プロローグ
第1話 セピア色の香り
誰が見ても一目見て直ぐに高貴な身分だとわかる装いをした少年が、城内の光差す廊下をとぼとぼと肩を落として歩いていた。また兄に拒絶されてしまったのだ。
兄の部屋へ訪ねたが兄の代わりに出て来た側近の男、サンピティエにぴしゃりと叱られる。
『これはこれはソワール様、あなたも諦めが悪い。残念なことですが、陛下はあなたにはお会いにならないとおっしゃっております。ですからここを通すわけにはまいりません』
いつものことだ。兄様は直接会って拒絶することすらしてくれないのだ。
いつから、なぜ、嫌われてしまったのか。僕にはそれがわからなかった。
歳の離れた兄様は国王に即位され三人の子どもが生まれてからというもの、僕を避けるようになった。顔を思い出せないほど幼い頃に両親が他界してからというもの、兄様は僕にとって父親や母親のような存在だった。それだけに、こうして会うことすら許されない現状に、戸惑いと悲しみが心をチクリと痛めた。
ソワールはその足で城を抜け出した。王弟であるという身分を隠すためにぼろのマントを纏って、城下町へ。城にいても、追い出したいと言わんばかりに何者かから嫌がらせを受けるのだ。心休まるのはこうして城の外にいる時だけだった。
嫌がらせをしてくる者が誰であるのかはわからない。けれど、それが兄様でないことを信じたかった。あの優しい兄様が、僕にそんな酷い仕打ちをするはずがない。それでも確証のない事柄に、いつも不安で押しつぶされそうな気持ちだった。
十になったばかりのソワールは、孤独と寂しさについ涙がこぼれてしまう。それを周囲の人間に見られるのが恥ずかしくて、マントを目深にかぶり自分の靴を見下ろしながら歩いた。
ふと同じくらいの年齢の子ども達が横を駆けて行った。彼らが向かった先には、子どもたちの楽し気な声で賑わう一軒の店。
その店の前を通りかかったソワールが気になって顔を上げると、そこは古めかしい本がこれでもかと積まれた古書店だった。
「アヴェルス、わたしこれがいい」
一人の少女が、アヴェルスと呼ばれた青年に一冊の本と硬貨を渡す。
「いい本をみつけたな」
「俺はこれにする。今晩母さんに読んでもらうんだっ」
妹と思しき少女と手を繋いだ少年が嬉しそうに話している。
「それを選んだか、流石ここの常連だな。その本は寝物語にはぴったりの作品だぞ」
どうやらこの古書店、破格の値段で古本を売っているようだ。
子ども向けの読み物を取り扱った古書店なのかと店先に並べられた本のタイトルを一瞥するが、決してそうではないらしい。絵本の隣には、タイトルからしていかにも難しい言葉で書かれていることがわかる本も並べられていた。
それなら異国の言葉を学べる教本も置いてあるかもしれない。丁度異国の言葉について学びたいと思っていたところだし、少し見て行こうかな。
ソワールの足は自然と店へと向いていた。
「いらっしゃい」
店は古書特有の独特な香りがした。亡くなった父様――前国王の書斎にも古い本があって、このセピア色の香りには少しだけ馴染みがあった。鼻腔をツンと刺激する古びた紙の匂いだが、同時に思い出や時間の経過を感じさせるものでもあった。
ソワールはこの香りが好きだった。
店内に積まれている本をしばらくじっと眺めていたソワールはあることに気がつき立ち止まった。
ソワールが本を選ぶ様子を見守っていた先の青年――アヴェルスは、急に立ち止まった彼に声をかけた。
「気になる本があったら遠慮なく声をかけてくれ。下の方に積まれた本を抜き取るのにはコツがあるんだ。俺でも時々失敗して、上に積まれている本たちがなだれ落ちてくるんだ」
苦笑するアヴェルスに、ソワールは「いや」と不思議そうに問いかける。
「この店は歴史書や異国の言葉の教本、そういった類の本が全く置かれていないと思ってね」
美しい柘榴石のような瞳が印象的な少年は臆することなく告げ、アヴェルスもまた彼を子ども扱いせずに答える。
「すまない、この店は物語を描いた本しか取り扱っていないんだ」
「どこの誰かもわからない人間が書いた空想話の何が面白いというんだい?」
大人びた口調で悪気なく疑問をぶつけるソワールにアヴェルスは微笑んだ。
「歴史書は過去に起きた出来事を、異国語の教本はまだ知らない言語を読み手に教えてくれるように、物語は読み手に魔法をかけてくれる」
本気でそんなことを熱弁するアヴェルスを怪訝そうに見上げるソワールに「ちょっと待っててくれ」と言って、彼は店の奥へ消えた。
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