栄光の勝利
第7話 足らぬ足らぬは話題が足らぬ
ボチャンッと拳ほどの大きさの物体が川の中に落ちた。
一、二秒ほどの時間を置いてから唐突に爆発。派手な水柱が立ち昇る。
「よぉーしっ! 行け!」
号令一下、ほとんど裸体の兵隊たちが川に飛び込んだ。
目指すは手榴弾の水中爆発で気絶した魚であり、籠や桶を片手に泳いでいった兵士たちの後を小船が追い掛ける。
ワーキャー騒ぎながら兵士たちは魚を片っ端から拾い上げ、籠や桶どころか小船にまで放り込んでいった。
「今夜はご馳走っぽいッスね」
手榴弾での「漁」の様子を見ながらアカツキが嬉しそうに笑い、その頭を「サボってないで働け」とアサキが小突く。
飛行場を制圧してから数日、歩兵第四六三連隊の各中隊は飛行場防衛を命ぜられたので防御陣地構築に没頭していた。
上陸した
しかし大きな飛行場を全方向から守らねばならない事を考えると全く足りなかった。
そもそも兵数には事務や飯炊き、設営隊などの「裏方」も含まれているわけだから八千名全てが戦闘に参加出来るわけではない。しかも未だ全部隊の揚陸が終わってもいないのだ。
それ故にどうしても一ヶ所一ヶ所の兵力は手薄になってしまっており、そのため入念な陣地構築は至極重要であった。
「つっかれたァ…………」
上陸から早数日、流石にずっと穴掘りを続けていたので疲労が溜まっていた。
陣地構築は訓練で何度もやっているが、それでも訓練であるから定められた期間が存在する。ところが前線では「期間」など存在しない。そのため終わりの見えない陣地構築に肉体だけでなく精神の疲れも溜まっていた。
それだけではない。輸送船の荷揚げ作業が遅れているとか何とかで食糧の切り詰めも始まっている。この二日間は毎食米と浅漬け、具無しの味噌汁という献立であり、作業中もずっと空腹であった。
しかしそれでは流石にあんまりにあんまりなので魚を獲ろうという話しになり、自活隊が組まれて手榴弾を使用した漁が行われているのである。
そのため大漁に喜んでいるのはアカツキだけではなかった。
「小きゅうーしッ」
監督将校からの号令。
やれやれ、どっこいしょ、と皆その場に腰を下ろす。
アカツキ含む何人かの女性兵は軍服を脱いで川に飛び込んでいったが、ミキはどうにも真似する気にはならなかった。
何しろ作業しているのは女性兵だけではない。そもそも女性ばかりで編成されているのは第五中隊だけであり、他の中隊はほとんどが男なのだ。当然ながら好奇の視線が集中する。そんな状況下で水浴びをする気は全然起きなかった。
それにこの後も陣地構築は続く。今洗ったところでまた直ぐに汚れるのだ。
首を掻き、何気なく爪を見ると垢が詰まっていた。
疲労だけでなく、全身の汚れも溜まっている。
延々と陣地構築で穴を掘っているので連日全身は土塗れ。作業終わりに水浴びの時間こそあるものの、衣類の洗濯は乾燥がとても間に合わないので汗を吸い込んだままである
水浴び自体の時間も極めて短く、とても全身を石鹸で洗うような余裕はなかった。そもそも直ぐ横が海の河口なので水自体に潮気が強いのだ。
ほとんど潮水のような川で汗を流し、僅かに支給される洗体用の真水で身体を拭う。それがドウメキ島で唯一許された洗体方法であった。
「お風呂入りたい」
独り言のつもりだったのだが、隣に座っていたキクリが「そうね」と律義に答える。
「煙草は」
気を使ったのかアサキが煙草を差し出してくれたがミキは「吸わない」と断った。
兵隊といえば煙草である。例に漏れずアサキだけでなくアカツキやキクリもスパスパ吸っているがミキは吸った事がなかった。
そんな物よりも今欲しいのは氷砂糖や金平糖である。
「煙草って美味しいの?」
「全然」
アサキは首を横に振る。
「じゃあなんで吸うの?」
「食い物も楽しみもないンだ。気を紛らわすにはコレが一番」
ボヤきながらアサキは煙草に火を点ける。キクリの方は温存しているのか吸おうとはしなかった。
「よく恥じらいもなく水浴び出来るもんだ」
見ろよ、とアサキは顎をしゃくる。
「男どもが血眼で見てやがる。ありゃ今晩のオカズだな」
アサキは呆れ顔で言う。
「…………オカズって、なに?」
意味の解らない言葉にミキは質問する。
少しの間。
アサキは空に向かって紫煙を吹く。
「いや、なんでもねぇよ」
「アナタは知らなくても良い事よ」
適当に誤魔化された。
ただロクな意味ではないという事だというのは察せたので、ミキもそれ以上追求しようとは思わなかった。
ボンヤリとアサキの口から昇る紫煙を眺める。
煙草も紫煙も好きではなかったが、アサキが煙草を吸っている姿を見るのは好きだった。
「アサキが煙草を吸っている姿って様になるよね」
「もう百回くらい聞いたぞ」
しばし無言。
「……あんぱん食べたいね」
「それも百回くらい聞いたわ」
しばしの沈黙。
ずっと同じ場所で同じ生活を送っているので自然と話題も無くなってきた。何より誰も彼も疲れているので自然と口数も少なくなってくる。
風呂、ご飯、睡眠、適当な話題。それがいま兵隊たちが切実に求めているものだった。
「何か話題ないかな……」
そんな事をポツリと口走った時、中隊全員集合の号令が掛かった。
今までなかった事であるから三人は顔を合わせ、号令通り中隊長本部の前に集まる。水浴びしていた連中も慌てて軍服を着て集合した。
「先ほど水軍より連絡があったそうだ」
深刻な顔で中隊長は言う。
水軍というのは鬼軍での海軍の呼称だ。伝統的にそのように呼ぶが、実態は他国の海軍と同等である。
その「海の人」たちに何かがあったらしい。
「輸送船団を護衛していた我が軍の水雷戦隊が敵艦隊に敗走した」
中隊長の言葉にざわついた。
しかしそれを無視するかのように中隊長は続ける。
「輸送船団も攻撃される恐れが出たので一時退避したらしい。従ってしばらくの間は荷揚げが出来なくなった。補給が途絶えたわけだ」
……輸送船団が一時退避?
……補給が途絶えた?
ミキはその言葉の意味するところを理解するのに少しの時間を要した。
そして直ぐに気付く。要するに孤立無援になったのだ。
「この調子だと敵の増援部隊が上陸する可能性は高い。その場合、我々は……」
「中隊長殿、失礼します!」
ガチャガチャと軍刀を鳴らしながら指揮班の曹長が奔ってきて中隊長に何やら耳打ちする。
「なにっ、南部に?」
途端に中隊長が顔色を変える。
中隊長の話はここで一度打ち切りとなり、兵隊たちは解散して作業再開となった。
「……まだしばらくは米と浅漬け生活っスね」
「そんな事より中公(中隊長)の顔見たか? あれは只事じゃないぞ」
「大した事でなければ良いのだけれど」
作業は再開したものの、みんな動揺しっ放しで喋り続けていた。
いずれも根拠のない憶測だ。しかし不安と好奇心から色々な説が飛び交う。
その様子を見て、ミキはポツリと呟いた。
「こんな話題なら、無かった方が良かったな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます