第39話ある初夏のこと③(ワカナチの懐古)

 父が涙を流して、叫ぶ。


「妻はっっ!!!息子の…ワカナチのケガレに毒されて…死んでしまいました…うううっっ!!!」


 父を囲むように立っていた島の人々は、緩りとこちらを睨んだ。

 わあわあと喚く父は、わざとらしく「み、みなさん、どうしたのですか…まさか…ワカナチが!?」と言った。


(この期に及んで、まだ目が見えないフリを続けてら)


 真実を知っている俺にとっては、なんとも滑稽に映る。

 島の人々がこちらを向いている時、父もまたばっちりと俺の目を見た。

 ミンミンはいつもの笑顔に戻っている。その笑顔を崩さずに言った。


「ケガレが暴れたんかの。さて、どうしたものか…」

「冗談じゃあないよ!!うちの子が穢れにしがみつかれたって…息子はどうしたら良いんだい!!私も恐ろしくて自分の子どもに触れないよ!!」

「…とんでもないことをしてくれたな、ワカナチ。本来なら、十歳の時を待って西の大陸に穢れを置いていくが…この島のケガレを集めすぎたんじゃろうの。ワカナチもまた、自身をコントロールできんのじゃろうて」


(自分をコントロールできないって?俺が島中走り回ったのも、自分の意思じゃないってことなのか?)


 自宅の戸口を開けただけで激昂したミンミンは、顔色ひとつ変えずに海を指差した。つまり俺自身のことなど、心の底からどうでも良いと思っていたのだろう。


「今日の日暮までに海を出ろ、ワカナチ」

「……」


 その方が俺も気が楽だ、と思ってしまった。どうせ死ぬなら、誰も知らないところで死ぬ方がいい。

 未だ目が見えないフリを続けている父は、杖をつきながら俺の前まで来ると、俺にしか聞こえないほど小さな声で言った。


「お前が派手なことをしてくれたんで、母ちゃんが死んだのがバレっちまった。こうなったら仕方がねぇ、捕まるよりはマシだ。最後の親孝行だと思ってさっさと立ち去れ」

「馬鹿げた芝居をいつまで続けるつもりだ?…明日から働かなきゃ、今度こそ飢えるのは父ちゃんだろ」

「…お前が面倒なことしなけりゃあ、あと二年の間に考えられたんだ!」

「母ちゃん殺したのは父ちゃんだろ。…さて、どうする?この島は盲人を雇うほど豊かじゃないぜ?」


 父は突然、島の人々の前で突っ伏した。


「お、俺の教育が至らなかったせいだ…!俺に船頭をつとめさせてくれ!ワカナチを大陸まで見送る!」


 その言葉に、人々はざわついた。


「船頭ったって、アンタ目が見えないんだから…」「むしろ、転覆でもしてワカナチの水死体がこの島に流れ着いてみろ!大迷惑だよ!」「土台無理な話だ」「アンタ、何を言い出すんだい」


 一体どういうつもりなのだろうか。父は口をぱくぱくさせた。

 また小声で俺に指示を出した。


「ワカナチ!お前もなんとか言って俺を連れて行け!」

「なんでだよ…」

「大陸に俺を知る人はいない。なら、目が見えないフリもしなくて済むし、仕事が探せるだろう!」

「…悪いけど、俺がどうこう言える立場じゃないんだ。父ちゃんよりも、弁えてるつもりだ」

「てめえ!ワカナチッ!!!!」


 激昂した父は、俺の胸ぐらを掴んだ。島の人々は騒然としている。


「良いのか、父ちゃん。目が見えないフリは」

「うるせえ!!!なんとかしやがれ!!!俺はっ…どうすりゃ良いんだ!!!」

「さあな。自分で考えろよ。時間だけは死ぬほどあるんだろ」

「このッッッ!!!」

「みんなの前で俺のことべたべた触って良いのか?それこそ働き口がなくなるぜ?」

「クソがぁっ!!!!」


 俺をそのまま地面に叩きつけると、馬乗りになって殴って蹴った。

 鬼のような形相で、何度も何度も。人々は、一様に言葉を失っている。

 父だけがわあわあと喚いて、抵抗もせず殴られるがまま、時を待った。

 やがて殴る方も体力が尽きて肩で息をしている。

 島の人が一人、父に声をかけた。


「アンタ…もう、その辺にしておきな…」

「ああ!?うるせえ!!!」

「……」


 島の人々は目を見合わせた。

 ミンミンが一歩前に出て、父と対峙する。


「…目が、見えるのか」

「だったらなんだ!!!」

「ふむ…。リューエン、お前はわしの息子のせいで盲目になったのだったな。大工仕事の最中、息子が故意ではないにせよリューエンを落下させてしまったと」

「…あっ…いや、それは」

「…あの頃お前は子どもが産まれたばかりで、しかもその子は穢れとして選ばれた。わしの息子はな、心からお前に詫びたくて、新しく家を建ててお前を住まわせ、供物も毎日欠かすことはなかった。…それでも、自分を責め続けて三年前に命を断とうとさえした」


 人々はひそひそと小声で父を蔑み始めた。

 その人垣の中から、一人の男が現れた。ミンミンの息子、父の目を盲目にした本人だ。


「…リューエン」

「っ!マヌカラ…ッッ!!」


 マヌカラ、俺は初めて男の名前を知った。

 マヌカラは、苦虫を噛み潰したような顔になると、はあとため息をついた。


「本当に…目が見えているらしい」

「…こ、これにはさ、訳が…訳があって…そうだ!最近…!最近になって視力が回復したんだよ…!なあ、マヌカラ…!」

「っ!!!」


 マヌカラは父の肩を掴んだ。

 父は「ひっ!」と小さく叫ぶ。


「良かった…!!リューエン、良かった!!本当に…!!ああ、神様っ!!!」

「マ、マヌカラ…」

「なあ、良かったよな!みんなも!リューエンは目が見えるんだ!!」


 話を振られた人々は、しん、と静まり返る。

 涙を拭ったマヌカラは何度も父の肩を叩く。


「…ああ。俺はお前を盲目にさせた訳ではなかった!!!どんなに自分を責めたか!!」

「き、聞いてくれ…これには訳が…」

「…さて、どんな罰を受けたい?リューエン」

「え…」

「…八年だ。俺は、八年もの間、お前を盲目にさせてしまったと責め続けた。…家も建てたなあ、どんなに不漁不作が続いたって自分の食べる分を我慢して供物を届けたなあ」

「マヌカラ…おい、落ち着けよ…これは違うんだ…」


 マヌカラは父の顎をむんずと掴んだ。

 ほとんど家の中でぐうたら過ごしていた父と、大工仕事を続けていたマヌカラでは圧倒的に力の差があった。


(…父ちゃんがどうなるか、見届けることさえしたくない)


 僕は島の人々に深々と頭を下げた。


「俺は一人で船に乗ります。島の人たちの安寧を願い、穢れを全て連れて旅立ちます」

「おい!!!ワカナチ!!助け…助けてくれっっ!!!!」

「今までお世話になりました。ありがとうございました」

「ワカナチ!!!親を見捨てるのか!!!」

「…それから、抱きついてしまった男の子のケガレも俺が引き受けます。だからどうか安心して過ごして下さい」


 あの男児の母親は膝をついて「ああっ!」と大きく叫ぶと泣き崩れた。

 物は言いようだ。ケガレを連れていくなんて、なんの確証もない。なにしろ目には見えないのだから。


「ワカナチ!!!聞いてるのか!!?おい!!!」


 父は尚も叫び続けている。

 俺は背を向けて海へと歩き出した。


(不思議だ)


 今まで生きてきた中で、一番清々しい。

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