第2章

第19話 僅かに煌めく緑光

 ソワールが自室で王弟としてこなさなければならない仕事に手を付けていると、扉がノックされた。

 イスバートのノックは音を聞くだけですぐにわかるし、ビノーコロは必ず猫の姿で窓から入って来る。それにビノーコロに関しては、今ボクの机の上で丸まってうたた寝をしているから、彼が扉から入って来る可能性もない。アヴェルスはノックした後「アヴェルスです」と必ず自分の名前を名乗るため、彼でもない。

 扉をノックしたのが書庫の番人ではないとわかったソワールは少しだけ警戒しながら「入りなさい」と声をかけた。

 扉を押し開け部屋の中へ足を踏み入れた人物を見て、ソワールの緊張は途端に解けた。



「シュエット、どうしたんだい?。君の執事は僕のところへ来ることを嫌がるだろうに」



シュエットは兄オーブの息子で、三兄弟のうちの末の子だ。



「おはようございます叔父様。執事は僕を止めようと拗こかったので撒いて来ました」



心底嫌そうな表情をするシュエットに「傑作だ」とソワールは大笑いした。



「それで?。執事の追手を逃れて、わざわざ僕のところへ来るなんてよっぽどの用なんだろう?」



羽ペンをペン立てに戻したソワールは、笑い声に驚いて目を覚ましたビノーコロの頭を撫でながらシュエットを見据えた。



「その…勉強をしていたのですが、わからないところがありまして」


「おや、兄様ならきっと優秀な家庭教師をつけているだろうに。今日はいとまを与えているのかい?」


「いえ、そうではなく…」



話を聞くと、専属の家庭教師ではシュエットの質問に答えられなくなってしまったと言う。どうやら家庭教師の頭に入っている知識をシュエットの知る知識の方が上回ってしまったようだ。



「はは、それは凄いことだ。お前の学力に家庭教師の方がついていけなくなったとは。勤勉なことは良いことだけれど、君は家庭教師泣かせになってしまったというわけだね」


「彼らの教え方のおかげで学ぶことを楽しいと感じることが出来たので、これ以上彼らを困らせ傷つけたくはないですし、父様や兄様たちにはお話しし難くて…」



誰にも相談が出来ず困りきってしまい、叔父であるソワールに相談しに来たのだ。

 幼い頃のソワールは、何に悩み困ったとしても誰にも相談など出来なかった。唯一相談出来るのが兄のオーブであったが、彼と距離が出来てしまってからは一人で何でも抱えていた。

 そんな昔の自分とどこか重なるシュエットを彼が放っておけるはずがなかった。



「代わりに教えてあげたいけれど、僕の部屋に長居するのは君の立場を悪くするだろう」


「叔父様は何も悪くないじゃありませんかッ。なぜみんな叔父様をいじめるのです?、お父様もなぜ助けてくださらないのか…」



自分の代わりに怒ってくれるシュエットを尻目に、何冊かの本を探して回る。

 ソワールが「あの本はどこへやったかな」と部屋をうろうろしている間、机の上でじっとこちらを見ている猫と目が合ってしまうシュエット。



「叔父様の猫ですか?、素敵な毛色ですね」


「ビノーコロというんだ」


「触っても?」



ソワールが振り向きながら「構わない?」と猫に問うと、猫の姿のビノーコロはわざとらしく「にゃん」と鳴いた。



「ビノーコロ、返事をするなんてあなたは賢いのですね。よーしよしよし」



首を撫でてやると、緑色の猫は嬉しそうにごろごろと喉を鳴らした。



「これで恐らくお前の疑問のほとんどは解決するよ。昔使っていたものだから、古くてすまないね」


「いえ、とんでもございません。拝借します」



机の上に分厚い五冊の本を置くソワールに、シュエットは頭を下げて礼を言った。



「読み終えたらすぐにお返しします」



本を借りたシュエットは「失礼します」と部屋を出て行った。

 彼の足音が遠ざかって行くのを確かめると、まだごろごろと喉を鳴らして幸せそうに机に伏せている猫を見てソワールは眉をハの字にした。



「さすがにあの「にゃん」は芝居がかっていたと思うけれど」



人に姿を変えうーんと両腕を伸ばし、めいっぱい伸びをしたビノーコロは「ヒヤッとしたかい?」と悪戯に微笑んだ。



「それよりあの子について行っても?」


「あまり困らせたらダメだからね」



それを聞くと再び猫に姿を変えたビノーコロは数多の使用人が忙しなく行き来する城内の廊下を堂々と歩き、シュエットの自室へと向かった。

 窓ではなく、少し開かれた扉の隙間から猫らしくぬるっと侵入すると、早速ソワールに借りた本を開いて勉学に勤しむシュエットの姿があった。



「そうか…これはこうで…」



一応入室の許可を得ようと「ニャッ」と鳴いてみせるが、没頭している彼の耳には聞こえなかったようだ。仕方なく勝手に部屋へ入り、机に跳び乗ってもまだ気づかれない。



「これをこうすれば…よし、解けた」



その問題が解けるとはね。確かに並みの家庭教師じゃもう彼に教えることは出来ない水準だ。



「…ん?、これはどういうことだろう。古代文字か何かかな…?」



見慣れない文字に困惑するシュエットの表情を見て、ビノーコロはなんとか笑いを堪える。

 ふふ、それはきっと幼い頃のソワールの落書きだよ。



「まあいいでしょう、あなたは後で解き明かします。よし、次は……ん?」



新たな疑問が浮かんだのか眉をしかめるシュエットの表情を見て、ふさふさの尻尾を一振りした。すると、彼の疑問の答えとなる文言が記述されている文章へ、僅かに煌めく緑光の下線が浮かび上がった。

 そこへ目を留めたシュエットは「そうかっ」と疑問が解消されて、再び先を読み進めていく。魔法を目にしているということにも気づかず、彼はその後も一人で勉強を続けた。

 この子、気に入った。

 ビノーコロはシュエットが夢中で勉強する横顔を眺め、時々彼が躓けば再び尻尾を振った。家庭教師も顔負けの、魔法使いによる特別授業が密かに行われているのだった。

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