第20話 城下町に二人で

 一方その頃。

 なかなかビノーコロが戻って来ないので少しシュエットのことが心配になり始めていたソワールが椅子から腰を上げると、丁度部屋がノックされた。



「アヴェルスです」


「ああ、お入り」



一度上げた腰を下ろし、アヴェルスを迎え入れる。山積みにした本を抱える彼に、ベッドへ適当に置くよう伝える。



「読み終えられたこちらの本は書庫へお運びしますね」



 いつもなら殿下が読み終えた本を持って書庫へ戻るだけなのだが、「それよりアヴェルス」と彼に呼び止められたので振り返る。



「どうかなさいましたか」



いつもの堂々としていてどこか艶のある雰囲気とは一転、目を逸らし口ごもる殿下は幼い子どものようだった。

 可愛らしいな、という感想を抱きながら彼の言葉を待った。



「今日はその…城下町へ新しい本を買い求めに行くつもりでね。だから、その、一緒に来てくれないかな」



今度は桃色に染まった顔ごと逸らし「忙しいようなら一人で行くけれど」とつっけんどんに言い放った。



「いいのですか。是非お供させてください」



チラチラとアヴェルスの様子を窺っていたソワールは、ぱあっと笑顔になり俊敏に外出する支度を始めた。ある本をアヴェルスから見えぬよう鞄にしまい、肩から提げた。



「なら早い方がいい。今すぐ行こう」



ソワール念願の、アヴェルスとのデートである。



「行くところは既に決めてあるんだ。楽しみだねアヴェルス」


「そうですね殿下」



喜ぶソワールの様子を微笑ましく見守るアヴェルス。彼の方はと言うと、毎朝ここへ本を届ける度ソワールのことを見て、また明日も彼に会えると胸を弾ませていることに気がついていないのだった。




 支度を終えたソワールはアヴェルスを連れて城の裏手から外へ出た。



「なぜ裏手から…」


「僕には敵が多いと話しただろう?」



王族が纏うとは思えないボロボロのマントを目深にかぶり、ソワールはアヴェルスを見上げた。

 ソワールはアヴェルスにも書庫の番人の制服ではなく、自分の部屋へ初めて訪れた時の服装に着替えるように伝えていた。



「あんな煌びやかな制服を着た君を連れていたら、王族関係者だとすぐに気づかれてしまうからね」


「申し訳ありません、ネックレスだけは…」


「うん、外さなくていいよ」



嬉しそうに指輪を眺めるソワールは、帰りに購入した本を詰めるつもりなのか大きな空の鞄を肩から提げている小さな鞄とは別に持っていた。そんな彼を見て、アヴェルスはぎょっとしながら問う。



「お荷物は私が持ちますから」


「君に持たせたらそれこそ王族だと思われるだろう?」



 荷物を人に持たせたくらいでは、領主といった身分だと思われる可能性はあるが王族だと気づかれてしまうことはないと思うが…。

 生粋の王族の血を持って生まれた彼は、誰かに荷物を持たせることが市井の人間でも行われていることを知らないのだろう。



「そうだ、今から帰るまでは僕のことをソワールと呼び捨てにするんだよ?」



恐れおののくアヴェルスだったが、街中で彼を殿下と呼んだらそれこそ大変な騒ぎになってしまうだろう。



「かしこまりました」


「その話し方もだめ」


「わかりました」


「だめ」



もっと友人のように話すような感じで話せと言うので、アヴェルスは大きなため息を吐きながら観念した。



「わかったよソワール」


「うんうんその調子。それに君は自分のことを「俺」と言うはずだ。僕の前では私と言っているけれど、それも今日はなしにしよう」



驚きに目を見開くアヴェルスに、ソワールは淡々と説明する。



「ねえアヴェルス、君歳はいくつなの?」



慣れないなと思いながらも、三十一だと答える。



「僕は二十三。歳の差は八つか…ふふ。いいね、なんだかロマンチックだ」



 何がいいのかはわからなかったが、嬉しそうなソワールを見てアヴェルスも嬉しくなった。

 ふとアヴェルスは指輪の持ち主である少年のことを思い出した。十三年前、幼さに反して大人びた口調で話すあの少年は自分と十くらい年が離れていただろう。きっと今頃は殿下と同じくらいの年頃になっていることだろう。

 一人懐かしくなるアヴェルスは、ソワールにあの少年を重ねて見ていた。



「少し、似ているな」


「アヴェルス、今何か言った?」



我に帰ったアヴェルスは首を横に振った。



「それじゃあ行こう」



どこか上の空のアヴェルスの手を引いて、ソワールたちは城下町へと足早に向かった。









―――ソワールがアヴェルスの手を引き城下町へと向かっている頃。


 城内ではあまり人の寄り付かない暗い廊下の先にあるソワールの部屋。そこへ寄り着くのは、書庫の番人や叔父を慕うシュエットくらいのものだ。しかし、今日はその誰でもない影が、人知れずその部屋の扉を押し開けた。



「こそこそと動き回るのは肩が凝りますねぇ」



ソワールの部屋へ堂々と侵入したサンピティエは眼鏡をかけ直し、早速ソワールに気づかれぬよう細心の注意を払って部屋を物色する。

 幼い頃からソワールが城を抜け出すことがあるのをサンピティエは承知していた。こうしてソワールが外出している間を狙い部屋へ侵入しては、彼の大事な物を持ち去り彼の目のつくところに壊して置いておくのだ。

 彼が九つの頃には、贈り物のぬいぐるみを甲冑の持つ剣に串刺しに。

 彼が十二の頃には、彼の気に入っていたスカーフを丁寧に糸に戻しておいた。

 彼が十六の頃には、鍵のかけられた引き出しにしまわれたものを全て暖炉で焼却して灰へ。

 そんな風にしてサンピティエは長年の間ソワールに嫌がらせを続けていた。

 彼が疑われないのは、彼と同じように王弟の存在を密かに疎ましく思っている城に仕える人間も協力しているからだ。アリバイ工作も完璧、証拠も残さない。そのためソワールも嫌がらせをしてくる人間の正体を未だに突き止められないでいた。それだけサンピティエは策士で抜かりのない、狡猾な人間だった。



「さあ今日は何を壊してやりましょうかね」



 歌うように無情なことを言っている。

 どうやって作ったのかは定かではないが、彼はこの部屋の合鍵を持っている。そのカギを胸ポケットへとしまうと、部屋を歩き回った。

慣れた手つきで勝手に開けた引き出しの中、ふと目に留まったのは手紙だった。



「ソワール様にお友だちがいたとは少々驚きですね」



興味を持ったサンピティエは白手袋をした手で、汚れや折り目などがつかないよう丁寧に手紙を取り出した。

 二通の手紙に目を通した彼は、どうやらムーシカという人間の振りをしてアヴェルスという男に手紙を贈っているようだということを知った。好きな色から昔話までするような仲の人間がいるとは、とてもじゃないが赦せない。



「害をなす王弟の分際で、幸せになるなど許されるものか」



元の場所へ手紙をしまうと、サンピティエは部屋を出た。今回は何も持ち出していない。物を壊されるのに慣れ始めている彼に、この先ずっと同じような嫌がらせを続けても「またか」と心を傷ませることが出来る程度だろう。

 その心に大きな傷を与えるためには、と考えるサンピティエは無意識に笑みを浮かべていた。それは狂気的な笑み。

 彼が次に彼から奪うと決めたのは、そのアヴェルスという人間の命だった。

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