エピローグ

第40話 本当の魔法

 叔父がアヴェルスと共に旅立っていく様子を、自室のルーフバルコニーから静かに見守るシュエット。



「浮かない顔だね。ソワールと別れの挨拶をした後からずっと」



彼の隣には、淡いエメラルドグリーンのスリーピーススーツを着たビノーコロ。



「複雑な気持ちなのです。叔父が命を落とさずに済む喜びと、何も悪いことをしていない彼がこの国を去らなければならない理不尽に」



終始微笑むビノーコロは横目にシュエットを見た。



「なら、君が変えるしかないね」



遠ざかって行く叔父の姿を眺めていたシュエットはそこで初めてビノーコロに視線をやった。



「何を変えるのです?」


「王弟というものについて、人々が抱えている偏見をさ」



サンピティエを始めとして、王弟という存在をよく思わない人間がこの国には大勢いる。それはこの国の歴史上、謀反といった罪を犯した王弟があまりに多いからだ。そんな前例がいつしか「王弟とはこういうもの」という悪印象を人々に植え付けてしまった。

 全ての王弟がそうではないと理性的な考えを打ち消してしまうほどに、その印象は強く人々に根付いている。



「難しいことを言っているのは承知しているよ。君もいつか王弟になる身だからね」


「そうですね。それでも示していくしかありません。王弟は悪いことを考える者だけではないのだと」



父親と叔父はサンピティエの策略によって、これまで互いの思いを誤解して悲しんでいた。また同じ道を辿らぬよう、兄二人とはこれから毎日沢山会話をするのだと話すシュエット。

 人々の中にある王弟の印象を少しずつ変えていく第一歩を自分が歩むのだと宣言したシュエットの横顔はとても頼もしかった。



「その意気だよシュエット」



 ふと悪戯な笑みを浮かべたシュエットは、ビノーコロを見上げる。



「ですが、もしも僕にもあなたのような魔法が使えたなら、王弟を悪く思う人々の心ごと変えてしまうかもしれません」



困難で地道な努力をしても、王弟への印象を変えられるかどうかはわからない。しかし、魔法なら一瞬で人々の王弟への悪印象を変えてしまえる。

 言いながら、それは違うとわかっていたシュエットは苦笑した。



「冗談ですよ、人々が思うらしさを表した発言に聞こえましたか?」



いつか王弟になるという宿命を背負ったシュエットの自嘲的な発言に、ビノーコロは少々驚いたように目を見開いた。



「君なら変えられると思ったから言ったんだよ。それに、そもそもボクの魔法では人の心を動かすことはできない」



魔法使いに出来ないことはないと考えていたシュエットは意外に思い「そうなのですか」と思わず尋ねた。



「ボクの持つ力は強大だけれど、そんなものは魔法とは呼ばない。いつでも誰かを傷つけられるただの殺戮の道具さ。本当の魔法は血みどろになって得るものなんかじゃないのさ」



あなたはそんなことをしないでしょう、と否定しようとするシュエットの唇に人さし指を押し当てる。



「ボクに――魔法使いに人の心を動かすような本当の魔法は扱えない。魔法使いがどのようにしてそのアイデンティティを得るのか、君には既にはずだよ」



何かに思い当ったシュエットは、悲しみを浮かべた瞳をビノーコロへ向けた。純粋で正直な彼の反応を喜ぶように、ビノーコロは柔らかく細めた目で彼を見下ろしたまま続けた。



「本当の魔法というのは、ティーセットを宙に浮かせたり、姿を自在に変えられたりすることではないのさ」


「では、本当の魔法とはなんなのでしょうか」



訪ねると、ビノーコロは嬉しそうに答えた。



「本当の魔法は、誰にだって使える。かつてアヴェルスがソワールへ大切な本を譲り、そのソワールがアヴェルスにムーシカと名乗って手紙を送ったようにね」



そう断言すると、ビノーコロは視線を元に戻した。その先には幸せそうに笑い合いながら旅立っていくソワールとアヴェルスの姿があった。



「……僕にも彼らのような魔法が使えるでしょうか」



 ボクの日記が読めるのは、同士を殺したボクを恐れず受け入れてくれる唯一無二の者。そういう魔法をあれにはかけていた。それをこの子はあの夜読んだのだ。

君は既にボクに本当の魔法をかけてくれたよ。

 ビノーコロの小さな呟きは、再び叔父を見送る彼の耳には聞こえなかった。

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