第11話水浴び

 翌朝、遂に数日間滞在したヴェーダの村を後にした。このメンバーでの旅の再開に、気持ちが折れそうになる。けれど、今は絶対に弱音など吐くわけにはいかない。


(帰ったら、丸まったルングに顔を突っ込んで匂いを嗅ぐまで泣かないんだから…!!)


 ラングは、我が家の飼い猫である。デブデブしていて、その脇腹に飼い主が顔を突っ込んでも逃げないでいてくれる。


(あの冷たい目線がなんともいえないのよ…ふふ。元気かしら)


 ルングを思い浮かべて心がほんのり温かくなった。


(…気持ちを強く持たなければ)


 なにせ、これから山を二つ越えなければならない。つまり、少なくとも二回、多くても三回は野宿することになりそうだ。


(それはつまり、ラピのご機嫌が心配であるということ…)


 命懸けの旅。振り回されてご機嫌を伺ってばかりなんて馬鹿らしいけれど、四対一のこの状況で仲間割れをする方がもっと危険である。


(ポーションは多めに調達したけれど…)


 以前チェックポイントにした洞窟を通り過ぎる。

 洞窟の中は既に空だ。知っていても、ため息が出た。

 あらゆる可能性を考えて、少し中に残しておくべきであったと猛省した。

 恐らく、今チェックポイント作戦を持ち出したところで、ラピは絶対に首を縦に振らない。それどころか、更に大変な展開になる未来しか予想できない。


 早速不安は的中した。

 山道が険しく、ラピの機嫌が段々と怪しくなって来たのだ。


「痛っ!!やだもー!手を切ってしまったわ!!」


 見れば、ラピは植物の枝で指を切ってしまったらしかった。

 やおら私に近づくと、腰につけているポシェットを勝手に漁り始めた。


「な、何を!?」

「ポーション頂戴よ。あったあった、これね」

「回復していただけない私のポーションを使うのですか!?ご自身で治されたら良いではないですか!」

「馬鹿ね、聖女は自分のことは回復できないのよ」

「あっ…!」


(そんな…)


 たかが指を切ったくらいで貴重なポーションを使われてしまった。空の瓶が地面に落ちて、軽い音が悲しく響いた。

 ラピは、ぐっぱっと指を動かして満足そうに繁々と見て

「うんうん、綺麗に治ったわ!痕に残ったら嫌だもん」

絵の具遊びで満足のいく色ができた子どもみたいな表情で言った。


 怒りを通り越して吐き気がする。胸を押さえて息を整えた。

 ラピはすっかりご機嫌に戻って、今までより軽やかに歩き出した。


(こんなことが続くと言うの!?先が思いやられる…)


 手が震える。(いけない)と思って視線を落とすと、新調した籠手が私の心を少しだけ慰めてくれる。

 両手を胸の前で合わせて、あの家族を思い浮かべた。

 ぽろり、となぜか涙が溢れる。それを、後ろを振り向いたフリックに見られてしまった。

 彼はバツが悪そうに、ふいっとそっぽを向いてしまったけれど。


 理由のわからぬ涙を拭う。

 ポーションを使われたことが泣くほど嫌だったのだろうか、それとも、あの家族の優しさに涙が出たのだろうか。


(それとも、泣くほど冒険が嫌になった?)


「メイリーちゃん、早く進んでくれないかな」

大層迷惑そうな声色に、心臓が冷たくなるみたいな気持ちになる。

「あ…ごめん…」

「おーい!ラピちゃん!みんな!待ってくれよ!」


 ディエゴは私を追い越していく。前の四人はピクニックにでも行くかのような様子だ。


(ああ、なるほど)


 人の輪の中、その温かさを思い出してしまったんだ。


(いやいや…確かに仲間意識は大切だと思うけれど、楽しい楽しいお出かけじゃないのよ、これは)


 彼らから数歩離れて後ろを歩く。これも後何日かの辛抱なのだ。


(それよりも…こんな様子じゃあ、ラピと婚約している王太子殿下がお可哀想だわ…。私は一時の付き合いだけれど、王太子殿下や城の方達は…)


 あの性格では、結婚生活は長くても一年ももたない気がする。


 爽やかな金髪に、琥珀色の瞳を思い出す。

 ご令嬢達から黄色い声が上がっても、眉ひとつ動かさない。少し冷たい印象のシオン王太子殿下。

 社交界を疎かにしていた私だったけれど、何度かお会いしたことはある。

 挨拶以上の言葉を交わしたことはないけれど、聡明な方なのだなという印象を受けた。


(聖女を未来の国母に据えようというのは、神殿側の働きかけなのだろうな…)


 単純に魔物の跋扈で行き来が困難な時代だからこそ、人々に信仰心を忘れさせないため…なのだろうか。

 この国には、今でも神殿の方向に向かって祈りの歌を捧げる習慣がある。


(そういえば、ラピが歌を捧げているところを見たことがないのだけれど…そんなものなのだろうか?)


 うーん、と考える。まあ、いずれにしても私には関係のないことだ。

 再び歩き出した足元に、ぴょんと飛び跳ねるものがいる。


「あっ、兎だ」


 私は今晩の食糧にと、その兎を捕まえて耳を掴んだ。

 前を歩いていたフリックが、少し開けた場所を見つけたらしい。


「さて、今日はここで野宿にしようか」

「ね、見て!兎を捕まえたわ!香草と一緒に煮込んで食べましょうか」


 ずいっと白兎をみんなの前に差し出した。


「おお!マジか!今日は干し肉じゃない…」と言いかけたディエゴの言葉をラピが遮った。

「信じられない!貴方はこんなに可愛い兎さんを殺すの!?なんて野蛮なのかしら!!」

「ラピ様、しかし我々も食べねば飢えてしまいます」

「私は聖女なのよ!?その私に随分と恐ろしいことをさせるのね!信じられないわ!他に食べられるものを探しなさいよ!!」

「…えっと…干し肉と野草ならありますが…」


 と言うと、ラピはとんでもない事を言い出した。


「また干し肉!?絶対嫌よ!新鮮なお肉が食べたいわ!!」

「じゃあ…やっぱり兎を捌くしかないかと…」


 ラピはフリックの元に駆け寄って、ひしと縋る。


「あの女、信じられないわ!兎を殺して食べるなんて、蛮族のすることよ!?聖女の私には、とってもできない!!」


 潤んだガラス玉のような目が、キラキラとフリックを見つめる。

 その瞳に囚われた彼は、ラピの頭を優しく撫で、私を睨むと言った。


「メイリー、その兎を離せ。ラピには刺激が強すぎる。少しは気を使え」

「そんな…せっかく捕まえたのに!またいつ食べられるものが手に入るのか分からないのよ!?」


 けれど、フリックは私を睨んだままだ。

 仕方なく、私は兎を逃した。兎はまろびつ走り去っていく。

 兎を食べるなんて蛮族と言ったはずのラピ本人が、小さな声で「あっ…うそ…」と言ったので振り返ると、大層惜しい事をしたという顔をして何度も唾を嚥下している。


(…私と二人だったら堂々と食べたんだろうな。私の分まで)


 きっと、なんだかんだと難癖をつけつつ私を蛮族呼ばわりしながら、最後はみんなに説得されてやむを得ず食べることになってしまったというストーリーが欲しかったのだ。まさか本当に逃すとは思わなかったらしい。


(なんて浅ましい…そんなに印象が大事なのかな。変な人)




 結局、またしても味気ない食事内容に誰もが沈黙した。

 ふと、私はひとつ思いついて、干し肉を細かく割き、香草と乾飯を混ぜたお粥を作ってみることにした。


「えー!?お粥!?病人食じゃない!食べたくなーい!」


 と言っていたラピだったが、全員が黙ってそれを食べているのを見ると、自分でよそって食べ、結局おかわりしていた。


(温かい食事って、良いよね…)


 などと思う。私も少しだけ心が回復した気がする。


 食事が終わると、ラピは水浴びしたいのだと言う。


「仕方ないから、アンタが見張りをしてよ」


(私を頼るんだ…まあ、そりゃあそうか。女はラピと私だけなのだから)


 小瀧が落ちる滝壺の周りは、水深の浅い池のようになっている。

 彼女は何の躊躇いもなく服を脱ぎ去ったので、私は思わず後ろを向いた。


「それ、ちゃんと畳んでおいてよね」


(何で私が…)


 衣服の襟や袖を合わせて畳んでいると、水の跳ねる音が聞こえて来た。

 畳んだ衣服の隣に腰掛けて夜空を眺めると、星がたくさん流れている。


(…綺麗。そういえば夜は疲れて寝てしまうから、夜空を眺めるのは久しぶりかも)


 暫くそうやって星を眺めていると、水に浸かっているらしいラピが突然話しかけて来たのでびっくりする。


「…ねえ、フリックっていい男よね」

「え!?…はあ…」

「お城の生活は退屈だと聞くし、フリックを側に置こうかしら」

「それは…王太子殿下がお許しにならないのではないですか?」

「馬鹿ね。冒険が終わった、はいさよなら、ではないのでしょう?護衛になったり、いい役職につけるんじゃないの?とても優秀な魔法使いだから側に置きたいと言えば良いのだわ。フリックだって私と添い遂げられないのなら、せめて側で仕えたいと思っているはずだもの」

「…っ!」


(二人は一体どう言う関係なわけ?フリックが喜んで了承するみたいな言い方…)


 いや、そうかもしれない。レントもディエゴもフリックも、みんなラピに夢中なのだろうから。


「ああ、やっぱりそうなのね。ねえ、アンタ、フリックのことが好きなんでしょう?」

「えっ…私が、フリックを?」

「見てて面白いくらいバレバレだわ。私たちが触れ合うだけで、鬼のような形相だもの」


 そんな顔をしていただろうか。あまり自覚はない。どちらかといえばラピの腐った性根に嫌気がさして、心底嫌悪しているんだと思う。

 眉間の辺りをもみもみと揉んだ。


「…ラピ様は勘違いしておられます。私は、彼らを仲間と思う以上の感情など…抱いてはおりません」

「あら、それは嘘ね。水面に自分の顔を映してごらんなさい」


 馬鹿馬鹿しい、そう思いつつ、腰を浮かせて水面を覗き込む。そこには、ほとんど泣き顔のような私を、月明かりが明るく照らし出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る