第2話 等価交換

 可笑しな人だと苦笑しつつも、律儀に待っていたソワールの元へアヴェルスは少しして戻ってきた。

 その手には、一冊の本。

 店に並べられている物よりもさらに年季の入った見た目で、かつては純白であったページもセピア色に染まっている。しかし、大切に読まれていたものなのだろう。新しい本にはない、威厳さすら感じさせるような趣があった。



「物語を読むだけで、読み手を前向きにしてくれる。感動を与えてくれる。自分の弱さに気づかされる。生きる希望を与えてくれる」



詩人のようなことを言うのだなと呆れる部分はあったが、自然と嫌な気はしなかった。さすがに本当に魔法をかけてくれるとは思わなかったが、この本を買わせるための売り文句だとも思わなかった。



「これは俺に魔法をかけてくれた一冊なんだ」



目を細め愛おしそうに背表紙を撫でている。

 手渡されたその本のタイトルは『旅重ねて』というものであった。ページをぱらぱらとめくってあとがきにさっと目を通すと、どうやらこの本は世界で二冊しかないもののようだ。不人気作だったのだろうか。



「君にもきっと、素晴らしい魔法をかけてくれるよ」



この人は、欺こうとか子どもだましで言っているとかではなく、本当にただただ純粋に魔法について僕に説いているようだ。

 彼の言葉に心惹かれたソワールは、生まれてから一度も読んだことがなかった物語というものを読んでみたくなった。



「…そこまで言うなら。これで足りるかい?」



そこらの少年の懐からは到底出てくるとは思えない金額を彼が提示する前に、アヴェルスは両手を振って眉をハの字にした。



「商品じゃないから、これはこのまま君に譲るよ」


「商品じゃない?」


「この本は俺の持ち物なんだ。古書は古書だが、商品ではないものを売るのは悪いからな」



彼にあそこまで言わせるほどだ。彼にとって思入れのある本に違いないはず。それなのに、そんな大切なものをただで譲る?。

 困惑しているソワールにアヴェルスは苦笑しながら頭を掻く。



「汚くないぞ?、大切にしていたからな。まあ、砂埃くらいはついてしまっているかもしれないが…」



ソワールはしばらくの間黙って考え込んでいたが、結論が出たのか顔を上げた。



「わかった。その本、譲り受けよう」


「何かに包むか?」


「いやいい。それよりもこれを受け取れ」



ソワールはアヴェルスにある小さなものを手渡した。それは陽光に照らされて美しい赤紫色を魅せていた。



「ん?、キャンディーかな」


「違う、指輪だ。母の形見の」


「えっ」



驚きのあまり手渡された指輪を落としそうになって慌てふためくアヴェルスを見て、ソワールは口元に手をやって可笑しそうに笑う。



「そんな大切なものは受け取れない」



指輪を返そうとするアヴェルスの手を、小さな手で力いっぱい押し戻す。



「君の大切な物を譲り受けるんだ。等価交換さ」



そうしないと気が済まないといった様子のソワールは、困り顔のアヴェルスを無視して踵を返す。



「君の本、大切にさせてもらうよ」



譲り受けた本を胸に抱え、どこかへと駆けて行ってしまう少年。

 いくらあの本が俺にとって大切な物だとは言っても、母親の形見であるというこの指輪とあのぼろぼろの本の価値が釣り合うわけがない。

 そう考えたアヴェルスは指輪を返そうと慌てて街中を探し回ったが、ついにあの少年を見つけることは出来なかった。

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