エンカウント 2

 その古いスーパーのこじんまりした駐車場には、十五分で到着した。途中の短い駅前通りからほんの少し東側に立つそれは、両側を新築のビルに挟まれ片身が狭そうに見えた。



「ここ。琴美が働いてる店なんだ。スーパー佐藤」


「ああ、そう。言っちゃ悪いけど、ちょっと古い感じだね」



 春野の感想には上の空で国崎は車を降りると、小走りに店内へ入っていく。春野も急いでそれに続いた。古いスーパー独特の、冷蔵設備からだろう、生臭いような重く冷たい空気が充満した店内には客が数名居るだけだった。時間も十二時過ぎだし立地も悪くは無いはずだが、と春野は思う。



「春野さん。ここの社長さんです」


「なんだ、記者さんって言うからてっきり男の人かと思ったぞ」


「お忙しいところ恐縮です。『コンタクト』の春野と申します」


「ああ、ご丁寧に名刺まで。持ち合わせが無くて……」


「いえ、かまいません。でも、ここでお話は……」


「ああ、奥の事務所に」



 灰色の事務机と棚、黒いビニールのソファーと色褪せた造花が妙にマッチしているな、と春野は思わず頬を緩めた。


 国崎は緊張した面持ちで入り口近くに立っている。


 疲れた中年のお手本のような顔に黒縁の眼鏡をのせ、痩せっぽちの「社長」はオーバーサイズの蛍光ウインドブレイカーが擦れる音を立てながら春野の正面に座った。



「あんまり言いたくは無いんだけどね。琴美ちゃんは、父親がね。――庄野のとこの御曹司なんだよ。ほら、柔和の重役の庄野二郎」


「じゃあ、土居家の琴美さんが、庄野の? でも柔和側とは対立を」


「まあ、惚れたはれたの話なんで、理屈じゃないのはわかるけど。琴美ちゃんのお母さんは――桜子って言うんだけど――その一件で土居とは絶縁状態にされて。それなのにねえ。庄野の二郎って奴はひどい男でね。桜子さんいつも顔を腫らしてたんだ。そのうち琴美ちゃんが産まれたんでね、あいつも腰を据えるのかと思ってたら、政略結婚っていうの? 結局、原田の家から嫁さんもらってさ。桜子さんは放り出されちまって。どちらからも疎まれる格好になっちまった」


「清子さん……ですね」


「そう。でもやっぱりDV癖はそのままで、清子さんもお子さん亡くしちまって。全くどうしようもない男だよ二郎ってのは」


「それで琴美さんは……」


「ああそうだ、脱線しちまった。俺はそんな下らない争いなんか嫌いだからね。桜子さんは高校時代、同じ部活の先輩だったりしたから、琴美ちゃんにも働いてもらってたんだ」


「ああ、なるほどそうなんですか。それでしたら、もしかしたら琴美さんの行きそうな場所に心当たりは」


「そういう複雑な立場だからねえ。わかるだろう記者さん。友達っていうのも作りにくい。知ってるところは国崎君も知ってる。他に居場所って言っても……」


「つまり、その、村八分みたいな?」


「まあ、そういうことだな。だからさ、この国崎君とお付き合いするようになってから本当に笑顔が増えてね。俺もさ、嬉しくてさ……」



 社長は薄っすら涙を浮かべはじめた。春野は眼のやり場に困り、国崎に視線を向けたがそこにも半泣きの男が突っ立っていた。



「……だのに、一体どこに行っちまったんだ。無断欠勤なんて一度もしたこと無いのに、電話もよこさねえで」


「なるほど、そうですか。いえ、お忙しいところにお邪魔してしまって。有難うございました」


「え? こんなんでいいのかい」


「はい、大変貴重なお話でした。有難うございました」


「ご面倒をおかけしますが、琴美ちゃんをよろしくお願いします。国崎君もな」


「はい、社長」



 春野は、連絡があったらお知らせくださいと言いつつ、ぐずぐずしている国崎の背中を押しながら店を出た。



 運転席に収まってもなお鼻を啜っている国崎にティッシュを投げる。



「泣いてる暇無いよ。カレシ」


「うん。わかってるけど」


「社長さん多分親代わりって感じだね。きっと圧力かかってたでしょうに、強い方だわ。その人になんの心当りも無いなら、後は君だけってことになるよ。なんか無いの?」


「俺だってほんの数ヶ月前にこの店で会ったのが最初で」


「八方塞がりか」



 仕方ない、と言うと春野は携帯を取り出し、警察に電話をする。



「新山さんはいらっしゃいますでしょうか? 春野と申します。――お願いいたします」



 電話を押さえると、居た居たと言いながら国崎に笑って見せる。



「あ、お忙しいところを。――はい、源一郎の姪です。その節は伯父がお世話になったようで。――それでですね、一つ清子さんの件で情報があるんですが。――わかりました。駅前通りの?……「フラン」ですね。はい、後ほど」



 ティッシュを掴んだまま、電話を呆然と聞いていた国崎は、すげえなと呟く。



「記者だから」



 自慢げに鼻を上げる春野をみて、国崎はやっと笑顔を取り戻した。



「いやいや、伯父さんっていうのがすごいんじゃないの?」


「ある意味ね。まあ真っ当なサラリーマンじゃないけど」


「フリーってこと?」


「フリーはフリーなんだけどね。お金を貰う先が……取材先だったりもしたり」


「それって……かなりヤバイ人ってことだよね?」


「あんまり威張れたことではないかなあ」



 苦笑する春野を渋い顔で一瞥すると、国崎はアクセルを踏み込んだ。大きなピンク色のボディは瞬く間にスピードを上げる。小さく地味な琴美とは真逆の派手な造作を持った得体の知れない女性と高級車でドライブか、と状況を再認識すると、昨日のことが嘘のようにも思えてくる。



 あの渋滞に引っかかったのが。


 最初からバイパスに抜けていればあんなことにはならなかったのではないか? 事故のことは忘れ、琴美にも言わなければこんな事も無かったのではないか? と後悔が沸いて来る。



 なにより、琴美の悲惨な身の上に寄り添ってやれなかった自分に腹が立った。気が付けば、後悔てもしきれない過去の過ちが巨大なオベリスクのように、国崎の胸にそびえ立っていた。



「どうしたの?」



 春野が覗き込んで来る。



「いや、なんでも無いよ」



 国崎は眼を瞑り首を振りたい衝動を抑えて、青く澄み渡った空と黒い道を凝視した。

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