第17話 一目惚れ

 イスバートさんは話し終えると、静かに紅茶の入ったティーカップに口をつけた。



「ここがどこなのかリアンに尋ねましたが、彼は私の腕の中でこと切れていました。傷が痛んだでしょうに、最期はとても穏やかな表情をしていました」



微苦笑するイスバートはカップをソーサーに乗せると、アヴェルスへと視線を向けた。



「その後ビノーコロに連れられ殿下にお会いしました。人々に恐れられていてさらには人を殺した獣人、そんな私を殿下は受け入れてくださった。第二の書庫の番人イスバートとしてここに匿ってくれたのです。それが私の、書庫の番人として働くことになった経緯です」


「すみません…俺が経緯なんて聞いたせいで辛いことを思い出させてしまって」


「いいんですよ。話して少し楽になりましたから。……そろそろ仕事に戻りましょうか」



イスバートは「お先に失礼」と言って仕事へ戻った。彼が手放したティーカップの中には、溶けきらなかった少量の角砂糖がざらりと砂のように残っていた。

 イスバートの使っていたティーカップを一瞬の緑光と共に消したビノーコロは、ショックのあまり身動きすら出来ずにいたアヴェルスにチラリと視線を向けた。

いつの間にか皿の上の茶菓子を平らげていたビノーコロは「話にはまだ続きがあってね」と語り出した。

 彼の話によれば、優秀だったリアンさんが獣人を庇った行動には何か理由があるはずだと兵長が後に調べを進め、生き残った一人の斧使いの猟師を捕まえるに至った。気の弱いその猟師は、これまでの悪事の全てを吐いたという。無論、リアンの母親を殺したことも。

 それでも争いの中で人々の中に根付いてしまった獣人への恐怖と恨みが晴れることはなく、今でも人々は獣人の存在を恐れている。



「だからイスバートさんはいつもマントを纏って…」


「獣人が生きていると知れれば、大変なことになってしまうからね」



 リアンさんが亡くなった後、イスバートさんは自暴自棄になっていたそうだ。なぜ人を殺した自分が生きて、リアンが死んでしまったのかと。それを見かねた殿下は直々に書庫へ赴き、廃人のようになってしまったイスバートさんと話をしたのだという。




― ― ― ― ―




 明方、まだ書庫の中は薄暗かった。一階に広がる円形の野原には、白と桃色のシロツメクサが星々のようにぼうっと淡く発光していた。そこへへたり込む友人を失ったばかりのイスバートは、虚空を眺めていた。その目は濁り、何も映していない。



『イスバート、ソワールが君のためにここへ足を運んでくれたよ』



本来であれば嫌がらせをしている者に後をつけられ書庫の所在が割れてしまわないよう、ソワール自ら書庫へ赴くことはない。しかし、今回ばかりは特別だった。

このままでは新たに書庫の番人となったイスバートが心を失い、食事や眠ることをせずに衰弱して死んでしまうとビノーコロから聞かされたのだ。



『おはようイスバート』



イスバートは何も答えない。無礼な態度を取ることで怒りをわざとかい、殺されようとでもしているのかもしれない。



『今日は君の知らないリアンの話をしに来たんだ。どうかな?』



耳をピクリと動かしたイスバートは、泣き腫らして赤の少し混じった青い目をソワールへと向けた。



『リアンはね、僕の書庫に偶然迷い込んでしまった青年だった。時々いるんだよ。どんなにビノーコロが魔法で隠していても、物語への想いが強い者はこの書庫へ引き寄せられてしまうようでね』



リアンが書庫へ迷い込んだのは、丁度一年ほど前の出来事だった。この国の兵として城の護衛のための哨戒中に、いつの間にか書庫の扉の前へ来てしまっていたという。



『書庫の前で帰ることも中に入ることも出来ずに心細そうにうろうろしていたリアンをボクが捕らえて、ソワールの元へ連れて行ったんだよ』


『彼は無礼を働いてしまったお詫びにと物語好きな僕へ、密かに書いていたという恋愛小説を読ませてくれた』



目指していた兵になった後も、リアンは小説家になる夢を諦めていなかったのだろうか。



『その物語は人間の少年視点で書かれた、獣人の少年への淡い恋を描いた話だった。だから僕は君のことを知っていたんだよ』


『……それは』



彼の書いた小説に登場した獣人の少年の名はイヴェール。自分のことだった。



『でも何年も会っていなかったのにどうして…』


『一目惚れだったと話していたよ。気がつかなかったのかい?』



確かにリアンは初めて会った時、獣人である自分を見ても恐れる様子がなかった。どちらかと言えば、大きな瞳をきらきらさせて俺をじっと見つめていた。物珍しい獣人に対する興味か何かだと思って意に返さなかったが、あれは……



『リアンは君のことを最愛の人だと言っていた。だから、先の戦いでも君を何としてでも助けたかったのだろうね。無礼を承知で王弟である僕に君を匿ってほしいだなんて頼み事をするくらいだから』



イヴェールの頬を静かに流れる涙を、ソワールは優しく拭った。



『大切な友人が救った命だ、僕なら大切にするよ』




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