第18話 ムーシカからの手紙 過去の話
仕事に戻ったイスバートさんの背中を見つめながら、ビノーコロは過去から現実へと引き戻されたようにアヴェルスへと視線を戻した。
「リアンが命に代えてでも助けてくれた自分の命をあいつは生きることに決めたのさ。今でもリアンの月命日には必ず墓へ足を運んでいるよ」
獣人への誤解は未だに解けていない。獣人であることが知れたらイスバートさんは殺されてしまうだろう。それでも墓参りだけは必ず行っているのだという。
「リアンはよくボクに夢を語った」
「夢?」
リアンさんの夢はもう兵でも小説家でもなかった。人間と獣人の間に生まれてしまった悲しい誤解をいつか解くことが、自分の新たな夢だとビノーコロに語っていたそうだ。
「両者の誤解が解けた暁には、イヴェールにまた会いに行くんだと意気込んでもいた。想いは伝えられなくても、昔一度だけ話した時のように彼と穏やかな時間を過ごしたいと笑っていた」
死んでしまって本当に残念だよ、とビノーコロは伏し目がちに呟いた。
その夜、仕事を終えたアヴェルスは再び『旅重ねて』を開いた。挟んでおいた手紙に、再び返事を書くためだ。
同じ書庫の番人でも、番人になるに至った経緯は人ぞれぞれ。当たり前のことであるはずなのに、勝手に彼らも俺と同じ様に職を探していたところに王弟殿下からお声がけ頂いたものだと思い込んでいた。
それと同じように、『旅重ねて』を読む時俺は、昔の話を一切しなかったムーシカの過去を勝手に想像して決めつけていた。
俺の考えるムーシカの過去は、きっと音楽が許されない家で抑圧されて生きていた少年なのだと思っていたけれど、そうではないのかもしれない。
『旅の間自分のことについてはずっと口を噤んでいた君のことを僕に教えてほしい』
先の手紙でムーシカはそう綴っていた。なら、物語の中では語られなかったお互いの過去について話すのも悪くない。
アヴェルスはムーシカに、過去について尋ねてみることにした。
『 ムーシカへ
正直に話すと、人に尋ねることはあっても自分の好きな色については考えたこともなかった。けど、先日殿下から頂いた制服の、夜空のような色が好きだと思う。
どんなことでもいいと言うのなら、過去の話をしよう。俺は家族のいない孤児だった。元々この国の人間でもない…んだと思う。
幼い頃に異国から他の大勢の子どもと一緒に連れられてこの国へ来たという記憶が朧気だけどあるんだ。売られるはずだったが、奴隷になって死ぬまで過酷な労働を強いられるのは御免だったから死に物狂いで逃げ出した。
古書店と金物屋の間で雨風を凌いでいた俺を雇ってくれたのが、昨日まで働いていた古書店の店主だったんだ。彼女のおかげで今の俺があるといっていい。本当に感謝しているんだ。
俺のつまらない過去を話したのはムーシカが初めてだよ。
なあ、ムーシカの過去もよかったら聞かせてくれないか。
アヴェルス 』
こうして便箋に自分の過去を書くのはなんだか不思議な気分だな。
アヴェルスは手紙を一度読みなおし、封をして本へ挟んだ。
翌日も当たり前のように返事が届いていて、アヴェルスは仕事の前に手紙の封を切った。
『 アヴェルスへ
君にはそんな過去があったのだね。いいよ、僕の過去も話そう。
僕には兄がいて、優しい兄のことが好きだった。けれど今、兄と僕の間には大きな隔たりがある。僕から兄に近づくことが難しいほどに。
慣れっこだけれど、僕は幼い頃から存在を疎まれているんだ。だからずっと孤独で、不自由だった。
けどアヴェルス、君に出会ってから僕は一人じゃないと思えた。君と旅をしている間だけは、孤独じゃなかったんだ。
今度は物語の中ではなくて、実際に君と旅をしてみたいな。
ムーシカ 』
手紙を読み終えたアヴェルスは、ムーシカの語る過去に嘆いた。
幼い頃、命を商品にされている自分は他のどんな人間よりも悲惨だと感じていたけれど、仲のよかった兄と距離が出来てしまい、幼い頃から命を狙われていると知りながら大人になっていくのは、俺が思う以上に壮絶な人生だと思った。
最後の一文を読んでくすりと笑うアヴェルス。
「物語の世界から飛び出して現実の世界を旅してみたい、ということなのかな?」
面白いことを言うな、ムーシカは。本の中から抜け出すのはビノーコロの魔法があれば夢じゃないかもしれないが、こちらの世界へ来ても会えるのは〝あの〟アヴェルスじゃなくて俺だぞ。
ソワールの伝えたい意図が全く伝わらず、本当に物語の中のムーシカから手紙をもらっていると思い込んでいるアヴェルスであった。
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