第20話ラピの反省

「ご報告申し上げます」


 シオン王太子殿下は、一礼してから立ち上がった。


「そこのラピという聖女は、勇者が女であるのが気に食わないという理由で、冒険の間中、散々メイリー殿を虐め抜いておりました」


 ラピの顔がどんどん青ざめていく。

 けれど、シオン王太子殿下はすっかり血の気の引いた聖女を一瞥すると構わず続けた。


「擦り傷を負った、野宿ではベッドで寝られぬ、食事が美味しくない、そういったことですぐに激昂し、時にはメイリー・ミュークレイ殿に手を上げておりました。また、聖女の癒しの力を、自身が疲労することや勇者が女性であると言う理由で、勇者殿にだけ使うことを拒みました。勇者殿が毒で瀕死の重症になった時でさえそれは変わらず「死んでしまえばいい」とさえ言い放ちました。勿論、自身が魔物から護ってもらった感謝の言葉を一度でも聞いたことはございません。それどころか、自身が王太子妃になった暁にはメイリー殿を処刑してやると…。とてもではありませんが、いずれ国母となる方としては、人間性に欠陥があるとしかいいようがありません」


 国王陛下は、大きなため息の後、「……どうしたもんかの」と言ってこめかみに手を当てた。


「このパーティメンバーで回復できるのはラピしかいないのは分かりきっていること。仲間を助けることを拒否するということは、直接ではなくても間接的に殺そうとしているのと同じです。加えて、今回の冒険で、昨今の魔物の凶暴化については、神殿側の怠慢であると言う新しい見解が得られました。勇者殿が死竜を倒しましたので、これからは誰も恐れることのない平和な世界が訪れるでしょう」

「先ほどの、死竜か…。原因はなんだ」

「はい、神殿は封印のための祈り歌を歌っておりませんでした」

「な、何!?それは…いくらなんでも…そんなことが…いやまさか…あり得るのか?」


 国王陛下は俄には信じ難いといった様子だ。それはそうだろう。

 事実ならば、なんのための神殿で、なんのための聖職者で、ひいてはなんの為に聖女とシオン王太子殿下は結婚するのだ。


「その証拠に、聖女・ラピは歌を歌えません。なぜなら、知らないからです」


 国王陛下は衝撃のあまり、口をパクパクさせるばかりだ。

 ラピは殆ど蹲るように、その場で丸くなって脂汗をかいている。


「どっ!!どこまでも馬鹿にしおって…!!!そのラピという聖女を捕らえよ!!」

「っっ…!!お、お待ちください!!」


 気がつけば、なぜかそう懇願していた。なぜだろう、自分でも分からない。

 涙が限界まで溢れて、こぼれそうなのを必死で堪える。

 耳まで熱い。


「フリック…いえ、シオン王太子殿下…初めから、聖女様を捕えるつもりの冒険でしたか?」

「それは違う!ただ、どうしても自分の目で生涯を共にする聖女の本質を見たかった…」

「…だとしても!だ、騙すなんて最低だわ!!こんなことをして私が喜ぶとでも思ったの!?もう、誰も信じられない!!」

「メイリー!!!」


 駆け出すと共に、堪えていた涙が、一気に後ろへと流れた。

 シオン王太子殿下が「待ってくれ!」と叫びながら、追いかけて来る。


「やめてよ!追っかけてこないで!王子様なんでしょ!?椅子に座ってふんぞり返ってれば良いじゃない!」


 突然、後ろから強く抱き止められる。


「共に戦ってきた僕はそれなりに君から信頼を得てきたと思っていた…。それはとんだ思い上がりだったんだな…。当たり前だ。僕は、その信頼を一瞬で崩してしまったんだから」

「…本当にそうだわ、馬鹿」

「…ならば問うが、君はあれが聖女に相応しいと思うんだな?僕の妻に迎えるということは、ゆくゆくは国母となる。彼女がそれに相応しいと、君はそう思うんだな?」

「……そんな聞き方、嫌いだわ。私だって人を品定めするような彼女が聖女に、王太子妃に相応しいとは思わない。けれど、あなた達のやり方は女としてどうしても許せないの」


 首筋に埋まったシオン王太子の吐息がくすぐったい。


「…君はそういうヤツだったよな…けれど…だから好きになったんだ」

「私は…フリックのことが…好きだった。ずっと自分の気持ちに素直になれなかったけれど…。でも、王太子妃になんて私、とても…」

「…おかしなことを言う。お前は公爵令嬢じゃないか」

「家柄とか、そんなんじゃなくて……私の…その…」


 シオン王太子殿下は、私をくるり振り向かせると、両肩に手を置いて、真剣な眼差しで私を見つめた。

 瞳の色は違うけれど、それは確かにフリックの目だ。


「気づいていないかもしれないが、冒険の最中にあってもメイリーはいつだって気高く、気品に溢れていた。君は国のために死竜を倒し、冒険を成し遂げた勇者じゃないか。これ以上のことはない、自信を持ってくれ」

「か、髪もこんなに短くて…」

「嫌じゃなければ伸ばせば良いし、伸ばすのが嫌なら今のままで良い」

「そ、それではあまりにも…」


 シオン王太子殿下の顔が近づいた。

 強い眼差し、整った形の唇。


「そうだ、それほどにメイリーを愛している。…お前のためだと信じて自分を偽っていた時、発狂してしまいそうなほどに。あの時の自分に対峙したら、僕はもしかしたら自分を殺してしまうかもしれない」

「シオン王太子殿下…私は…」

「理性で抑え込んでいた…けれど、メイリーに解毒剤を飲ませたあの時から…今でも、ここが苦しい」


 ジャケットの上から胸を鷲掴みにした。ぎゅうと握りしめるその姿を見て、また泣いてしまいそうになる。


「解毒剤って…まさか…シオン王太子殿下が口移しで…」

「っっっ……引っ叩くなよ…」

「いえ…。その、ありがとうございました…おかげで私は…」


 シオン王太子殿下の真っ赤な顔を見て、この人はずっと私のことを支えてくれていたのだと今更ながら理解した。


 もしラピが全員の回復を拒んだら、もしフリックがポーションを隠し持っていなかったら、そして、もし解毒剤を飲ませてくれなかったら…考えれば考えるほどに、想像以上に想われていたことを知る。


(冒険は私一人で成し遂げたのではない。当たり前のことなのに…)


「私は…なんて傲慢だったのでしょう…複雑な国のご事情や、シオン王太子殿下のお気持ち、ご配慮、そういうものを無視して感情的になってしまい、申し訳ありません…」

「もういい、メイリー。僕はお前のそういうところが好きなのだから」

「えっ」

「…もう一度言う。求婚を、受けてくれないか」


 いっぺんの曇りもない琥珀色の瞳が、窓から差す陽を受けて揺れている。

 向けられた眼差しに、私は初めて自分の気持ちに正直になることにした。


「喜んで…お受けします」


 頬に震える長い指が滑る。


「今度こそ、堂々とその唇に触れられる」


 柔らかく、優しく触れたそれを私はどうやら覚えている。

 あの時微かに感じたフリックの香りがした。

 今この瞬間が永遠にも感じて、溶けてしまいそうになる。


「ああ、本当に…ここまでよく乗り越えたな…お互い」

「ええ、本当に」


 くるりと踵を返したシオン王太子殿下が腕を曲げた。それはつまり、エスコートするという意味で…


「あのう、私はドレスを着ておりませんし…鎧姿です…いくらなんでも変です」

「良いじゃないか、お前は公爵令嬢で、僕の求婚相手なんだ」


 このまま押し問答が続くのも本意ではないので、仕方なく、シオン王太子殿下に従うことにした。


 謁見の間に戻ると、ディエゴとレントが私たちを見て「おっ」という表情をしてニヤついている。

「やめてよ」と声には出さず、口パクで牽制した。

 ディエゴが指差す。どうやら、ラピは国王陛下から詰問されているようだった。


「メイリーはそなたのことを仲間だと思っているのではないかな。そなたは、一度でも仲間のことを思えたことはあったか?自分の行動を立ち返ってみよ」

「っ……」

「はあ、これから神殿へも調査団を派遣しなければなるまい。神殿長初め、神職が一掃されることになるだろう。よくよく見極めて新たな神官を選ばなければならぬ。ゆくゆくはこの国の信仰のあり方が変わるかもしれんな」


 一際低い声で、「ラピを連れて行け」と言うと、衛兵達が細い腕を掴んで背中を押した。

 まるで十歳は老けたように見える聖女は、私の横まで来るとピタリと止まって、睨んだ。


「おい、ラピ…」

シオン王太子殿下が制したが

「いいわ、大丈夫」

と言って、ラピと対峙した。

 彼女はふっと吐息を漏らす。


「あー…もう良いわ。私よく考えたら、聖女なんてやりたくなかったし?本当は王太子と結婚とか、大変そうだし面倒くさいなって思ってたから。だからもうやめてよ。見てて恥ずかしいのよ、あんたのそのすぐ熱くなるところ」

「えっ…ラピ様」

「もう聖女なんてやめてやるんだから、その呼び方もやめてよね!」

「えっと…」

「ああ!もう!ウジウジしないで頂戴!本当にアンタなんて大嫌いだわ!」

「ラピ…その…」

「…今まで、私を護ってくれてありがと…。あと、意地悪して…悪かったわ…」


 私はなんて簡単にできているんだろう。自分でも馬鹿じゃないかと思うけれど、それでも

「はい!!」

私は笑顔で返事をした。


 シオン王太子殿下が苦笑いしている。


「え、おい、君まさか許すのか!?」

「謝ってくれたじゃないですか」

「〜〜っ!…はあ。まあ、なんというか豪快な君らしいよ」


「おい、進め」

衛兵に促されて「痛いわね!自分で歩けるわよ!」と悪態をつきながら、ラピは去って行った。

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