第9話 夜襲⓶

 最初の号令で遂に戦闘が始まった。

 他の者同様にミキも発砲する。しかし誰の弾が何処に飛んでいるのか解らないような状況だったので当たったかどうかは定かでなかった。

 この遭遇は敵にとっても予期していなかったらしい。

 川の半ばまで来ていた敵兵が慌てて対岸に戻ろうとする。そこを容赦なく撃ったが、陣地の各所に銃弾が飛んできて皆思わず身を屈めた。

 対岸からの銃撃だ。木々の間をチカチカと銃火が光り、陣地のあちこちで着弾の砂煙が上がる。

 入念に作られた陣地なので容易に弾丸が飛び込んでくるような事はない。しかし今のミキたちにはそんな楽観的に考えられる余裕はなかった。

 とにかく撃つ、装填、撃つ、装填を繰り返す。

 対岸ではしきりに号笛ホイッスルが鳴り響く。

 密林の中を青い軍服の兵士たちが走り抜けていくのが見え、ミキはそれを狙って何発か撃ったが、当たっているのかいないのかはサッパリだった。やはり射撃場で撃っているのとは感覚が違う。

 他の兵士たちも同様らしく、興奮して撃ちまくってはいるが命中しているのかどうかは全く定かでない。

 しかし小銃はともかく各所に配置された機関銃や擲弾筒などは確実に戦果を上げていた。

 機関銃によって大量に放たれた銃弾が次々に敵兵を穿ち、擲弾筒の榴弾が周囲の木ごと敵兵を吹き飛ばす。

 それでも敵が怯んでいる様子はない。

 対岸からは銃弾が飛来し、時として陣地の近くで派手な爆炎と土砂が舞い上がる。敵も大砲を持っているのだろうか。

 何度も鳴り響く号笛、飛び交う命令や蛮声、引っ切り無しに続く銃声や砲声、そして爆音という不快な演奏オーケストラが戦場で奏でられる。

 とても聞いていられない。耳を塞ぎたくなる。しかし手を止めるわけにもいかず、ミキは壊れた玩具のように小銃の引き金と槓桿ボルトを繰り返し操作した。

「弾薬の節約をしろ!」

 分隊長の叱責の声が飛ぶ。それでようやくミキは我に還った。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとは言うが銃弾は無限ではないのだ。

「突撃ッ!」

 声が響き渡り、続いて号笛が鳴り響く。

 最初、ミキは自分たちに命令が出されたのかと思って壕から跳び出しそうになったが、直ぐに自分たちに下された命令ではない事に気が付いた。

 驚くべき事に敵指揮官の声である。

 大陸共通言語で敵側も同じ言葉を話すという事は当然ながらミキも知っていた。しかし実際に敵兵が自分たちと同じ言語を使っているのを聞くのとでは実感が違う。場違いながらミキは驚き、戸惑ってしまった。

 だがその戸惑いは直ぐに霧散する。

 敵は強行渡河しようと画策したのだろう。機関銃の支援を受けながら次々と川に入り始めた。

 銃剣の付いた小銃を槍のように構え、青い軍服の兵隊たちは川を渡って来る。

 しかし彼らにとって不幸だったのは、満ち潮によって想像以上に川が深くなっていた事だ。

 普段は腰程度にも満たない水位だが、満ち潮時は深い所になると胸元くらいまで上がる。不安定な足元と水の抵抗で思うように前に進めず、そこに銃弾が襲い掛かるわけなので渡河しようとした敵兵は成す術なくバタバタと斃れていった。

 しかし川に沈んでいるからだろうか。あれだけ次々に斃れているにも関わらず、死体がほとんど見当たらない。まるで消えているかのように錯覚して、ミキはゾッと悪寒が奔るのを感じた。

「集積所から弾薬を貰って来い!」

 分隊長から命令が下り、ミキとキクリ、アカツキ、アサキは陣地を出て物資集積所に向かう。とはいえ銃弾が飛び交っている中なので、とても立って走る事など出来ない。地面にへばりつき、匍匐前進で後方の集積所まで這っていく。

 物資集積所では他の分隊も来ており、半ば強奪するかのように弾倉マガジンと弾薬箱を持って行った。

「中隊長戦死! 第一小隊長マイハマ中尉が臨時に指揮を執ると大隊長に連絡しろ!」

「吊光弾をもっと打ち上げさせろ!」

「第三大隊の陣地にも襲撃です!」

 集積所近くの中隊指揮班では指揮班付の下士官や電話交換手たちの怒鳴り声が飛び交っている。

「いま聞いたか?」

 驚愕した表情でアサキが訊く。

「聞いたっス。中隊長戦死って……」

 二人同様、ミキも狼狽して座り込んでしまった。

 中隊長といえば単に中隊の指揮官というだけでなく、兵隊たちの父親とでもいうべき団結の象徴のような人物だ。その中隊の要が戦死した。しかもこんな緒戦にである。

「三人とも、いまは自分の役割を全うするわよ」

 この状況でも平静さを保っているキクリが頼もしい。

 キクリの呼びかけで三人は何とか気を取り直し、銃弾を避けながら地面を這う。

 陣地に戻り、弾倉マガジンと弾薬の入った弾薬袋を機関銃班のいる壕に投げ込む。

 それから壕の底に座り込み、ミキは荒れていた呼吸を整えた。

 激しい銃声と砲声は、未だ鳴り止まない。

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