 土居からも原田からも疎まれる立場に生まれながらに立たされたあたしって存在は」


「ああ。でもそれは庄野二郎と琴美ちゃんのお母さんの問題だ」


「ここのやつらは自分の鬱憤を何かにぶつけたかったの。産まれた時から栃姫に睨まれ、権力者には恐ろしくて反目できない。だからあたしに。それだけのことよ」


「なんでそれを受け止め続けたんだ。こんな田舎なんか捨てて、出て行けばよかった。なんでこんな所に――」


「復讐よ。他に何があるっていうの」



 琴美は立ち上がり、国崎を見下ろした。その瞬間、照明が落ち部屋は真っ暗になる。遠い雷が数回光り、瞬間、彼女の顔を半分だけを青白く浮かび上がらせた。せり出した眼球の周りに施された奇妙な黒いラインは金属のような光沢を放ち、べったりと塗られた唇の紅は血のようにヌラヌラと纏わりついている。その硬く握られた右拳が震えながらその胸にゆっくりと引き寄せられる。



「何が恋愛よ。セックスしたかった、それだけの事でしょう。浅はかなのよ、あの母親。そしてあのクズオヤジ。ここは明市なのよ。栃姫の怨念が今も力をもち人々の心を支配する魔窟なの。それをあいつらときたら……」



 琴美の口から吐き出される親への怨念は、真っ黒な気体となって小さな部屋に沈殿していくかのように思えた。国崎は恐怖と共に無力感に苛まれる。


 感情は、どんな盾でも防ぎようの無い重い気体。俺は豪雨の中でそれに巻き込まれている。



「そうだ、これは災害だ」



 国崎は声に出して呟いた。



「はあ? 何それ」


「それが俺にどう関係あるっていうんだ。なんで俺は今ここで君なんかと話している。馬鹿馬鹿しい。こんなことはお前らだけでやってろよ!」



 イヤホンから人見の声が聞こえるが、国崎はその意味を汲み取ろうとはしなかった。ただその目は琴美を睨み、右手は拳を作る。



「何もかも馬鹿馬鹿しいんだよ。殺人鬼を一日中探し回ったり、訳のわかららないとこに連れていかれて殺されそうになったり。一体なんのために……。見ろよ!」



 国崎はイヤホンとマイクを引きずり出すと、それを床に投げつけた。



「指揮を取ってるのは警察ですらない。内務課だかなんだかっていう秘密組織みたいな奴らだ。軍隊だよ。さっきだって八人殺したって笑いながら言ってた。俺はその死体を跨いでここに引きずって来られたんだ。琴美ちゃんの何がどうなったのかは知らないけど……殺されるよ」



 床に落ちたマイクに目を落として、琴美は呆然と立ち尽くす。肩を落としたその物悲しげな表情を見て国崎は堪らなくなり、彼女の腕にすがった。



「もう嫌なんだよ。人が死んだり血を見たり。君が殺されたり! お願いだよ、手を上げて外に出よう。そして罪を償おうよ。復讐はもう済んだだろう?」



 国崎の懇願にも視線を動かさず無線機を睨んでいた琴美は、突然膝を折って国崎に顔を寄せた。ゆっくりとその口は横に引かれ、目を細める。それを見た国崎も表情を緩めるが、その微笑は瞬時に消え去った。



「薄い。なにそのぺらっぺらの良い子ちゃんぶり。青春なの?」



 そのまま琴美に覆いかぶされられ、国崎は床に押し倒される。ひどいメイクの顔が近づいてそのまま唇が合わさった。



「あんただって、何も変わらないじゃん。あたしと、やりたかっただけだろ。どお? 満足して貰えてたかな?」



 琴美は国崎の胸倉を掴み上半身を起こすと、背中に体を密着させて国崎の体をまさぐった。



「なにするんだ、やめろ」


「勘違いしないでよ。――あった」



 探し当てたアンプとマイクを繋ぎ、イヤホンを耳につけると琴美は少し微笑んだ。



「聞こえてる? 偉い人」


『ああ。土居琴美か』


「ジジ臭い声。がっかり」


『国崎君とそちらに行った警官は無事なんだろうな。そちらの要求があれば聞こう。欲しいものはあるかね?』


「何人で囲もうがあたしには敵わない。立ってる警官見えるよね? 全員こうなるわよ。面倒だから全員で突撃してきな――」



 突然、拡声器の声が琴美の声を遮った。



「おーい、土居琴美。聞こえる? 聞こえてたらこっち見てみなよ」

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