第23話 ムーシカからの手紙 偽物
城へ戻ると、殿下は早速購入した本の何冊かをベッドへと運んだ。
「残りは一度書庫へ持って行ってくれるかい?」
「かしこまりました」
「今日は付き合ってくれてありがとう。その、また一緒に出掛けてくれるかい?」
「もちろん。俺でよければ喜んで」
また元の話し方に戻ってしまったアヴェルスに寂しさを覚えながらもソワールは、好きな人と二人っきりの外出に未だ鼓動を高鳴らせていた。それに「私」ではなく「俺」と言って話してくれる彼との距離が少し縮まった気がして、喜びから口元が自然とほころんでしまう。
そんな約束をソワールと交わしたアヴェルスは書庫へ戻ると、二人の番人に出かけたことを話した。
本を選んでいる時の横顔が可愛らしいとか、逞しく生きている方なのだとか、アヴェルスは無意識にソワールのことについてばかり二人に語っていた。
「それはそれは。きっと殿下はとてもお喜びになったでしょう」
わざと含みのある言い方をしてイスバートに肘でつつかれるビノーコロだったが
「ああ、お気に召した本を沢山みつけられたようで。お役に立てて良かったと思ってるよ」
アヴェルスはそのままの意味で受け取ったらしい。
「彼、相当鈍感だよ」
「恐らく自身の気持ちにも」
笑いを堪えるビノーコロとため息を吐くイスバートの意図することに、アヴェルスはやっぱり気がつかないのだった。
イスバートとビノーコロが苦笑しているのに気づかないアヴェルスは、他にもソワールとの話を続けた。
「それで最後に殿下が便箋を買われて……」
ふと、アヴェルスは件の不思議な手紙のことが脳裏によぎる。
この際だと、自分宛に届くあの不思議な手紙のことを思い切って二人に話してみることにした。
「ボクではないね」
イスバートさんはこの本のことを知らなかった。もしムーシカのふりをして手紙を出すような悪戯をして俺をからかっているとしたら間違いなくビノーコロだ。そう思って問い詰めたけれど、どうやら彼でもないらしい。
「じゃあ本あの手紙は本当に物語の中からムーシカが…?」
アヴェルスの様子を観察しニコニコしながら紅茶をすするビノーコロに、「殿下の本にこぼさないでくださいね」と冷や冷やしながら注意するイスバート。
「アヴェルスさん、ビノーコロがいるとこの世界にはなんでもあり得るように感じてしまうのも無理はありません。私も始め、リアンを生き返らせることは出来ないのかと尋ねたことがあります」
真剣に語るイスバートは悲し気に続けた。
「しかし、そう簡単に奇跡は起こらないのです」
困惑するアヴェルスを見て、その先の言葉につかえてしまったイスバート。そんな彼の代わりに、ビノーコロは優しく告げた。
「ひとつ言えるのはね、アヴェルス」
彼はカップを静かにソーサーに乗せると、緑色の目をこちらへ向けた。
「君があまりに純粋すぎるから言っておくけれど、ボクが悪戯でもしていない限り、物語の中の人間は決して手紙を寄こしたりしないってことさ。で、ボクはそんな悪戯をしていない」
「そう…いうことです。アヴェルスさんに起こった奇跡を否定して申し訳ないのですが、現実的に考えてその作中に登場するムーシカさんから手紙が来ているとは考えられない」
あからさまに肩を落とすアヴェルスに「でも」とヒントを与えたのはビノーコロだった。
「誰かから君宛てに手紙が来ているというのは、紛れもない事実だよ」
「っ確かにそうですよね。でも一体誰が…」
わけ知り顔のビノーコロは、それ以上余計なことを語らないよう茶菓子をひとつ口へ運んだのだった。
その夜、アヴェルスは複雑な面持ちで手紙を書いた。
『 ムーシカへ
聞いてもいいだろうか。
物語の中に生きている君が、フィクションと現実の境界を越えて俺に手紙をくれているのだとばかり思っていた。奇跡が起きているんだと。
けど、職場の人たちに君との文通について話をしたら、作中の人物が手紙をよこすなんてありえないと言われた。確かに冷静に考えてみればそうだ。
物語の中で君は頑なに過去を語らなかった。勿論〝アヴェルス〟も。
俺たちはそれぞれに偽物のムーシカと、偽物のアヴェルスだ。
君は最初から俺が作中に登場する〝アヴェルス〟ではないことを知っていた。書庫の番人として働くアヴェルスだとわかった上で、手紙をくれた。
俺にひと時の間ムーシカとの会話を楽しませてくれた君は、一体誰だろう。
アヴェルス 』
いつものような楽しくて不思議な気持ちでムーシカへ手紙を書くのとは違う心持ちだった。何せ文通をしている相手は作中のムーシカではないのだから。
過去の話を話してしまっている手前少々緊張もあったが、文通相手が誰であるのか興味があった。
文通相手については全く見当もつかないが、ひとつ言えることがある。それは、文通相手が俺と同じくらい『旅重ねて』を読み込んでいるということだ。
物語の細部まで読み込んでいなければ、一緒に旅をし毎日自分に起きた出来事全てを話すようなムーシカとアヴェルスが、お互いの過去についてだけは口を噤んでいたことを知らないはずだ。
有名な本でもなければこの世に二冊しか存在しないようなマイナーなこの本を、ここまで読み込んでいる者がいることなどそうあることではない。
一瞬、この書庫に『旅重ねて』を置いているソワールの顔が過るが、アヴェルスは自嘲的に笑って浮かんだ考えを否定した。
「殿下のような方が俺なんかに手紙なんか出すわけないだろ、馬鹿」
少し残念がっている自分が不思議だった。
どんな人物がこの本を愛読しているのか、アヴェルスは知りたいと思うのだった。
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