第38話 やっと返せる

 ソワールとアヴェルスは部屋に二人切りになる。

 先に口を開いたのはアヴェルスだった。



「…あのサンピティエさんのおかげであの手紙の差出人が誰だかわかるなんて、皮肉だ」



そう言いながらアヴェルスは、黙ったまま自分を見つめ返すソワールをまっすぐに見据えた。



「殿下が偽物のムーシカですね」



頷いたソワールは、引き出しから手紙を取り出す。それは全てアヴェルスがムーシカへ送ったものだった。

 ソワールは考えた。きっとアヴェルスは『旅重ねて』の登場人物である〝アヴェルス〟に自分を重ねて読んでいたのではないか。そうだとしたら、共に旅をしたムーシカと話せたらどんなに嬉しいだろう。

 もし自分だったら奇跡だと思うだろうと考えたソワールは、ムーシカを名乗って手紙を出したのだと言う。



「ありがとうございます。ひと時の間、本当にムーシカと話しているようでした。この本を毎日読んでいた子どもの頃に戻ったようで…魔法をかけてくださりありがとうございます。…でもなぜ俺にそんなことをしてくれたのですか?」



言い淀むソワールが何か言うのを舞っていると、突然何かが切れるようなブツリという音と共に床に何かが転がった。それはソワールが部屋を空ける度肩から提げていた小さな鞄だった。

 広い上げるアヴェルスは中から本が覗いていることに気がつき、「ちょっと待ってそれは」と制止するソワールよりも先に本を取り出してしまった。



「これ…」



古びた、見覚えのある本。

 十三年前、少年にあげた『旅重ねて』である。

 殿下の書庫にももう一冊があるから、てっきりそれで彼は『旅重ねて』に登場する〝アヴェルス〟という登場人物の名前を知っているのだとばかり思っていた。

顔を真っ赤にしたソワールは観念したようにもごもごと説明した。



「…まずは手紙のことから話すよ。十三年前、君は僕に魔法をかけてくれた。そんな君に、お礼として僕も何か素敵な魔法をかけたかったんだ」



自分を直視しない恥じらうソワールに、かつて自分が贈った方の古びた『旅重ねて』を返しながらアヴェルスは尋ねた。



「なぜ同じ本を二冊も?」



さらに頬を紅潮させたソワールは恥ずかしさのあまりついに涙を浮かべながら、アヴェルスの問いに答えた。



「『旅重ねて』は世界に二冊しかないとあとがきに書かれていたんだ。なぜか気になって調べたら、作者が自分と、自分の恋人に贈ったということがわかった。それを知っていつか…その、君と揃いでこの本を持っていたいと…思って、もう一冊を探したんだ」



恥じらいながらもソワールは懸命に言葉を紡いだ。



「初めは、僕に物語の面白さを教えてくれた感謝と、孤独だった僕を変える魔法をかけてくれた君を尊敬していたんだ」



だけど、と上目遣いでアヴェルスを見つめる。



「いつの間にか…その、君のことばかり考えるようになっていてね。この胸を焦がすようなもどかしい気持ちが、恋というものなのだと知った」



アヴェルスは堪らなくなって抱きしめる。主としか思われていないと思っていたソワールは、驚きに涙を浮かべていた目を見開いた。



「あの花畑に連れて行ってもらった時、殿下の手にキスを落とした医者に嫉妬して自分の気持ちに気づかされたんです。でも身分違いだと……諦めるつもりでした」



身を離したアヴェルスはまっすぐにソワールを見据えた。彼は喜びに涙を流した。



「僕はもう王弟ではないよ。だから聞かせてほしい、君の気持ちを」


「………貴方が好きだ」



アヴェルスはソワールの細い腕を引いて、その柔らかな唇に口づけをした。

唇を離して目を開くと、涙を浮かべた柘榴の瞳が俺を映していた。



「ずっと、その言葉がほしかった。…僕の方がずっと前から君のこと、好きだったのだから」



ちょっぴりふてくされた表情。そんな表情すらも、愛おしくてたまらない。

 ハッとしたアヴェルスは首にさげていたそれを外してソワールへ差し出した。



「やっとこの指輪が返せる」



ソワールはかつて自分が等価交換として渡した指輪を受け取り、「返さなくていいよ」と微笑んだ。アヴェルスの左手を取ると、その薬指にそっとはめた。



「ごめんね、君にはビノーコロやイスバートへ尋ねたように「これからどうしたい?」とは聞いてあげられない」



その意味に理解が及んでいないどこまでも鈍感な彼の手を自分の頬に当て、甘えるような艶のある声で問う。



「ねえアヴェルス、僕と一緒に生きてくれないかい?」



誘惑するような、そして縋るような、自分に多くを訴えかけて来る熱い視線に、アヴェルスはもう片方の掌も添えて「喜んで」ともう一度口づけを交わした。

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