第69話神の怒り

「メイリー!!ちょっと!!アンタ、助けなさいよ!!!」


 ラピの、人を指図する尊大な態度は相変わらずである。

 冒険で味わった屈辱的な思い出が、ありありと蘇って胸焼けがした。


「国王に、私を生け捕りにしろと言われているんでしょう!?は、早く!!!早く来てよ!!!無視するんじゃないわよ!ちょっと……メイリー!!!」


 アルソンという老人は、手に持ったサーベルを重たそうに持ち上げて、ラピの胸に向かってゆっくりと倒れ込んだ。ただそれだけのことだった。

 サーベルは老人の体重だけで、ラピの腹部に深く深く突き刺さっていく。


「あっ……アルソン…!」

「今日、結婚式だったんだ。まだ待っていてくれるだろうか。君は呆れているだろうな…。夜勤明けの僕は、良く寝坊して君を怒らせたから」


 ずるっとサーベルが抜けた腹から血が飛び散って、ラピをよろよろと後退させた。

 鮮血に塗れた両手を見て、軽く混乱している。


「…っっ……私は、聖女よ…こんなこと…神はお許しにならないわ」


 浅く早く呼吸を繰り返し、過呼吸気味になったラピは、遂によろめき私の足元に倒れ込んだ。


「…何よ、その目は。あ、アンタなんか大嫌いだわ…。ワカ、ナチ…早く私を回復させてよ、早く」


 シオン様の回復を終わらせたワカナチは、立ち上がると、ずかずかと大股で近寄って倒れたラピの顔前でしゃがみ込んだ。


「誰がお前なんか回復するかよ、ばぁか」

「なん、ですって…?私が死んだら、あの子が泣くわよ。知ってるんでしょう?私があの子の…」

「……リーリエは死んだよ」


 ラピは、溢れそうなほど大きな瞳をさらに大きくさせた。本当に溢れてしまうんじゃないかと思うほどに。


「リーリエは、アンタが愛情を注がなかった分、たくさんの人に愛してもらった。でも、いつも寂しそうだったんだ。初めは性分かと思っていたが、今なら分かる。何人に愛されようと、本当はお前に愛してもらいたかったんだってな」

「…そう。そう、死んだの、あの子」

「……おい、何がおかしい?」

「ふふふ、ふふふふ。ああ、良かったぁ!だって、聖女はこの世界に二人もいらないでしょう?私こそが真の聖女だわ。ふふふ」

「…っっ!てめえ!」

「ちょっと、そんなことより、すごく痛いわ。早く回復しなさいよ!聖女である私を見殺しにするなんて、神が許さないわよ!」

「そんなこと、だと!!?」


 後ろの方からくぐもった呻き声が聞こえる。シオン様が立ち上がったのだ。父はおろおろして「回復したばかりですぞ!ご無理をなされては、傷口が開きます!」と言って慌てている。

 シオン様は父の静止を振り切ってこちらに歩み寄った。


「…ラピ、君が言う神とやらも、そろそろ気がついているんじゃないか?」

「死に損ないが何よ…。ちょっと顔が良いだけの…くせに!」

「聖女の力を正しく使おうとしない女より、メイリーの方がよっぽど聖女に向いているじゃないかってな」

「はあぁ!?!?!?私はこの美貌を百年以上維持し続けているの!!それほどまでに私は神に愛されているのよ!!?……っっぐ…ううっっ…」

「美貌と老いることのない身体が全てか?ああ、それからおまけの治癒能力か。神というのは随分悪趣味なんだな」

「どういう…意味よ…」

「それが分からんうちは、やっぱりお前は聖女の素質なんてない」


 ラピは、渾身の力で立ち上がると、よろめきながら歩き出し、天に向かって叫んだ。


「神よ!愚かな者が私を殺そうと……!ああ、私は今にも死んでしまいそうです!この私に癒しを!!!聖女である私を罵倒するものに鉄槌を!!!」


 遂に狂ったか、と思った。

 けれど、信じられないことに、ラピの声に呼応して、晴々とした空に暗雲が立ち込め始めた。

 その場にいた全員が目を疑う。

 決して神の存在を懐疑的に思っていたわけではない。ないけれど。


(本当に、ラピは…神に愛されているのね)


「ほ、ほら、ね…?い、言ったでしょう?今更後悔したって、お、遅いのよ?」


 ラピ自身が、一番信じられないと言わんばかりに震えていた。

 聖女は神に選ばれた存在だという前提は、もしかしたら彼女の中で比喩的なものだったのかもしれない。


(ワカナチの言葉を借りるなら「マジかよ」ってやつ?)


 仮にも聖職者であるはずの聖女自身が、この奇跡を目の当たりにして信じられないという顔をしている。これでは、神殿が腐敗していくのも無理はない。

 聖女は、腹部からだらだらと流れる血も厭わず、天を仰いで笑い始めた。


「ふ、ふふ…ふふふ…!なんだ…なァんだ!!」


 何をするか分からない恐怖に、全員が身構えた。

 ゴロゴロと雷雲が音を立てて、雲を縫うように稲妻が走った。


「さあ!神よ!こいつらを」


 ドン!!!!!!!!


 雷の柱が目の前に落ちて光った。

 風圧と、轟音。耐えられないほどの眩い光。


「あっ!」と一瞬叫んだ自分の声すらも全く聞こえない。


 けれど、反射的に目を閉じる前、確かにラピを雷が焼き尽くしたのを見た。

 それは本当に一瞬のことで、風がおさまるまで、さほど時間を要さなかった。

 突然響いた轟音は、嘘のようにぴったりと止んだ。


 蹲った顔を上げ目を開けてみる。目の前をチカチカと、様々な色の光が弾けては消えた。


 ラピは、いない。


 芝生が焦げた跡だけがそこにはあった。焼け跡からは、もうもうと煙が上がっている。


 見上げた空は、見たこともないほど抜けるような青空が広がっていた。

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