マリオネット 6



「終わったようだ。さあ、出よう。まだガスが残ってる、ハンカチを使って」



 新山に促され、二人は大倉庫へと向かった。そこでは十人ほどの黒い戦闘服を着た男達が支柱に何かを取り付けている。新山が目をしょぼつかせながら外を指差すと、ガスマスクを付けた小太りの男が首を縦にふり、同じ方向を指差す。三人は咳き込みながら、綺麗に三箇所ずつ穴を開けられ横たわる死体を三つ跨いで、外へと続く階段へたどり着いた。



 まもなく戦闘服達もガスマスクを脱ぎながら、ぞろぞろと地下から出てくる。国崎は、その中でひときわ小柄な、独特の猫背を見つける。



 ――人見だ。あの女の歩き方。



 新山は次々と三人の前を通る黒い戦闘服の男達に、まるで草野球が終わった後のような調子で、嬉しそうに「お疲れ」と声を掛け続けた。


 怪我をした二人が、肩を支えられながら地下倉庫を出ると、コードを引きずりながら最後の二人が現れる。大柄な一人がマスクを取った時、春野は思わず大口を開けてしまう。



「……鞍馬……さん!」


「ああ、春野さん。ご無事でなによりでした。おーっと!」



 金堂は、膝の力が抜けてその場に座り込みそうになる春野を受け止める。



「ホテルどうでした? まあまあだと思うんだけど。あ、それより体調よくなりましたか。なんか心配だったんだ」



 ――そういう問題じゃないでしょう!



 声を限りに叫びたかったが、春野の口から出たのは、溜息とも返答とも付かない「はあ」という音だけだった。



「十分後に爆破。時刻確認。周辺警戒四名配置に付け。その他はけが人を伴い車内にて待機」


 小太りの男が命令を発し、戦闘服達は声も発さずに散ってゆく。



「負傷者二名、か」



 小太りが顔を顰めながら新山に言った。



「敵は八名。上出来だと思います」


「うむ。そちらが人質のお二人か?」


「はい」


「本当に長い間ご苦労だった相模。車を工場裏手に用意してある。暫くはゆっくり休暇を楽しんでくれ」


「旨いタイカレーでも食って大人しくしております。金堂、大尉を頼むぞ」


「はいはい、わかってますって、先輩。オツカレッシター」



 それだけ言うと、新山は短く周囲に敬礼し、車のカギと傘を受け取ると一人で闇夜へ歩き出した。



「そして、お二人。こちらへ」



 残された春野と国崎は金堂に肩を押されて、小太りの男の後からグレーのミニバンへと押し込まれる。


 ドアが閉まると、金堂は嬉しそうな顔のままで二人にタオルを渡す。



「はい春野さん、国崎さん。いやあ酷い降りですよねー」



 小太りはその様子を見て、鼻から息を抜いた。



「さって。まず春野、さんだね。相模、いや新山から聞いてるとは思うが、ここは黙って手を引いてくれ」



 春野はタオルで頭を拭きながら金堂ばかりを見ている。金堂も顔を顰める。



「これもお仕事ってやつだからさ。そんなに睨まないで、ね?」


「ちょっと……」



 春野は上瞼を少し下ろし、タオルを腿に叩きつける。



「ニイヤマさんだかサガミさんだかが言ってたわ。あんた達が『エクリプス』だって。公安内務課なんて、事務員みたいな名前に変えたって、つまりは戦時中の特別高等警察のリバイバルなんでしょう? 21世紀よ、もう。ふざけてるの?」


「エクリプスなんて名乗った憶えは無いんだが……まあ話が早いな、春野さん。で、どうするね?」


「あたしが、そんなもん相手にガチンコでやり合う記者魂持ってるように見える? 記事書いたところで署名もさせてもらえないような地面を這いつくばってる身分で『エクリプスの実態』とかいうトンチンカンなもの書かせてもらえると?」



 腕を組んで背を反らしながら、饒舌に語るその声は振るえていた。明白な虚勢に金堂は再び顔の筋肉に力を入れ、歯を見せる。



「じゃあ、ここは引いてくれます? 春野さん」


「当たり前でしょ。じゃないとあんたら、わたしを殺すでしょう? 汚らわしい殺人鬼」


「そんなことは無いよ。嫌だなあ」


「あなたが、私を! わざと……巻き込んで……」



――え?



 突然に春野の頭の中で何かが繋がる。


 どうして昨日なのか。どうして原田猛が地元入りする昨日なのか、どうして昨日原田家事件が起こり、私がこの大男に呼び出されたのか。いや、そもそも私なのか? 源一郎叔父を?



「……あなた達ね」


「なにが?」


「あなた達が美月ちゃんを殺したんだ!」


「いやいや、殺したのは清子らしいよ?」


「その清子は宗教だか占い師だかに傾倒していたと聞いたわ」


「ああ、そうだっけ? そういう細かいことは……人見さんに聞かないと」


「人見?」



 笑顔を作ってもなお、刃のように鋭い金堂の顔を改めて見た時、春野の混乱は一気に怒りと自己嫌悪へと収束した。



 ――いつもそうだ、わたしに向けられる優しい笑顔は、次の瞬間にはもう嘲笑と裏切りに変わってゆく。結局は、一人で冷たい「外」に取り残されるしか無い。「内」に入れてもらえるような価値は私には無いんだ。



 春野は拳を握って思い切り自分の腿を叩きだす。



「もう下ろしてよ! 新山さんの車に荷物もあるんだから! もう沢山よ! 私をほっといてよ!」



 急にパニックを起こした春野は、車の扉を開けようとする。国崎はそれを必死に押し留めた。



「落ち着かないと、又発作が。話を終わらせないと、ね、春野さん」



 小太りは笑った。



「じゃあくれぐれも頼みましたよ春野さん。この一軒については全て他言無用。いいですな。勿論タダでとは言いません。逆に今後、別件で、でもご協力願えるならそれなりの報酬も出します。帳簿に載せなくても良い金でね。興味があればご連絡下さい」



 小太りが名刺大の紙を春野に差し出す。そこにはメールアドレスと十八桁の記号が書いてあった。



「そのアドレスに記号だけのメールを頂ければ、折り返します。ああ、アドレスは一度しか使えませんので、お間違え無いように」



 春野はそれをもぎ取るように受け取ると、小太りを睨んだままで国崎に言った。



「わかってるわよね国崎君。気をつけて。こいつら普通じゃないわよ。良く考えて行動してね」


「はい、春野さん……」


「色々ごめん! 国崎君!」



 春野は逃げるように車を飛び出した。ぼうっと街灯の光を受けて浮かび上がる新山のワンボックスへ走ると、力任せにスライドドアを開きバックと傘をひっぱる。ショルダーとハンドバックを下げ、春野はまた駆け出した。



「おつかれさん、走って逃げろよ、もうすぐ爆破だ」


 


 黒い車から女の声がする。



「だれ……」


「最初は無駄だったと思ったけれど、いい魚を釣り上げてきてもらった。手間がはぶけたよ。礼を言う」



ーー小さくて、かわいい顔。



「バイバイ、春野。良い夢を」



――こいつが、人見……



 ミニバンの排気音に、追われる気がして、急いでその横をすり抜けると、遠くの明りを目指し走る。やがて排気音が雨音に消されると、胸の奥から言葉が溢れて来る。



――お粗末。担がれてばかり。お前は道化だ。


――子供のように泣き叫んで逃げることしか出来ない。価値の無い愚か者。


――最初の啖呵はどうした? 何が「私の仕事」だ。


――可哀相な国崎。お前が調子に乗って引っ張りまわしたせいで。彼は殺される。



「うるさい、うるさい! なんなのよこれ! はじめから全部、全部仕組まれてたんじゃない!」


 


 水銀灯の下、春野は傘とバックを道に放り出して天を仰いだ。そしてゆっくりと膝を折りアスファルトに突っ伏すと、声を上げて泣いた。



「ばかにして! どうしろってのよ。何も出来るわけ無いじゃない。力なんて無いのよ。そんなことはわかってた。ずっと……ずっと前から」



 奮発して買ったスプリングコートの背中を雨が狂ったように叩く。髪から滴る雨が涙と一緒にアスファルトに落ちる。大きく口を開けた心の穴を更に抉られたような衝撃に、春野は顔を上げることも出来ず、咽び泣いた。



 満与の言葉が不意に蘇る。



――人間とは、ただ王に仕えるだけの存在なのか。王たるものに可愛がられる方法を血眼で探すだけが人間の在るべき姿なのか。ただ殺されないために完膚無きまでに叩きのめされてもなお、慈悲を得ようと薄ら笑いを浮かべ続けなければならないのか。ならば何故、神は人間に心を与えたのか。ただ蟻のように女王に仕え働き続ける存在なら。



 不意に右の茂みに気配を感じ、春野はバネ仕掛けのように飛びがある。そこに緑色の光が走り、光る髪が靡いている。


 春野は意識が飛んでゆくのがわかった。


――もう限界だ。あまりにも、強烈すぎる。



 暫くして傘が春野に落ちる雨を遮った。



「大丈夫ですか?! どうされました」



 若い男の驚いた声が上から降ってきて、手が差し伸べられる。春野は一度息を吸い込み、その手にしがみついた。



「うわあ、ずぶ濡れじゃあないですか」


「あ……車が、その」


「故障ですか。さ、とりあえず中に入りましょう」


 見上げれば門柱には柔らかな光に浮かぶ『柔和軽金属』のプレートが掛かっていた。

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