第75話王子アレンと、王女アニエル

 それで、どうしてこうなったのか判然としない。

 豪華な客室、文句のつけようもないほど華美なドレッサーに、見せつけられるようにして置かれた高価な化粧品の類。装飾品、ドレスに靴。


 けれど、少しでも物音を立てれば…


(…気持ち、悪い。吐いてしまいそう…。水…少しだけ、口に含みたい)


 水差しに手を伸ばしたが、コップに手が当たってしまい落ちて割れた。


 かしゃん、


(いけない!)


 ドン!!!!ドンドン!!!

 

 扉の外に控えている、いや私を見張っている衛兵に容赦なく脅される。


(そう扉を叩かないでよ…)


 窓の外には、温かい雪が降っていた。


(本当に、綺麗な国だわ)


 祝福された国、ヤイレス。

 それは、神がこの地を南から作り、北上していく神話に由来する。

 更に北、不毛の地である、氷で閉ざされた北極から天に帰る前に、最後に作ったのがヤイレスだ。

 神は、人々への贈り物として、ヤイレスを実り豊かな土地とした。そして、北国でも年に半分は温暖な季節を約束したのだ。

 冬は底冷えするが、神は人々との約束を忘れていないという印に、冬には温かい雪を降らせるのだという。


 窓枠に積もった雪を玻璃越しに触れてみた。じんわりと温かい。


(本当に、不思議)


 この温かさを覚えている。まるでシオン様の手の温もりのような。


 コンコン、

 扉を叩く音がした。脅すような音ではない。これはきっとこの国の王子のものだろう。


「…どうぞ」

「失礼します」


 アレン様は、銀髪を後ろに撫でつけ、きっちりお辞儀してから入室した。

 長身を曲げて、ソファに座る。


「メイリー殿、体調はどうですか?」

「相変わらずです」

「ああ、食事もこんなに残されて…。無理もありませんか…」

「アレン様、私はいつ帰れるのでしょうか」

「…それが、シオン王太子殿下に何度書簡をお届けしてもなんの音沙汰もないのです。こればかりは…どうしようも…」

「ならば、父や兄妹達に手紙を出してはなりませんか!?」

「今、アニエルを追っています。もう少し、辛抱してください」


 アレン様は、目をぎゅっと閉じると、額に手を当てた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 二ヶ月前に遡る。

 一度は断ったはずの、アニエル王女を側室に打診する話が蒸し返された。

 我が国の国王陛下は大層狼狽して、失った左腕が疼いて眠れなかった程だった。


『奥方がお身体を崩されているのならば尚のこと、王女アニエルを迎え、一日でも早く子の誕生を国民に見せることです。両国の永遠の絆が結ばれるでしょう』


 随分とふざけた内容に、激昂したシオン様の荒れようは凄まじかった。

 口外できないだけで、私の体調不良は妊娠しているからである。そんなもの、察して知るべしであろう。

 抗議の旨を便箋に記そうと、シオン様がペンにインクを浸した時だった。


 はらり、

 落ちてきた紙は、件のアニエル王女からの手紙であった。


『お話したいことがあり、魔法でこの紙を隠し忍ばせました。メイリー様の体調が芳しくないのならご無理は言いません。ただ、火急を要することで、できれば直接お話ししたいと思います。先日お誘いしたお茶会はそう言った目的でありました。ご無理は承知です』


 私はその手紙に釘付けになってしまった。この国で一体何が、と。

 シオン様は一瞥をくれると「無視しろ」と言った。


「ですが、私がまるで重病人のように扱われているのは納得が行きません。私が行って、事が解決するならお茶をして帰れば良いだけの話です」

「なっ!君はまだ安定期前なんだぞ。馬車の揺れにだって耐えられるものか」

「そうは言っても、幸い寝ていなければいけないほどではないのです、本当に。この話が延々と長引いている方が精神衛生に良くありませんわ」

「しかしだな…今僕は、国を離れられそうもない」

「ですから、すぐ行って戻ってきますとそう申し上げているでしょうに。心配ならワカナチも連れて行きましょう」

「もっと心配だ!」


 私は、約一ヶ月後にヤイレスへ赴く旨を認めて、手紙を出した。

 皮肉にも、安定期に入ったところで胸焼けや吐き気の症状が治まることなく、半ば無理やり馬車で移動することになる。


 それもこれも、私がそつなくお茶会をこなして、アニエル王女の用件とやらを聞き出しさえすれば、そうすればヤイレスの気分を害することなく穏便に話が収まるのじゃないかとそう思ったからだ。

 お忍びで入国することになったのも、今思えば短慮だった。国賓として出迎えられれば、少なくともこのような事態は避けられたのかも知れなかった。


 ヤイレスに着いてすぐ、招かれた美しいサンルームで挨拶をしたのは、まるで天使のような王女だった。

 まだ成人したばかりだろうか、幼さが残るがそれがミステリアスさと相まって不思議な魅力を放っている。

 シオン様に言われてワカナチを置いてきて正解だったと思う。この天使のような人が、あの素行の悪さと口の悪さに晒されるなどもっての外である。


「メイリー様、建国祭にお招きいただいた際は大層なおもてなしをして頂きましてありがとうございました」


 アニエルは大きな目を少し細めて私の目をじっと見た。

 心の内がまるで読めない。


「楽しんでいただけたのなら何よりでございます。本日はお招き頂きありがとうございます」

「お身体が優れないとか。遠路はるばるお越しくださって…大変でしたでしょう?」


(だったらなんで呼んだのよ!?)


 という怒りは一旦置いておいて、微笑み返して誤魔化す。

 こちらの名産だという紅茶が出されたが、むわっとした香りに吐き気を催す。


「…堅苦しい挨拶は抜きにして、本題に入りましょう」

「え、ええ…火急の用件とは一体…」

「単刀直入に申しましょう。シオン王太子殿下と離縁して頂きたいのです」


 ぐわん、

 急激な眩暈に襲われる。吐き気と、匂いにやられたのかも知れない。


「何を、言って…」

「メイリー様?具合が悪そうです。どうされました…」

「良いから、なぜ、そうなるのか…お話し次第では…私は…」

「まさか…孕られて……あ、あにうえ……!!」


 椅子から倒れ込みそうになった私を支えていたのは、アレン王子だった。

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