人見 3



 殺風景な田舎道が人見と奥田を出迎えた。


 南側の山地が迫り、先には既にバイパスが見えている。ひび割れた古い舗装道路を挟んで右手には背の高い草が茂る荒地が、そして事故を起こしたと見られるドイツ製セダンは、左手の幅の狭い林に突っ込んでいる。



 路面から一メートル程低くなった地面には、車体が落ちた時にえぐった痕と車輪が作ったわだちが、はっきりと記されていた。比較的太い木に突っ込んで止まっている車のボンネットは跳ね上がっていたが、その他に傷らしい傷は見当たらない。



「つまり、スリップした車は反動で路面から、低地に落ち、なんらかの要因でアクセル全開であの木にぶつかった、か」


「奥田センセイのご見解は一理ある」



苦いものでも食べたような顔で奥田は新山の横顔に視線を移す。



「うちの交通課の見解を?」


「ええお願いします」


「大体同じですが、ここ、これは一回スピンして止まってる後だそうで」


「なるほど」


「勢いで突っ込んだんなら、下の抉り跡はもっと深くて遠いはず、だよね」


「はい、そこもなやみどこでして」



 人見は話に興味なさげに遠くを見る。



「あそこから奥、木が生えてないでしょう、湿地なんですよ」


 人当りのいい新山の声が、風に押し流されてゆく。


 そのまま、すいませんと言い残し、少し離れたところに停まっているパトカーへと歩み去った。



「なるほど、簡単には入って行けなさそうね」


「はい。道路の反対側は普通の野原みたいですけど、怪我をしながらこんな草丈の高い藪に入っていくもの考えにくいですね……この中で倒れてれば上から見えそうだし」


「そうだよね」



 人見は、上を旋回するヘリを見上げ、車道から十メートルほど先に突っ込んでいるBMWに目を移す。そのキッチリと眼の上でカットされている前髪が風に煽られて額が露になると、奥田はその横顔に一瞬見とれた。



「なあに? 私のおでこ見たいの?」


「いいえ! いや、申し訳ございません」



 真っ赤になって頭を下げる奥田に背中を向けると、人見はブレーキ痕へ目を落とした。


そのまま痕跡を辿って大通り方向へと戻ってゆく。



「警部はどうして警官になったんですか?」


 


後を追いながら奥田は何気ない風を装って質問する。シガレッポを手に持ちそれで指しながらタイヤの後を注意深く見ている人見は、それに上の空で答えた。



「好きな男が警察に居たから、かなあ」


「え?」


「あたし、イジメられっこだったからかも」



 奥田は口をつぐみ、咳払いをしてから続けた。



「これだと九十度ほどスピンして、新山さんのいう通りあそこで止まった。って感じですよね」


「うん、ここでブレーキ。長さから速度とかわかるんだっけ?」


「そうですね」


「交通課だった? でもさ、これはあのでっかいBMWのブレーキ痕じゃないよね」


「はい、こっちはおそらく軽か小さくて軽い商用車」


「じゃあ、BMWはノーブレーキで突っ込んだのかな?」


「いえ、ずっと手前に、ブレーキ痕がありますので。最終的にこっち側の跡ですね。テールスライドで止まったのかと。まあ専門家ならすぐにわかります」


「ふーん」



――あれ? この人、わかってないぞ



 奥田は咄嗟に思ってしまうが、素振りをみせないように態度に注意する。



 口を尖らせて道路の反対側を見ていた人見は、踵を返すと来た道を戻り車に潜り込む。無表情でフロントガラスを睨んでいる人見に奥田は助手席から体を後ろに捻って空々しい声を出した。



「もう現場はいいんですか、警部」


「あそこに、ほんの少しついてた」



 人見が指を出すと煤ですこし汚れていた。


 更にその指で道路脇に生えている草を指し示す。



「あ! マフラーから噴出したススですね」


「そのようね。丁寧に車を直角にしてあそこから真っ直ぐ突っ込んだ。土壇場にしては綺麗なな仕事だね。女っぽい」


「でもなあ」


「通報とは矛盾してるよね、事故車は道で横転してたっていうし。誰かが嘘ついてる? なんのために?」



 そうですね、と奥田が相槌を打つと人見の携帯がバイブした。



「高見沢さん?――土居? 署には?――そう、じゃあその場で待機」


「土居ですか?」


「そう。この場はもういいね。いったん署に帰って……」



 言いかけて前に視線を移した人見につられ、奥田も振り返えると、新山が血相を変えてこちらに走っていた。



「けいぶ! 大変だあ」



 白髪の多いこめかみから汗を流しながら、新山は慌てて運転席に座るとキーを捻る。



「どうしたの、なんか動いたの?」



 人見の質問には答えず、その眼には明らかに驚きと焦りの表情を浮かべている。



「新山さんってば!」


「庄野です。庄野二郎がやられた! これはえらいことになったぞ」


「柔和グループのですか?」


「そう。清子の旦那だ」



 後ろからパトカーが猛スピードで追い越し、パトランプをつけて突進する。新山はその後ろを追突しそうな距離で追走を始めた。奥田は思わずシートベルトを確認しながら言う。



「状況は? 何かわかってるんですか」


「愛人が。目の前で殺されたと言ってるようだ。庄野宅の周辺に緊急配備が掛かった」


「白昼堂々と? 愛人の目の前で? 犯人見たの? どうなってんの」


「どうなってるんでしょう。わたしにもさっぱりですわ。とりあえず署に」



 マスコミでごった返す門の前とは裏腹に、明署内は署員も出払い閑散としている。三人が大股で正面から入ると、若い男が受付に向かって怒鳴っていた。



「だから、居なくなったんだって! 探してくださいよ、お願いしますよ」


「だからね、君。昨日の夜に居なくなったからって、事件に巻き込まれたかなんてわからないでしょう。成人なんでしょ? その子。落ち着いて、知り合いや友達当たってみなさいよ」


「だから、連れ去られたっていうか……なんとかお願いしますよお、土居琴美です。お願いします!」


「誰に?」


「誰にって……そのお……」




 その名前を聞いた途端に新山の目には激しさが戻り、若者の顔を脳に刻み込むように睨んでいるのを奥田は見逃さなかった。

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