ブラッドスピア 4



「フラン」の地下室に駆け込むなり、人見は上田の肩を抱き壁際へと引きずった。


「大尉、作戦は中断だ。今回は原田を諦めよう。専用衛星回線だけ開いて、警察との情報交換はやめよう。全員完全武装で待機。取り合えずは撤退を第一に考えないと。道はダメだろうからヘリを呼んで――」



 上田は、待て待て、とその言葉を制した。



「何があった? 土居琴美は仕留めたんだろ? なにを慌ててる」



 人見は眉を上げ、大きく呼吸をすると、パイプ椅子を引っ張ってそれに座る。葛西の奇行。琴美が最後に発した謎の行動を説明し終わると、上田は腕組みをして、口をへの字に曲げた。



「あれは突然変異の超能力者か、幽霊の類のバケモノだ、多分史上初のバケモノと治安機関の交戦」


「お前みたいな?」


「殺したからわからない」


「殺さないほうがよかったな」


「うん。でも殺さないと止まらなかった」


「それで、訳のわからない音が響いてサイレンが鳴ったのか」


「あ、ここって防音だった。――そりゃもう、怖いのなんのって。怖くてほら」


 人見は少し流れたアイシャドウを指差した。



「それは酷い。早く化粧を直せ」



 そう言って上田は少し笑うと、立ち上がり命令を発する。



「権田の一斑と倉田の二班は、装備を隠し市中の状況を偵察に向かえ。なにか見つけても近寄るな。人見と金堂も引き続き外の様子を。残りは武器を準備して待機。以後の通信は衛星回線のみ。警察無線には何もリークするな。以上」



 口いっぱいにハンバーガーを詰め込みながら、マシンガンの準備をする人見を金堂は笑って見ていた。



「下品な武器は要らないんじゃなかったんですか、中尉」


「しょうひょうが、かはれは そうひもかはる……これ必定」


「はい、喉詰まらせないでください? 9㎜も4箱仕入れました」


「よし、行くぞ」



 マシンガンのボルトを引き銃を軽く叩くと、銃口を下げ背中を軽く丸めた姿勢で人見は大股で歩き出した。





 斉藤は施設の送迎用ミニバンに乗り込み警察署を目指していた。座席の下に押し込めた槍が、路面の荒れを踏むたびにガタガタと音を立てるのが気になる。


 何かを感じ、後ろを振り向くとそこには少女が居た。


 無表情の顔が窓から差し込む街灯の光に一瞬照らされる。



「瞳さま」



 斉藤は呟いた。



「満与さまのお言葉を疑うわけでは無いのです。ただ、私がしていることに些かの迷いがあることは確かです」


「斉藤さんは、良くやってくれています。わたしが事の成り行きを満与おばあ様に話したのも、手紙を書いてもらったのも、おばあ様が少々変わられてからのことだったのに。よくぞ信じてくれたと、感謝しております」


「いえ、それは私の意志ではなく栃姫様への信仰の表れでございます。お言葉を頂くなど勿体無いことです」


「ありがとう。私から直接説明できる機会があって嬉しいです。あなたは正しいことをしています。妹……あれはもう心を持ってはおりません。いや、残っているとすれば、殺害された時や、虐げられた年月の記憶、その怒りだけでしょう」


「御労しい。それは、災いをもたらすのでしょうか?」


「はい。私は幸いにあれに無いデータを持っている。そうである以上、私にはただの破壊装置になるしかない美月を放置できないのです。方法を人見に提示し判断を任せなければなりません。それが摂理です」


「人見なる人物は、判断を下せましょうか? 目的を果たせましょうか? いや私が携えるこの槍には……」


「その槍には血を溜める溝が掘ってあります。鬼となってしまった栃姫を滅ぼしたのも、親族の血が込められたたその槍でした」


「はい。その伝承は存じております。ただ、それが今回も……」


「わかりません。ですが原因は遠い過去から積み重ねられ、結果も既に未来に在ります。我々は選択し、成すべきことを成せばそれでよろしいのです」


「出すぎたことを申しました。お言葉のままに」



 斉藤は返答を期待したが、答える者は既に無かった。バックミラーには暗いシートだけが映し出されている。彼女は姿勢を直し、咳払いをすると、前方に集中した。



 幾つかの信号の無い交差点を過ぎると、道は東西に走るバイパスにぶつかる。それを右に折れれば、警察署までは十分とかからない。信号で停車した斉藤は三ブロック北側にある病院の大きな十字を見ていた。時間は十一時を回っており、周囲の家は窓から漏れる灯りも少なくひっそりとしている。


 洪水警報のためか、ついさっき轟いたサイレンのせいか、道に人影も無く、大きな水溜りが鏡のように交差点の様子を映していた。



 ふと交差点の奥を見ると、赤十字病院の方から家の灯が次々に灯って行くのが見えた。まるで誰かがスイッチを押しながらこちらに歩いて来るかのようなその波に続いて、小さく人の怒号や悲鳴が聞こえ始める。胸騒ぎを感じた斉藤は、信号を見上げた。



 考え始めたことを否定する。成してきたことの重さを振り返り、槍のことだけを考えるのだ、と自分に言い聞かせる。だが、その視線の先には、既に多くの人影が見えていた。


その内の数人が車を指差し、一直線に駆け寄って来る。



「施設の奴だ! 原田の腰巾着め、やっちまえ!」



 斉藤はその声を聞いた途端にアクセルを踏んだ。仕方が無いと覚悟を決め赤く灯る信号の下でハンドルを切ると、衝撃と共に車の後ろが横に飛ばされ、視界が百八十度回転した。



「しまった!」



 衝撃音とガラスの砕ける音の中で、斉藤は叫んだ。慌てて後ろを振り返るが、リアハッチは吹き飛び、車の右側が内側にめり込んでいる。エンジンを吹かすが車は進まない。


 男達はすぐそこまで迫っていた。斉藤は槍を抱えて車を降り、歩道まで走った。包丁やスコップを持った三人の男は、なんの躊躇も無く斉藤に襲い掛かる。



「あなた達は!」


「うるせえ原田の犬め! 栃姫の怒り思い知れ!」



 バットで肩を一撃された斉藤が道路に倒れると、あっという間に数箇


所を切り付けられ、そのまま気を失った。



「斉藤さん! なんでこんな……」



 目の前で叫んでいるのが春野だと気が付くまでに、斉藤は随分時間が掛かったように思えた。



「暴漢は……」


「誰も居ないです。斉藤さん襲われたんですか?」


「車……」


「潰れちゃってますよ。立てますか? あそこに病院があるから」



 斉藤は血に濡れた手を伸ばし進んだ。春野はその身体を横から支えた。



「病院行きましょう、ね。酷い怪我ですよ」


「春野さん、この槍を……」



 斉藤が指し示す長い棒を春野は取り上げた。



「これ? 槍……」


「これを警察の人見さんに……」


「ひ……人見?!」


「私は、この槍で……満与さんを殺しました。これを、よんで……」



 斉藤はブレザーのポケットから、和紙の封筒を取り出すと、全身の力を抜いた。



「ちょっと! 斉藤さん、しっかりして!」



 ぐったりした斉藤を何とか芝生まで引きずった春野は、斉藤の呼吸をを懸命に聞き取ろうとするが、無駄だった。がっくりと肩を落とす。



「斉藤さんも……」



 トボトボとピンキーまで歩くと、エンジンを掛け斉藤の側まで寄せる。警察に電話を掛けようと携帯を取り上げるが、斉藤が握ったままの封筒が気になり、車を降りてそれを取り上げると、シートに座って照明をつけた。


  


――時が訪れれば、お前は七葉を以ってわしを貫け。そしてそれを『審判者』の元に運べ。かの者の元へ七葉を届けるのがお前の役目。失敗も躊躇も許されぬ。それは即ち、この世の生きとし生けるもの全てへの責任である。その時、ヒミ様はそのお力をお試しに―― 



 春野は、突然横に人の気配を感じ、首を振った。開け放ったドアに手を掛けているのは、あのエメラルド色に輝く瞳だった。


春野から悲鳴が上がる。



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