国崎 5

唐突に襲った強い疑念は、国崎の重い腰を浮かせた。



「俺、ビール買いに行ってくるけど。なんか買うものある?」


「じゃあ、ペットボトルのお茶と食パン」


「OK」



 部屋を出て車まで歩くと、妙な安心感がはっきりと薄れていった。バイパスまで出ると車を駐車場に入れて携帯を掴み上げる。


 原田宅の電話番号を調べ掛けると、予想に反しワンコールで受話器は上げらる。


 若い男の声が原田宅、とだけ告げる。


「ええと、あのお。夜分にすいませんが――」



 背後に喧騒が聞こえる。写真を撮れ、ここの指紋は……。



 ――警察だ!



「ああ……、間違えました。ごめんなさい」



 咄嗟に嘘をつくと、相手はなにも言わず電話を切った。



「やべえ。家宅捜索ってやつかよ?」



 コンビニへ向かいながらも、国崎は圧迫感に圧倒される。誘拐、じゃないよな、でも現場に行ってわざわざ子供だけ連れてくるとかおかしいだろ、と思考が渦を巻く。怪訝な目で顔を覗き込むコンビニ店員に薄笑いし、暗い車内に戻ると、後に気配を感じる。振り向いてもそこには誰も居なかった。国崎は頭を掻きむしる。



「いい加減にしれくれよ!」



 国崎の叫びは誰も居ない車内に吸い込まれ、本来の黄金色を取り戻しつつある月だけが、あざ笑うように見下ろしている。後部座席の闇はいよいよ深く重くなり、国崎の背中にのし掛かってくる。


 思わず携帯電話を取り上げて琴美をコールした。



「なあに? いつものパン無かったの?」



 と変わらない声が電話から鳴ると、国崎は勤めて平静を装いつつ、声を低くした。



「ああ。いやそうじゃなくて、ちょっと寝室に移ってよ。原田さんとこに電話したんだ」



 引き戸が開き、そして閉まる音がする。



「で、どうだった?」


「警察みたいなのが居たよ。指紋だの何だの言ってた」


「え! じゃあなんか事件?」


「交通事故で家ん中調べるかなあ?」


「どおする?」


「どうって……警察に連れてくしか無いよ。誘拐犯とかにされちゃったら」


 突然ゴツンと音がすると、引き戸を開け閉めする音がする。


「琴美ちゃん? どうした。琴美ちゃん!」


 国崎は携帯を助手席にほおると、慌ててアクセルを踏み込む。


 何を考えていたんだ、なんであんなモノと二人きりにした、と自分を責めた。



 ――自分の行動もひっくるめて、まるで夢のストーリーを追ってるみたいだ。なんだこれは。



 アパートの駐車場へ乱暴に車を入れると、転げるように車を降りた国崎は玄関扉を目がけ走った。蹴上げた砂利が金網フェンスに当たり音を立てる。だが、一歩、又一歩と進む度、力が何かによってそぎ落とされる。体中の強張りは結んだ紐が解けるように抜けていき、気が付けばコンビニの袋をぶら下げて、ゆっくりとドアノブを回していた。



「ただいま」



 そこには、さっきと変わらない光景があった。夕食の食器が片付けられ、代わりにビスケットとポテトチップが入ったボールがちゃぶ台にのせられている以外は。



「お帰り。お茶ちょうだい」


「うん」



 テレビからは、お笑いタレントの声。


 少女と琴美の視線はそれに向けられ、まるで写真のようにその顔に笑みが張り付いている。


 国崎の視線もテレビに向かい、やがてその口から笑い声が漏れた。



  ――この子も笑ってる。なんにも無かった。なんにも無いならいいさ。



「うは、あははは」



 突然、自分の笑い声が耳に響いた。我に返った国崎は、照明もテレビも消えている部屋を見回す。握ったままだったビールの缶は、もう生ぬるくなっていた。慌てて琴美を確認すると、彼女はまだ真っ黒い画面を見たまま口元だけ笑っている。


 そして、あの少女の姿は無い。



「なんだこりゃ……」



 呟き終わるのと同時に、テレビが突然エラーメッセージを灯した。



『信号が受信出来ません。ケーブルの接続を確認してください』



「琴美ちゃん!」



 呼びかけても、琴美は時折くすりと笑うばかりで、反応が無い。


そして、テレビのエラーメッセージが消え、画像が映る。


 国崎は、頭から血が引くのを感じた。それは紛れも無くあの事故現場の映像だった。


 少女は右側からゆっくりとフレームに入ってくる。


 その大きな瞳は、黒曜石のように輝き、しっかりとこちらを見ている。



「お前は、何なんだ……」



 少女は顔を上げると、空ろな眼光を八方に放ちながら口元を緩めた。やがてそれは幼児のような声色で、たどたどしく言葉を発した。



「おし、まい。はじ、まり」

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