第8話 夜襲
陣地構築を始めてから幾度目かの夜になった。
これまでと同じように歩哨を立て、他の兵士たちは自分らで掘った穴の中に毛布と天幕を寝具にして横になっている。
しかし眠れているのは一部の者だけだった。
多くの兵士は疲れているにも関わらず、眠れない夜を過ごしている。
何も春の夜は肌寒いからではない。
一昨日に「島の南部に敵が上陸した」という通達があったからだ。
そして今日の昼頃には前哨が敵の偵察隊と思しき勢力と遭遇、小規模な戦闘が行われたと聞かされた。
敵は撃退したが装具などから明らかに基地設営隊や警備隊の類ではなかったという。つまりは上陸した敵である。
中隊の将校たちは上陸した敵が公国軍なのか、王国軍なのかで討議していたがミキにとってはどちらでも然程変わりはなかった。
敵が上陸し、こちらに向かってきている。
ミキだけでなく、ほとんどの兵隊にとってはソレこそが重要であった。
この数日で陣地は充分に補強できている。歩兵が携行出来る程度の大砲ならビクともしないだろう。
だが肉迫され、陣地内にまで侵入されたらどうだろうか?
そもそも上陸した敵はミキたちだけで食い止められる程度の規模なのだろうか?
どうしても眠れずにミキは起きると陣地から少し顔を覗かせた。
目の前に広がるのはそれなりの幅がある川。しかし深さはあまりなく、渡ろうと思えば船や橋などが無くても渡る事が可能だ。手榴弾漁や水浴びが出来るのが何よりの証拠である。
構築した陣地の右翼は別の中隊が守備に就いているし左翼は海。従ってこの場所で戦闘になるのは、敵が対岸から正面攻撃を仕掛けてきた時だ。
その対岸も深い木々に覆われており、見通しが利くように伐採などもしている筈だが陣地からはほとんど奥が見えない。
くわえて今夜は月が明るく照らしているから良いが、曇り空だったりしたら目の前の川すら見えなくなるだろう。
……大丈夫だろうか?
……いや、そもそも自分は敵を撃つことが出来るのだろうか?
どうにも目の前で戦死した古兵の姿がチラつく。
考えれば考えるほどに不安になり、ミキは深く考える事を止めて寝床に戻ろうとした。
ふと。
対岸で何かが動いた気がした。
思わず小銃を手に取って対岸を凝視する。
暗闇であるので何も見えない。周囲を見渡してみたが、警戒のために各所に立っている歩哨以外に動いている者はいなかった。
再び対岸を凝視する。
やはり暗闇で何も見えない。しかし何かが木々の間を動いているような気がする。
何だろうか?
一瞬、持っている携行式の電球で照らそうかと考えたが、敵だった場合は位置を知らせる事になる。自殺行為でしかない。
さりとて他に方法もなく、ミキは眉間に深い皺を寄せながら対岸を凝視した。
やはり何も見えない。
それから一時間ほど対岸と睨めっこしていたが、月の位置が移動して対岸が照らされるようになると風で木が揺れていただけだと判明した。
ホッと安堵の溜息を吐くと同時に、自分の臆病さに嫌気が差す。
ミキは寝床に戻り、毛布にもぐった。
明日もある。眠らねばならない。
しかし幾ら経っても眠る事は出来ず、気が付けばすっかり日は昇っていた。
◇
「クマ、酷いッスよ」
アカツキに指摘され、ミキは「えっ」と声を上げながら思わず手で目の下を触った。
無論、そんな事をしても解る筈がない。
「寝れてないの?」
朝食を食べながらキクリが訊ねる。
今日の献立はやや豪華で米と川で獲れた魚の塩焼き、それに具無しの味噌汁だった。
「この魚、小骨多いね」
魚を解しながらミキは話しを逸らす。
臆病風に吹かれて一晩中眠れなかったなんて事は知られたくなかった。
「話しを逸らすなよ。寝てねぇのか」
逸らすのに失敗したミキは観念して「うん」と頷く。
「でも大丈夫」
「大丈夫なわけあるか阿保。少し横になってろ」
「まだ作業があるから駄目だよ」
「良いから寝なさい。私たちが誤魔化しとくから」
そうまで言われれば断るわけにもいかない。
ミキは食事を終えると「ごめんね」と言ってから横になった。
「アサキって何だかんだ優しいッスよね」
「うるせぇな。頭引っ叩くぞ」
「騒ぐと起こしちゃうわよ」
壕では戦友三人がそんな話しをしていた。
暗転。
気が付けば夜になっていた。
余ほどグッスリ寝ていたのだろう。全く何も覚えていない。横を見るとキクリとアサキが寝息を立てているので既に就寝時刻は越えているようだ。つまり朝から丸一日寝ていたという事になる。
「起きたんスか?」
陣地から対岸を見張っていたアカツキがミキに訊ねる。
「うん。ありがとう」
「ご飯は飯盒に入れてあるので食べといた方が良いッスよ」
「ありがとう」
飯盒の蓋を開ける。中には米と二切れ程度の浅漬け。どうやら今日は不漁だったらしい。
口にする前に米の臭いを嗅いだが、幸いにして駄目にはなっていないようだった。
「昼間になにかあった?」
「特に目新しい事はないっス」
対岸の木々の間を凝視しながらアカツキは言う。
「……いま何か動かなかったッスか?」
アカツキの言葉にミキは大慌てて対岸を見る。今夜は曇り空で月が隠れているので視界が悪い。そのせいで目の前の川すらほとんど見えない状態だ。
しかしどうやら生物が動いて揺れたのではなく、風のせいであるようだった。
「風、だと思う」
「そうッスかね?」
「臆病風ってやつかな」
ミキの揶揄にアカツキは眉間に皺を寄せる。
「言ってくれるッスね。自分はビビって寝不足になったくせに」
「それとこれとは別。それで? 昼には何かあった?」
「さっきも言ったけど、特に何もなかったッス」
そこまで言ってから、アカツキは改めて対岸を凝視した。
「いま何か聞こえたッス」
「また風じゃない?」
そう言ったミキの耳にも何か奇妙な音が届いた。
慌てて
先ほどと同様に真っ暗闇で何も見えない。しかし確かに何かの音はする。
「二人とも起きて」
傍らのアサキとキクリを叩くと、二人とも飛び起きて
「なんの音だ」
「解らない」
だが確かにする。
周囲の壕でも気付いたのだろう。みんな跳び起きて音のする方角を見ている。
「水……の音?」
パシャッパシャッという水が跳ねるような音だ。
「弾込め」
指揮所の方にも異変の報告が届いたのだろう。直ちに小声で命令が伝えられ、ミキも愛銃に弾薬を込めた。
「照明弾を打ち上げる。命令あるまで発砲はするな」
全員小銃を構え、引き金に指を伸ばしていつでも発砲できるようにする。そうこうしている間にも謎の音量は増していく。どうやら接近しているようだ。
ここにきて、ほとんどの者が「敵襲」を確信していた。
後方の迫撃砲が吊光弾を打ち上げ、兵士たちの頭上で輝く。
吊光弾というのは
打ち上げられた途端に周囲が真昼のように明るく照らし出された。
瞬間。
思わずミキは愕然とした。
目の前に広がる川。そこを十名以上の兵士が渡ろうとしている。その兵士たちは頭から擬装網を被り、身体中に葉や枝を挿していた。
軍服は青色で、被っている鉄帽はスープ皿のようだ。
「敵襲ッ!」
誰かが叫び、ミキは我に還った。
「中隊、各個に撃てッ!」
号令。
陣地の兵士たちが一斉に発砲し、次々と川の兵士たちが斃れて水飛沫が上がった。
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