第12話淡い恋心(シオン王太子殿下視点)

 癒しの加護をもつ聖女・ラピとの結婚が、この国の未来のためになるならと承諾したのは一年ほど前だ。

 信仰の象徴たる神殿は、山を越えた遥か彼方である。もちろん、一度も聖女にお会いしたことはない。


 別に想いを寄せる者もいないし、なにより自分は王太子なのである。

 恋愛感情云々ではなく、国のため、ひいては国民のために人生を捧げる覚悟は物心がついたときにはとっくにできていた。


 はずだった。


 メイリー・ミュークレイ。

 公爵令嬢としての彼女のことは勿論知っている。何度か、挨拶はしたことがあったからだ。

 特別な感情を抱いたこともない。それほど会話をしたこともないからだ。


 そんな彼女が勇者に選ばれたのには、さすがに驚いたけれど。


(女性が、それも貴族のご令嬢が勇者だなんて…。過酷な旅を果たして続けられるのだろうか。…いや、どう考えても無理だろう。今からでも遅くない、勇者を選出し直すべきだ)


 初めはそんな風に思って心配していたが、断髪式などというものを仰々しく執り行うことになったと聞いて、いよいよ僕は憤慨した。


(女性の命とも言うべき髪の毛を切るだって!?いくら勇者に選ばれたからと言って、やり過ぎではないか…)


 父である国王に異議を申し立てたが、父は眉間に皺を寄せるばかりだった。


「シオンよ、これは御伽話ではないのだ。長い髪での冒険はそれだけで危険であるし、手入れに気を使える状況じゃあない」

「だからと言って、断髪式など…まるで見せ物ではないですか!」

「…まだまだ甘いな、シオンは」

「なっ……僕が甘いのと何の関係が…」

「女が勇者…難色を示す者が相当数いたではないか。鼻で笑う者もいる」

「それは…そうなのでしょうが…。そもそも、興味本位で勇者テストを女性が受けるということ自体が間違っているのです」

「……お前は知らんかもしれないが…ミュークレイ公爵令嬢、あれはすごいぞ。なにせ、父君が率いるミュークレイ騎士団の猛者達が、誰一人敵わんのだからな。視察に行った時、その華麗な剣捌きに惚れ惚れしたほどだ。彼女以外の適任はいないだろうと感じておる」

「彼女に素質があるのを初めから父上は見抜いていたと仰るのですね?そして彼女も覚悟の上であると…。であるならば尚更、彼女は真にフェンネルの剣に選ばれし者。これ以上のことはないはずでしょう。だったら剣で語れば良い、なにも断髪式を執り行う必要性がありますか!?」

「ふっ…いつになく熱いな。気になるか、公爵令嬢の勇者が」


「結構結構」と笑って行ってしまった。


 勇者に選ばれたのが女だった。それだけの理由で、ミュークレイ公爵令嬢をよく思っていない者もいるは確かだ。

 確かに断髪式を行えば、口さがない者達は、彼女の覚悟に黙るしかないだろう。残念だが、目に見える形で示さなければ頭でっかち達には分からない。


(けれど、あんまりではないか。僕はミュークレイ公爵令嬢殿に心底同情する)


 僕の婚約者を城に無事に届ける任務。それだけの為に、一人の女性の髪の毛を切らなければならない。それも人前で。

 果たして、こんなことが許されて良いのだろうか。



 けれど、そんな僕の物案じは、一気に吹き飛んだ。


 その日、メイリー・ミュークレイはただ静かに目を閉じ、わずかな微笑みすら湛えていた。

 美しい髪がはらはらと落ちていくことに一遍の悔いも見せず、膝をついて祈っている姿に、神々しさすら感じる。


 さらに驚いたことに、目を開いた彼女は公爵令嬢ではなく、勇者としての第一歩にその瞳を輝かせたのだ。



 僕は、自分の浅慮を恥じた。


(ミュークレイ公爵令嬢殿は、勇者としての誇りを一つ持って、この国のために心を燃やしているのだ)


 なんと気高く、美しいのだろう。

 そう思ったとき、メイリー・ミュークレイに恋に落ちた感覚をはっきり実感した。


(こんなに苦しく、激しく、心臓を揺さぶるものなのか)


 胸の奥で、何かが切なく蠢いている。

 あまりのことに、動揺して瞬きすらできない。

 彼女を見つめると、呼吸を忘れそうになる。


(これは…いけない…)


 僕は王太子なのだ。将来を約束されたのは聖女・ラピである。

 僕が守るべきものは、僕の恋心ではない。

 何も願ってはいけないし、自分の感情に目を向けることすら許されない。


 はっきり自覚したと同時に、この恋心を静かに閉じるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る