第64話正気を取り戻す


 これは悪い夢だろうか。


 鬼と呼ばれた父は、その名に違わぬオーラで仁王立ちになっていた。少し西に傾いた日差しが窓から差し込んで、それがまるで舞台装置のように父を一層恐ろしげに演出している。


 階下の衛兵達を、何とか鎮めることに成功し、父の後を追って国王陛下の執務室に駆けつけた私の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。


 国王陛下は、父の足元で血だらけになって蹲り、呻いている。


 ハッとした。

 私の足元に転がっていた物は、国王陛下の左腕だと分かる。


「お父様」

「イ、リー…」


 父の体からミシミシという音が発せられ、あちこちに目線が動いて一向に定まらない。


「まさか…まさか、お父様まで…」


 父まで傀儡にされてしまったのか、なぜ、どうやって、一体いつ…。一気に思考が巡る。

 父の腕が、剣を振り下ろそうとしているのを、僅かな意識だけで必死に抵抗しているのが分かった。

 何と強い意志だろう。この城の衛兵達は、誰もが抗う術なく、その術に意識を奪われたというのに。


「こ、ろ、し…て、く…れ…儂を…メイ……」

「……いいえ、お父様。私は決してお父様を殺めたりなどしません」


 キリキリキリ、

 骨の軋む音と、歯を食いしばる音と。


 私は跳躍して、国王陛下と父の間に立つ。


「陛下、無理は承知ですが、歩けますか」

「勿論だっっ…足手纏いにはなりとうないからの…っっ」


 父が薄れゆく意識の中、抵抗してくれているのだけが救いである。

 国王陛下を助けるなら今しかない。


「私の腰のポシェットにポーションがあります。あるだけ使ってください」

「す、すまない…」


 何度も呻きながら、国王陛下は立ち上がる。左手を失い、体のバランスを崩しているのだろう、何度もよろけている。


「まだ部屋の外は危険かもしれません。部屋の隅で、すぐに回復を!」


 この国の王が離れたことで、父は方向転換しようとしている。父の体は、私のことなどまるで無視して動いていた。


 ぎりぎりぎり、

 遅い、鈍い、けれど確実に少しずつ近づいている。

 国王陛下は、口と残された右手を使って、左手の上腕を縛ると、コルクを口で取り去ってポーションをかけ始めた。


(しかし、出血の量が多い…)


「あ、あ、メ、イ、リ……は、や、く、わ、し、を、こ、ろ…し…」

「お父様、私階下の衛兵達を鎮めることができました」

「?」

「そう、このようにして」


 後ろを向いている父の首に、思い切り手刀を当てた。

 頭がぐらんと後傾したかと思うと、そのまま気を失った。


「お、おい気を抜いては駄目だ、メイリー!!すぐにまた起き上がって…」

「すぐに起き上がって、まだ術が解けないのならば、同じように手刀を当てましょう。このまま起き上がらなければ、きっと父はゆっくりと意識を取り戻すはずです」

「なんと!だが…あの衛兵は…」


 きっと父が首を刎ねたのだろう衛兵が転がっている。


「確かに、普通に昏倒したのでは意味がありません。何度となく起き上がり、最後は心臓が破れるまで彼らは戦うことをやめませんでした。しかし、どうやら人の身体というのは実に面白い作りになっているようです」

「それは、どういう…」

「それより国王陛下、お怪我の様子は…?」

「儂はもう大丈夫だ、血も止まったし痛みもない。助けてくれて感謝する」


 とはいえ、この国の王の左腕は二度と元に戻らない。胸が締め付けられる思いだ。

 意識が戻った時、父はこの現実とどう向き合うのだろう、そう思うと居た堪れなくなった。


「う、」


 のそりと、鬼が頭を抱えて起き上がった。

 空気がピリつく。


「さあ、どうくるでしょうか」


 緊張が高まる。もし、父の意識が完全に乗っ取られてしまったら、私は父に勝てるだろうか。

 ぎゅっと剣を握りしめた。


「陛下……陛下は……」

「ミュークレイ、儂はここに、ここにおるぞ」


 国王陛下は、しっかりと目線を合わせた父に駆け寄った。ほっとして、構えを解いた。


「陛下、う、腕が…」

「これはもう心配ないのだ、ミュークレイよ。儂にはな、左腕がないくらいが丁度良いのだ」

「ああ、ああ!!なんと、なんということを!!!どうか儂を極刑に…!一番苦しく、長く、辛い罰を与えてください!!」


 父の懇願に、国王陛下は怒った。


「たわけが!!!貴様にはまだ成すべきことがあろう!!」


 鬼と呼ばれた父の体躯が、国王陛下の覇気で揺れ動いた。

 父は、こくりと頷くと血で染まったマントを翻して私へと歩み寄った。


「メイリー、我が娘よ。お前のおかげで父は目を覚ますことができた。だがしかし、どうやったのだ?」

「話すと長くなるのですが…実は異国の者と知り合いまして。冒険を共にしたのです。彼は決して強くはありません。けれど、なぜか人の急所をよく知っていました」

「ふむ」

「中でも頚椎…首というのは、脳から身体を動かす信号のようなものを伝達している部分なのだとか。手刀で頚椎を叩き、昏倒させるというのは、一時的にその信号を遮断できると聞き及びました」

「なるほど…ただ昏倒させるのとは訳が違うのだな。東の国のチャクラのような考え方なのだろうか」

「まさに彼は東の国の出自ですが、チャクラという言葉は初めて聞きました。ぜひご指導ください。ラピを捕らえた暁には」

「うむ」


 国王陛下に頭を下げて、扉をしっかりと施錠した。

 共に行動することも考えたが、守りきれないこともあるかもしれない。そう考えるとやはり、ここに留まっていてくれるのが一番安全だろう。


 大きな階段の下では、正気を取り戻した衛兵達が抱き合って泣いている。ある者は励まし、ある者は髪をわしゃわしゃと撫でられている。


「あれを全部、メイリーたった一人で正気を取り戻したのか?」

「…ただ防御するよりも案外楽なことでした。どうやら、一時的にでも命令が遮断されてしまえば、本人の意識の方が勝って、命令は持続されないようですね」

「よく見抜いた」

「いいえ、ただの賭けです」

「しかし、これで断然ラピを探しやすくなったな」

「はい、お父様」

「メイリー、まずどこが怪しいと思う」

「分かりません、ですが、まだ王城にはいるでしょう。確実に」


 父は「ふむ」と言ってから「何故だ?」と問うた。


「ラピは、とても刹那的な人です。彼女の性格からして、こんなに面白いショーを間近で見たくない訳がない」

「なるほど、聞けば聞くほど下衆だ」


 私と父は階段を駆け降りた。

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