第39話 別れの言葉は言わずに
一夜明けてアヴェルスが書庫へ戻ると、ビノーコロとイスバートが微笑ましそうにこちらを見ている。
「その様子だとうまくいったようですね」
「イスバートと二人で密かに祝福していたんだよ」
「お二人ともどうして?」
二人はソワールさんから、その想いをそれぞれが書庫の番人になった時から聞かされて知っていたらしい。
『旅重ねて』に手紙を挟むとムーシカから返事が来る。そんな魔法のような不思議な文通は、ビノーコロが郵便屋になってくれていたようだ。
アヴェルスが眠っている間にこっそり手紙を持ち出しソワールへ届ける。そしてソワールから返事を受け取ると、アヴェルスに気づかれないようまた本に挟んでおいたのだと種明かしされた。
「ありがとうビノーコロ。おかげで素敵な文通体験が出来た」
いいさ、と彼は踵を返した。
「そんなことがあったのですか」
イスバートさんは文通については知らなかったらしい。そんな彼の肩に手を置いたビノーコロ。
「僕の頼まれごとは可愛い方だよ。二人を引き合わせるために活躍したのイスバートの方さ。その地道な努力を称えてあげるといい」
イスバートさんは、書庫の番人にならないかと俺をこの仕事に誘うようソワールに頼まれていたらしい。楽しそうに古書店で働く俺を見たイスバートさんは、それを彼に報告した。
無理やり書庫の番人にさせるのは気が引けて、彼は俺が仕事を変えるというタイミングを待っていたらしい。
「そうだったのですね、俺たちを引き合わせてくれてありがとうございます」
「大したことはしてませんよ」
イスバートに頭を下げていたアヴェルスに、ビノーコロがある物を差し出した。
「これは、『旅重ねて』?」
俺があげたものとは別にソワールが探して見つけ出したもう一冊の『旅重ねて』だ。
「ああ。ソワールはシュエットに本を譲ったけれど、全てじゃあない。この本だけは君に贈ると話していた」
受け取ると、アヴェルスは昨晩のソワールの言葉を思い出して胸を締め付けられた。作者とその恋人だけが持っていたこの二冊の『旅重ねて』。これを今度は俺と彼が一冊ずつ持つということになる。それがなんだかくすぐったかった。
「午後には発つのですか?」
イスバートの問いかけに、アヴェルスは頷いた。
今頃ソワールは兄やシュエットといった家族に別れの挨拶をしに行っているところだろう。その後は密かに二人でこの国を出ることになっていた。
「ならボクたちもここでさよならだね」
寂し気に眉をハの字にしたビノーコロはイスバートとアヴェルスを順に抱きしめた。
「元気で」
「気まぐれなあなたのことです、すぐに会いに来るでしょう?」
「どうかな?。思いの他あの子が気に入ったからね」
「シュエット様のことか?」
「うん、彼はボクの唯一無二だから。下手をすると彼が死ぬまで傍にいるかもしれないよ」
ふふ、と笑う魔法使いの心はやっぱり読めない。
「でも別れの言葉は言わないでおこう」
それじゃあと言って人さし指を一振りしたビノーコロ。するとイスバートとアヴェルスは、見慣れた日当たりの悪い廊下に立っていた。
もうあの書庫はシュエット様のもの。もう書庫の番人ではない俺たちは追い出されたらしい。
実にビノーコロらしかった。
ソワールの部屋だった扉の前にいても仕方がないと、二人は城内を並んで進んだ。
「イスバートさんは墓守になると仰ってましたよね」
「ええ、リアンのいる墓地を管理する牧師さんが、獣人である私を受け入れてくださって」
「リアンさんもきっと喜びますね」
「ええ。…全て殿下が私のために牧師さんへ事情をお話してくださったのです。殿下には感謝してもしきれません」
すると前方から手を振って走って来るソワールの姿が見えた。彼の背後には国王陛下がいて、イスバートとアヴェルスは静かに頭を垂れた。
「アヴェルス」
抱き着いてきたソワールはいつもの高貴な装いではなく、旅に相応しい格好をしていていた。王弟だと知らしめるための豪奢な装いが彼の知的さと品を引き立てていた一方で、この装いは彼を歳相応の青年に見せていた。
この国を出てしまえばソワールが王弟だと知る者はいない。けれどこの国を出るまでは正体が明るみにならないようにする必要があった。
「可愛らしいで…」
またその話し方、と膨れるソワールを見て直ぐに「可愛らしいな」と言い直すアヴェルスは困り顔だ。国王陛下が見ているところで、この人にこんな口をきくなんて。
そんな気苦労を知らないソワールはとても満足そうだ。
「気に入ってもらえてよかった。旅立ちの
いつの間にか目の前にいた陛下に慌ててご挨拶をする。話を聞けば彼が今着ている旅の装束は、旅立つ弟の為に腕のいい仕立て屋に一日で仕立てさせたものらしい。
「悪いがここからしか見送ってやれないんだ」
「わかってる。兄様が外まで見送りに来たら、大騒ぎになってしまうからね」
兄弟は互いを強く抱きしめる。
「行こうアヴェルス」
そう言って廊下を駆けて行ってしまう彼を追いかけようとしたところで、陛下に呼び止められる。
「アヴェルス君」
「はい」
「弟を頼んだよ」
寂し気な瞳の中には、俺を信頼してくれている色が見えた。その気持ちに応えるように一礼すると、アヴェルスもソワールを追った。
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