第42話 波打ち際にて
その瞬間は覚えていない。
何しろ目を瞑っていたから。だから手榴弾が爆発し、自身が放り投げられた時の事もほとんど覚えていなかった。
だが――生きている。
余ほど悪運が強いのか、それとも生き意地が汚いのか。
ミキは手榴弾で吹き飛ばされながらも、ほとんど無傷で生きていた。
それでも身体の節々が痛い。慌ててアカツキが駆け付け、大声で「衛生兵!」と何度も繰り返す。
「大丈夫、怪我はないよ」
「本当ッスか? 無理してないッスか?」
本気で心配してくれているのだろう。信じられないとばかりにアカツキはミキの身体を隅々まで確認する。
ややあって衛生兵がやって来てミキの身体を確認したが、やはり怪我は一つもなかった。
クラクラする頭を抑えながらミキは立ち上がる。
眼前に広がるのは白い砂浜。至る所に死体や廃棄された資材が転がっており、その先にはただひたすら青い海が続いている。
もはや逃げられないと悟ったのか、敵兵たちのほとんどは膝を着き、両手を上げて降伏……否、命乞いをしていた。流石に団体で降伏した者たちを無視するわけにはいかない。何人かで包囲し、武装解除を行う。
悔しいのか、それとも恐怖なのか、どの敵兵も涙を流し、大きな声で泣いていた。
動いている者はほとんどが降伏し、残っているのは死体と廃棄された資材だけだ。中には海の中に飛び込んで逃げようとする者もいたが、逃げきれるわけもないのでみんな撃たずに見送る。重武装のままで海に飛び込んでいるわけだから直ぐに溺死する事になるだろう。
周囲を見渡しながら、フラフラとした足取りでミキは浜辺を歩いていく。
波打ち際に集まる青い軍服を来た兵隊たちの死体。この光景を、前に何処かで見た事がある気がする。
そんな事を考えながら歩く。
そしてふと、その光景が初の敵と大規模な交戦となった河川での戦いに重なっている事に気が付いた。あの時も、こうして波間を死体が漂い、砂浜を死体が埋め尽くしていた。
もう何年も、何十年も前のような感じもするし、昨日の出来事であったようにも感じられる。ただあの時はみんな自分の行いが信じられずに戦々恐々とするばかりであった。
だが今は違う。
もはや死体への忌避感や敵を殺すという嫌悪感はなかった。ただ自分の行いを認め、いま眼前に起こっている事を受け入れるだけである。
つまり――戦闘は終わったのだ。
ふと見ると、波打ち際……というよりも半ば波間に入ったところに敵兵が座っているのを見付けた。アカツキがそこまで行き、襟を掴んで浜辺にまで引っ張って来る。まるで死んでいるかのように敵兵は抵抗しなかった。
「他の敵はどうした」
やって来たマイハマが敵兵に訊ねる。ずっと走り続けていたせいか、脚が小刻みに震えていた。
敵兵は何も言わず、ただやつれた表情で海を差す。その先を追ってみれば、遠くの方に幾つか廃棄された小型船が浮かんでいるのが見えた。
どうやらこの兵隊は置いてけぼりを食らったらしい。
「…………逃げられた、か」
マイハマは深い溜息を吐く。
「指揮班長、大隊に第五中隊は浜辺に到達、敵は撤退した後だったと報告しろ」
「第五中隊は浜辺に到達、敵は撤退したと報告します」
復唱し、指揮班長は兵を一名選んで伝令に出した。
ミキは波打ち際に立ち、ずっと水平線を眺める。他の兵隊たちも同様に波打ち際に立ち、水平線を眺めていた。ザーッという波の音だけが聞こえてくる。
「終わった……んスかね?」
呆然とした様子でアカツキが言う。
「解んないけど……たぶん」
同じ様子でミキは答えた。何の感慨もない。ただいきなり戦闘が終わった事が不思議に感じてならなかった。
もしかしたら未だ浜辺の何処かに敵が隠れていて、襲ってくるのではないか。
そうも思ったが隠れるような場所などないし、そもそも居残っている敵は全て戦意を失って降伏している。
ただ静かに聞こえる波の音だけが、戦いが終わったのだという事を物語っていた。
その後、第五中隊に続いて第二大隊の主力はほぼ全てが浜辺に到達、全域を回って敵の完全撤退を確認。数日後には司令部がドウメキ島全域を制圧した事を総司令部に報告。
こうしてドウメキ島を巡った領土紛争――ドウメキ島事件は終結した。
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