第26話 最後の手紙

 翌日の朝。

 目が覚めた時、手紙はもう来ていないかもしれないと思った。相手はあえてムーシカを名乗って手紙をくれたのだ。偽物のムーシカだと俺に気づかれてしまったとなれば、もう返事を書いてくれないと考えた方が希望を持たずに済む。

 ベッドから起き上がり期待せず本を開いたアヴェルスだったけれど、彼の目には『書庫の番人アヴェルスへ』と宛名の書かれた手紙が挟まっていた。

 気が急いて封を乱雑に破ってしまったが、中の便箋は無事だ。



『   アヴェルスへ

  ようやく気がついたんだね。君の言う通り、僕はムーシカじゃない。

  ねえ、アヴェルス。僕が誰だかわからない?

  文通はこれでお終い。答えがわかったら手紙ではなくて、直接僕に会いに来て

  ほしい。

  そしてずっと話したかった昔の話をしよう。

                           偽物のムーシカ   』



 もう手紙が来ることはない。

 差出人は俺に手紙を届けられる人物。ビノーコロとイスバートさんが差出人でないことはわかっている。

 手紙に何も刻印がされていないということは、差出人はこの国の人間だ。さらに古書店で働いていた俺や『旅重ねて』を読んでいるということは、読書を愛する人間の可能性が高い。なら古書店で会っている人だろうか。それとも一方的に俺を知っている人だろうか。考えてもわからないのだから仕方がない、手紙の差出人の居場所が国内に絞れただけでも良しとすることにした。



 そんなことを考えながら、いつものように本を抱えて殿下の部屋へ向かう。

今日も殿下はきっと、あの優しい笑みを俺に向けてくれる。

 無意識に浮足立つアヴェルスが角を曲がろうとしたところで、危なく人とぶつかりそうになってしまった。

 人にぶつかることをなんとか回避したアヴェルスはバランスを崩して、代わりに二冊の本を落としてしまった。拾うために慌ててかがもうとすると、今度は持っている山のように積んだ本がぐらりと揺れる。



「どうぞ」



アヴェルスが一人慌てふためいてしているうちに、二冊の本を代わりに拾ってくれたのは痩身の眼鏡を掛けた男だった。



「申し訳ありません」


「謝らないでください。前を見ていなかったのは私も同じですから」


「ありがとうございます」



親切なその男に一礼してソワールの部屋へと向かうおうとするアヴェルス。眼鏡の男は彼の胸元で輝く柘榴色の指輪に目を留めながら興味深そうに彼の横に並んだ。



「もしかして…あなたアヴェルスさん、ですか?」


「え?、はい。なぜご存知なのですか」



自分の名前を知る彼に、どこかで会った人だろうかと不思議に思いながらアヴェルスは尋ねた。



「実はあなたに手紙を出している者と知り合いでして。あなたがアヴェルスさんなんだな、と」



偽物のムーシカとの手紙のやりとりをこの人は知っている。それも差出人とは、手紙を出していることを話せるような間柄の人なのだろう。

 それならばと、アヴェルスは事情を話すと彼は柔らかく微笑んだ。



「なるほど、アヴェルスさんはその差出人にお会いしたいと」



適当に相槌を打ちながらサンピティエはずっとアヴェルスの胸元に輝く柘榴色の指輪を、目を細めながら眺めていた。

 かつてオーブやソワールの両親に側近として仕えていた彼が知らないはずがない。その指輪が彼らの亡くなった母親の指輪だということを。そして彼女が死ぬ前に赤ん坊であるソワールに遺したのがこの指輪であることも当然承知していた。



「はい、その方の居場所を教えていただけないでしょうか」



部屋へ侵入した時に見た手紙。殿下はムーシカと名乗ってアヴェルスという人間と文通をしているようだった。そしてそのアヴェルスという人間が今目の前にいる男。その男は殿下が持っていたはずの指輪を所有している。

 これは好都合だとサンピティエは策を練る。部屋へ侵入した時から探していたアヴェルスという人間をやっとみつけたのだから、壊すためのシナリオを早急に考えなければ。

 サンピティエは怪しまれぬよう終始親切に接した。



「では一月後に催される仮面読書感想会へいらしてください」


「仮面読書感想会ですか。変わった読書感想会ですね、仮面をつけるなんて」


「趣向を凝らした読書感想会ですよね。私も参加しますので、そこで指輪の持ち主に会わせて差し上げますよ」


「本当ですかッ、ありがとうございます。あの、あなたは…」


「申し遅れました。私、国王陛下の側近を務めさせていただいておりますサンピティエと申します」



そんな偉い人に頼み事をしてしまっていたなんてアヴェルスが謝罪するのを受け流しつつ、彼は眉をハの字にして嘆息して見せる。



「ですが国王陛下に仕える私がソワール様に仕えている者と交流があると知れてしまうのは少々困るので、私のことは黙っていていただけますか?」



殿下と国王陛下の関係は複雑だ。その関係に番人である自分が誤解を招いて、さらに亀裂を深めてしまってはいけないと考えたアヴェルスは素直にサンピティエの申し出を承諾した。



「仮面読書感想会では本名を名乗れないことになっています。それに仮面もつけておりますから、『手紙の方ですか?』とあなたに尋ねる者がいたらそれが私だとご認識ください。問いに対して『会わせてください』と答えて頂ければ私もアヴェルスさんだと認識しますので」



仮面をしているだけでなく普段とは異なる装いをした参加者の中からお互いを見つけ出すための合言葉のようなものだとアヴェルスは理解した。



「承知しました。では、仮面読書感想会で」



これで偽物のムーシカが誰であるのかがわかる。その喜びから笑顔で何度も頭を下げるアヴェルスに対して、サンピティエは卑しさの滲む笑顔を貼り付けたまま品よく手を振った。

 ソワールの部屋へと入って行ったアヴェルスを見送りながら、堪えていた残忍な笑みを浮かべるサンピティエ。



「ソワール様が母君の指輪を渡すなんてよっぽどのお相手。あの男、壊し甲斐がありますねぇ」



歌うように呟くと、サンピティエは機嫌よくその場を去った。

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