第40話 すごい力で

 うさぎやトカゲ、運が良ければ鳥を捕まえながら、なんとか食うに困ることもなくヴェーダの村で久しぶりにベッドで眠ることができる。

 いくら野宿に慣れているとはいえ、誰だって屋内で眠りたいに決まっている。


(サラダもパンもスープも本当に美味しかったわ!)


 満腹のお腹をさすりながら、ごろんとベッドに横たわった。

 肩まで伸びた髪の毛の、リボンをはらりと解く。

 少しくたびれたそのリボンを握りしめた。


(…シオン様から頂いた髪飾りを取り返すチャンスかもしれない)


 魔物がおとなしくなったとはいえ、野宿の時は気を張っていてどうしても眠りが浅くなる。

 けれど、野宿が続いてやっと泊まれた宿のベッドで熟睡しない人がいるだろうか。


 いつか隙があれば取り返そうとチャンスを窺っていたのだ。


(今しかない)


 リボンをベッドに置いて立ち上がった。


 そっと部屋の扉を開ける。

 ごくり、

 嚥下の音すら響いて聞こえる。


 ワカナチの部屋は、私に当てがわれた部屋の向かいである。震える手で、出てすぐ正面の部屋のドアノブをゆっくり回した。


 かち、


 息を殺してワカナチが寝ているベッドまで近づいた。


(魔物と対峙するのには慣れている、騎士と試合するのも慣れている。けれど…)


 ゆっくり足音を消して近づくけれど、やはり私は隠密行動に慣れていない。


 パキッ、


(っ!!!)


 床が軋む音が響いて肩が跳ねた。


(静かにして!お願いよ!)


 息を整えて、月明かりに照らされたサイドテーブルに目を落とす。

 ワカナチの持ち物が散乱しているその中に、シオン様の幻影を見た。

 微かな月明かりが注がれて、一等美しく光り輝く金細工があしらわれた翡翠の髪飾り。


(あった…)


 髪を滑る骨っぽい指の感触を思い出す。思いがけず涙が出そうになって、袖でゴシゴシと拭った。

 ブルブルと震える手で翡翠の髪飾りに触れる。


「おい」


 上から落ちて来た声に、驚き振り向いた瞬間、床に組み伏せられてしまった。


「何してるんだ?」

「っ…随分お酒くさいわね…」

「貴族ってのは、人の部屋に勝手に入って物を盗む奴らのことを言うのか?」

「その言葉をそっくりそのままお返しするわ」


 ワカナチは怒るでもない、複雑な表情で私を見下ろしていた。

 月明かりに照らされた顔の模様はゾッとするほど美しく、目が離せない。


「へえ?」


 顔が思い切り近づいた。

 ぎりぎりと両腕を締め上げられて、振り解くことができない。


(片手でっ…すごい力だわ…!)


 必死に顔を背ける。ワカナチの吐息が耳にかかって背筋に寒気が走った。


「お前、貴族のご令嬢様のくせに随分力があるじゃねぇか」

「当たり前だわ、鍛えてるもの。離してちょうだい」

「嫌だね」

「私をどうしようと?」

「さぁな」

「メイリー、お前…髪飾りを取り戻してどうするつもりだったんだ?」


 思いもよらない言葉に、思わず目を合わせた。


「どうするって…大事に持つつもりだったけど…」

「そうじゃねえ!!!この髪飾りを取り返したら……」

「だから取り返したら、大事に持って…」

「っっっ!!!!俺から逃げるつもりだろ!!」


(ん?)


 私は思い切り顔を顰めて、どうしてそう言う思考になるのか考えた。けれど


「ごめん、全然わかんない…。私がワカナチから逃げる…なんで?」

「とぼけるなよ。お前が持ってる金目のものって言ったらその髪飾りくらいだ」

「そうじゃなくて!だからなんで私がワカナチから逃げるのよ!」

「…回復師なんて俺以外にもいる。王都にはラピだっているんだ。連れてくることは困難じゃない」

「…ええ、そうかもしれないわね」


 ワカナチは私の顎を掴んだ。


「俺は一時でも期待してしまった自分を殴りてぇ」

「私は…リーリエちゃんを見捨てたりしない。貴方のこともよ、ワカナチ」

「は?」

「今頃本当に、回復師を探してザダクの街の人たちは目が覚めているかもね。…でもラピは来れないわ。一応言っておくけど、彼女は今地下牢にいるから」

「…何を言っている?…ラピは王太子と結婚したんじゃないのか?」


 私はじっとワカナチを見つめた。

 彼は動揺を隠せない。


「ねえ、退いてちょうだい」

「気にいらねぇな、その目」

「ふふ、ラピにも同じことを言われたわ」

「お前の目、その目に見られると、全てを見透かされているような気になる」

「どうかしら」

「なんでか、お前が離れていくんじゃないかと不安になるんだ」

「私は貴方達を見捨てないわ、絶対に」

「っ……」


 目線を逸らしたワカナチの腕が緩んだ。


「分かったわ、それ、その髪飾り、貴方が最後まで持っていて。私もね、貴方のこと信用していなかったの。ヴェーダの村に着いたら髪飾りを質に入れてしまうんじゃないかって、不安だったのよ」

「はあ!?」

「ちゃんと大事に持っていてくれるって約束してくれるなら、もうこんなことしない。絶対よ」

「ちっ…」


 ワカナチが緩りと退いた。さすがに腕が痛む。

 見れば、手首に跡がついていた。


「夜中に勝手に入って失礼したわ。お詫びに明日、シチューでも奢ってあげる」


 私は振り返りもせず、部屋を後にした。

 ワカナチがぽつりと呟いた言葉は、扉に閉ざされて聞こえることはなかった。


「一体、どうなってるんだよ…」

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