第16話 君のためなら

 自分の下で必死にもがく友人の手を地面に叩きつけ、持っていた剣を手放させる。



「殺してはダメだリアン」


「なぜ僕の名前をッ……」



自分に覆いかぶさる獣人の顔を見て、目を見開くリアン。



「イヴェール…?」


「久しぶりだな。……獣人討伐に参加しているということは、兵になれたんだな。おめでとう」



友人との再会に、目に涙を浮かべるリアンは「君の大切な仲間を殺してはいないさ」と苦笑した。

 リアンもイヴェールと同じように、人間と獣人の争いの発端である猟師だけを恨んでいた。その為罪のない獣人を傷つけぬよう、仲間にはとどめを刺すと嘘を吐いて捕らえた獣人は全て逃がしていたという。



「お互い本当に兵になっているなんてね」


「ああ…でも懐かしんでいる暇はない。あいつらを逃がすわけにはいかないからな」



イヴェールのおかげで一度冷静さを取り戻したリアンは、茂みの中に隠れながら猟師たちの同行を鋭い目つきで追った。



「本来人に危害を加えない君のような心優しい獣人を一方敵に蹂躙することで、きっとあいつらは悦に浸ってるんだ。同じ人間とは思えないよ」


「罪人として捕らえられないのか」


「母を殺したのがあいつらだという証拠がなくてね。裁けないのなら…この手で殺すしかないんだ」



誰も猟師たちの悪事を知らない。森で起こる獣人と人間の被害の半数以上は猟師たちが手を下したものだが、獣人と人間の争いの火蓋が落とされてからはその被害だとしか思われていない。だから彼らの悪事をリアンは暴けずにいた。



「彼らはなかなか巧妙で兵士の前に姿を現さない。暗い森の中で人知れず狩っているんだ。獣人も人も。だから僕があいつらに罰を与えるしかない」


「でもリアン」


「なぜ止めるんだッ。母さんの仇なんだ、僕に殺させてくれ。今やつらを逃したら僕は二度と彼らを見つけられないかもしれない。今がチャンスなんだ」



声を潜めながらそう訴えるリアンは、自分の腕を掴んで制するイヴェールの腕を涙を流しながら振り払おうとした。



「君の母親は、君が憎しみのままにやつらを殺したらきっと悲しむ。……だから俺が殺すよ」


「イヴェールダメだッ。君がそんなことをしたら人々の獣人への誤解は二度と解けなくなるッ」



イヴェールを止めようとするリアンだが、いつのまにか両腕が背後にあった低木に結びつけられていて自由が利かない。イヴェールを見上げれば、先程まで結われていた髪が下ろされている。

 イヴェールが髪留めに使っていた蔦植物はこの森で最も強度のあるもので、リアンが渾身の力で引きちぎろうとしても丈夫な蔦は一向に切れる様子がない。



「ありがとうリアン。けど俺は、君のためなら恐ろしくて狂暴な獣人だと思われたままでもいいんだ」



イヴェールは先程までリアンが持っていた剣を持ち、微笑みながら彼を振り返った。



「悪いな、これを借りるぞ。少しここで待っていてくれ。すぐ、済ませる」



自分の名を叫ぶリアンの制止を背に、突然の物音にこちらに銃口を向けた猟師の心臓をイヴェールは迷いなく貫いた。

 返り血を浴びたイヴェールは、糸の切れた操り人形のように地面に倒れた猟師を踏みつけ、もう二人の猟師を見下ろした。猟銃を拾いあげた彼は、好戦的にこちらへ飛びかかって来た子どもの心臓を容赦なく撃ち抜く。

 脚が竦み斧を握りしめてはいるものの震えあがってしまっている猫背の男も手にかけようと剣を振り下ろそうとしたその時、「いたぞッ」という声と共に矢が飛んで来た。頬を掠めた矢に気を取られた隙に、猫背の猟師は暗い森の奥へ逃げ去ってしまった。

 現れた複数の人間兵たちの目に映るイヴェールは、獣人を退治しようと森へ入った猟師を嬲り殺した獣人としてしか映らない。例えリアンの仇とは言え、人殺しは人殺し。自分はここまでだと、イヴェールは持っていた剣と猟銃を手放した。

 今度は心臓と頭を狙って矢を放った兵と、覚悟を決め逃げることなくその場に立ち尽くすイヴェールの間に、突如人影が飛び込んでくる。



「「リアンッ」」



声を上げたのは、彼の仲間である人間兵もイヴェールもほぼ同時だった。



「あの蔦を切るのは…うッ…手ごわかったよ」



放たれた矢が背や肩に刺さったリアンは、痛みに顔を歪めながらもそう言って笑って見せた。

 人間兵が動揺している間にリアンは自分の纏っていたマントをイヴェールに頭から被せるように着せ、彼の手を引いて城のある方角へと走った。矢が刺さって流れ出ている血は、彼の白い制服を赤黒く染めていく。



「リアンッ、どこへ向かっているんだリアンッ。早く君の手当てをしないと」



荒い呼吸を繰り返しながらも足を止めないリアンは答えない。

 森を抜けて城の裏手へと出ると、リアンは倒れ込むように足を止めた。地面に倒れ込むように膝をついたリアンは痛みを堪えながら、もう再び立ち上がって走ることは出来ないと考えたのだろう。彼はその場で腹に渾身の力を込めて叫んだ。



「お願いだビノーコロッ」



そう時間の経たぬうちに、戸惑うイヴェールと今にも気を失いそうになるのを何とか堪えているリアンの目の前に、珍しい緑の毛色を持つ猫が静かに現れた。



「おや、死にそうじゃないかリアン」


「ね、猫がしゃべった。ああ、俺はどうにかしてしまったんだ」



動揺するイヴェールなど意に介さず、リアンは強く訴えかける。



「イヴェールを書庫へ匿ってほしい」



そう告げた彼に、しゃべる猫は困った様子で眉をハの字にした。



「ソワールの許可なしには無理だよ。君だけなら可能だけど」


「ソワール様はイヴェールのことを知っている。きっとあの方なら赦してくれるはずさッ」



微苦笑しながらも首を縦に振らない猫に、リアンは泣きながら懇願し続けた。



「頼むよビノーコロッ、このままじゃイヴェールが殺されてしまうんだ」



必死なリアンを見かねて観念したのか、仕方ないと短いため息を吐いた猫はイヴェールを見上げた。



「獣人の君、リアンを抱えてついておいで。もう彼は歩けないだろうから」



何がなんだかわからず状況を理解出来ていないイヴェールは、戸惑いながらもその猫の言う通りにした。リアンを横抱きにし、猫の後をついて行く。

 兵が追いかけて来ていないか、殺し損ねた猟師がいないか、注意深く周囲を気にしていたつもりだったのに、いつの間にか知らない扉の前へやって来ていた。

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