マニピュレーター 3

 婦警の指し示す映像機器とステレオ、ソファーだけが置かれた部屋には、白い、人型に置かれた縄と、大量の血痕があった。更に奥の部屋には佐久間が居るのを気遣ってだろう、数名の鑑識は静かに仕事を進めていた。



「奥の扉、ウオークインクローゼットの所で襲われ、ボタンがはじけ飛ぶ。そしておそらく、廊下へ続くこのドアまで逃げた。悲鳴を聞いた佐久間さんは、ウオークインから、この位置で犯人の女が犯行に及ぶのを見ていたということです」


「ははあ。このクローゼットも隣の部屋に繋がってるわけか。んで佐久間さんはあっちの部屋からこの扉ごしに……」



 高見沢がゼスチャーを交えながら事件を再現し首を傾げる。



「二郎さんは何歳だった? 奥田」


「四十八歳ですね」


「体格の良い四十代の男を、細い女が襲うとしたら」


「そうですよね。何をするにしても、まず忍び寄って背中をぶすりとやるでしょうね。それに傷です。三本の傷が平行に下腹部から胸辺りまで続いてたんですよ。それも陰部から切り上げるなんて」



 婦警も首を左右に傾げる。タブレット端末で報告書を見ながら奥田もそれを真似る。


 現場を出て、廊下奥のドアを婦警がノックすると、中からか細い声がはいと返事をする。


 高見沢に背中を小突かれた奥田が柔らかい声で話しかける



「失礼いたします。佐久間さん、すいませんが署まできていただけないでしょうか」



 ベッドに腰かけレースのカーテンが引かれた窓に向いていた女性がゆっくりと首を回した。表情の無い顔に焦点の合わない目が嵌め込まれたマネキンのようなそれを見て、二人は少し眉を顰める。



「大変なところを真に申し訳ないのですが、お話を伺いたくお迎えに。それに、まだ犯人が捕まりませんもので。御身の安全のためにもどうか」



 奥田は幾分固くなったかな、と自分の言葉を反省したが、彼女はそのまま立ち上がり素早くジャケットを羽織ると、行きましょうと呟く。高見沢は頼むと言い残して、車に走った。佐久間は婦警に支えられながらも、案外しっかりした足取りで玄関へと向う。



「どうぞ。頭に気をつけて」



 婦警も慣れた様子で佐久間を車に乗せると、傘をたたみ自分もその横に体を滑り込ませる。高見沢がよしと呟いて車を出した時、突然嗚咽が車内を満たした。しかし婦警は、冷静にその背中を摩りティッシュを差し出す。



 ――ね? よかったでしょう?


 ――お前の判断は正しかった。



 二人の男は顔を見合わせ、無言のまま頷きあった。




 署に着いた高見沢と奥田は、応接室へ佐久間を案内する。まもなく人見と新山が応接室へ入ってきた。



「本件捜査本部副本部長の人見と申します」



 深々と礼をして、佐久間の前に座るや、人見はいつもの鋭い目のままで話し始めた。



「率直に申し上げて、不可解なところがあるんですよね。まず女の犯行だったということですが、巨漢とも言える二郎氏がどのように殺されたのか、あなたの見たままをお伺いしたいのですが」



 佐久間の息が急に速く浅くなってゆく。すかさず婦警が背中に手を置いて、息の調子を整える。



「はいゆっくり吸って、一度止めましょう。はい、ゆっくり吐いてください」



 年の割りには若く、整った目鼻立ちの顔に血の気が戻ると、佐久間は咳き込みながらも話し出した。



「急にガラスが割れる音がして。私、ちょっとの間怖くて動けなかったんです。そうしたらあの人の声がして。私クローゼットに入って奥のオーディオルームのドアを開けたんです」


「なんて言ってたかわかりますかね?」


「確か、庄野は。お前かとか、許してくれとか……だったと」


「それは午前十一時頃ですね?」


「はい十一時少し前です。あの人は十一時半に工場へ着くようにいつも準備してますから」


「それで、ドアを開いた時二人はどうしてましたか」


「あの人は部屋から廊下へのドアノブに手をかけていて、後ろから女があの人の首を押さえていて。私が声を上げると、女があの人ごと振り向いたんです。左腕をあの人の首に、右手には……その」


「凶器ですね」


「はい。なんて言うのか、忍者映画で忍者が手にはめてる、爪のような」


「ああ、手甲鉤だ!」



 高見沢が叫ぶと、人見が顔を顰めた。



「そういうもので、あの人の、その……股間を」



 今度はその場に居た全員が顔を顰める。高見沢がその顔のままで続ける。



「でもねえ、佐久間さん。ああいうものは人体に簡単に刺さるものではありません。まして、身長の低い力の弱いだろう女が、男を押さえつつ体を切り上げるなんてことは」


「でも本当なんです。女は私の顔を見て……あの人の背中に隠れて顔が半分しか見えませんでしたけど。笑ってました。まるで幼い子供が悪戯したようなでたらめなメイクで。狂ってるんです! そうだわ、すっかりおかしくなった顔でした。私を見て。笑って。ゆっくりと、そのなんとか鉤を引き上げ、あの人が苦しむのを楽しんでいたんだわ。断末魔をあげたあの人がぐったり崩れ落ちてしまった後もあの女は止めなかった。ゆっくりと……」



 一気に話終えると佐久間は顔を手で覆った。人見は、それに構わずタブレットをテーブルにのせる。強引な引き伸ばしで多少不鮮明ではあったが、国崎の携帯から取った土居琴美のはにかんだ笑顔の写真だった。



「犯人は、この人物だったでしょうか」



 佐久間は顔を覆った手をゆっくり滑らせ、鼻頭を両人差し指で挟むようにしながら、写真へと視線を落とす。ややあって、その首は少し傾げられた。



「わかりません。断言できません。輪郭はそんな気もしますが。――シャドーで目の周りは真っ黒に塗りつぶしていたし、口紅はもうピエロのように真っ赤で……」


「そうですか。じゃあ、その他に特徴はありませんでしたか? 宝飾品や靴、声やほくろとか」


「何もつけていなかったように見えました。靴も白ベースのピンクラインが入った普通のスニーカーだったと思うし。でも、あの声だけは」


「声ですか」


「まるで興奮した小さい子供の笑い声。悲鳴にも似た耳に刺さるものでした。見た目との違和感といったら、もう」



 佐久間は再び顔を覆った。四人はその場を婦警に任せ、捜査本部が置かれる大部屋へと移動する。

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