第8話 覚えているのは
「第三の番人となる君の名前はもう決めてあるんだ」
名前?
なんのことかといった表情でその場に佇むアヴェルスを見て、ソワールはイスバートに尋ねた。
「おやイスバート、説明していないのかい?」
「失念しておりました、お許しを」
「いいよ。それより説明してあげて」
「かしこまりました。アヴェルスさん、我々番人には一人一人ソワール殿下から呼称をいただけるのですよ」
イスバートさんの説明によると、殿下はお気に入りの物語に登場する人物の名前を番人につけているそうだ。〝ビノーコロ〟や〝イスバート〟という名前も彼らの本名ではなく、番人として授けられた名前らしい。
「第一の番人、第二の番人、なんて呼び方じゃ味気ないだろう?」
どんな名前をいただけるのだろうか。
古書店に務めている際に多くの本を読んできたけれど、殿下は俺なんかよりも多くの物語を読んでいるに違いない。知っている登場人物の名前を授けてもらえるのはもちろん嬉しいし、知らない登場人物の名前ならその人物が登場する物語を書庫で読ませてもらおう。
「君は〝アヴェルス〟だ」
嬉しそうな表情をしたアヴェルスに対し、疑問符いっぱいの表情になるイスバート。
「殿下、それではそのままのお名前では?」
がっかりしたように「イスバート、君ってやつは…」とため息を吐くソワールは、期待を滲ませた瞳でアヴェルスに視線を向けた。
「〝アヴェルス〟という俺と同じ名前の人物が登場する物語があるんですよ、イスバートさん。殿下はご存知なのですね」
「うん」
嬉しそうに目を細めたソワールは、続けてイスバートに下がるよう告げた。
部屋に二人切りになると、ソワールはベッドから降りてクローゼットを漁った。
「番人の制服としてこれを着るといい」
それは上質な生地で仕立てられた、静謐さのある黒の制服だった。
「ありがとうございます」
「ビノーコロはこの色が気に食わないと言って好きな装いをしているのだけど、君はこの色でいいかい?。嫌なら別の色に仕立て直させるけれど」
「気に入りました。夜空を思わせる素敵な制服だと思います」
手渡された制服を持ったままその場に立ち尽くすアヴェルスを見て、「着替えないのかい?」とソワールはクスクスと笑う。
「城内ではなるべくこの制服を着ていてほしいのだけれど」
「も、申し訳ありません。こんなみすぼらしい服を着ていては殿下に恥をかかせてしまいますよね。直ぐに着替えます」
アヴェルスはここへ来るまでの間に使用人たちの冷たい視線を感じていた。イスバートや他の使用人たちが着ているような仕立てのいい制服ではなく、庶民が精一杯の正装をしたという格好をしていた。そのため、王弟殿下であるソワールの元で働いている自分がみすぼらしい格好をしていると、その主である殿下に恥をかかせてしまうと考えたのだ。
「そういう意味で言ったわけではないのだけれどね…」
困り顔のソワールは少し寂し気に、慌てて着替えを済ませるアヴェルスを眺めた。
「……ねえ、君が首からさげているその指輪、美しいね」
着替えを終えたアヴェルスはソワールに褒められ、胸元の指輪に触れた。
「これは俺の…私の物ではないのです。持ち主にまた会うことが出来たら返そうと思っているのですが、なかなか再会出来なくて」
「ふうん…着替えたならもう行っていいよ」
「はい、失礼します」
そう言ってアヴェルスが一礼してから部屋を後にし、大きな扉が閉まった瞬間。ソワールはベッドにうつぶせに倒れ、「覚えてるのは僕だけかぁ……」と大きなため息を吐いた。
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