第15話 殺人
陣地から出たミキたちは一目散に逃げていた。
しかし真っ直ぐに後方の友軍陣地まで逃げれば先ほど通過していった敵主力とかち合う可能性がある。そのためかなり時間は掛かるが森を大きく迂回するようにして逃亡した。
幸いにして、工兵隊の手によって飛行場周辺の詳細な地図が作成されている。そしてミキたちの頭の中にもしっかり叩き込んであるので森を抜けるのは差ほど困難ではなかった。
それでも視界不良である事に変わりはなく、しかも敵は後ろからバンバン撃ちながら追い掛けてくるので気が気でない。
機関銃や手榴弾で応戦出来れば良いのだが、そうすると他の敵にも見つかる恐れがある。そのため反撃は出来ず、ただひたすら逃げるのみであった。
そうこうしている間に銃声の数が増えてくる。
ミキは追手が増えたのかと錯覚した。だが銃弾は飛んでこない。
先ほど通過していった敵が味方の陣地に突入したのである。聞こえてくる銃声はその戦闘音であった。
しかし逃げている最中のミキにそんな事を考えている余裕はない。自分が撃たれているのだと錯覚し、とにかく逃げて、逃げて、逃げる。
だがこの数日続いた雨が祟った。
長い雨で地面はぬかるんでおり、所々に深い水溜まりが出来ていたのである。そしてミキはそこに思いきり突っ込み、足を滑らせて転倒した。
それだけなら未だしも、半ば斜面のようになっていたのだから堪らない。転倒した勢いでそのまま転がり、泥を浴びながら身体は滑っていく。
幸いにして近くに隆起した木の根があったお蔭で直ぐに止まったが全身を強かに打ち、痛みにのたうち回っている間に分隊の皆に置いて行かれてしまった。ミキが転んだことに気付かなかったのだろう。
全身泥まみれでミキは装具まで真っ茶色になってしまったが、転んだ拍子に投げ出したのが幸いして小銃だけは何とか無事だった。
即座に拾い上げた小銃に銃剣を取り付け、ミキは周囲を見渡す。
追手は分隊の方に向かったのか、周囲に敵は見当たらず、銃弾も飛んでこない。
運が良かったのか、それとも悪かったのか。滑って転んだお蔭でミキだけ追手を撒く事が出来たらしい。
さりとて油断は禁物だ。戦闘の音は続いている。
本来であれば銃声が鳴り止むまで何処かに隠れていたいが、残念な事にミキは兵隊だ。怖いからという理由で戦闘を放棄する事は許されない。
おっかなびっくり小銃を構え、音を立てないように恐る恐る森の中を進む。
すっ転んだせいで自分の位置を完全に見失ってしまった。おかげで折角脳みそに叩き込んだ地形図もサッパリ役に立たない。
ふと。
背後から視線を感じた。
小銃を構えながら、恐る恐る振り返る。
目が合った。
そこに立っていたのは金色の髪の上に皿のような
青い軍服を着て、腰には長剣。顔のよく整った女性であり、奇妙な事に耳が異様に長く尖っていた。
間違いなく公国軍の将校である。
金髪の将校もこちらに気付くと即座に
ほとんど同時にミキも小銃を撃ったが、驚きのあまり照準をほとんど付けていなかったせいだろう。弾は明後日の方角に飛んで行った。そのうえ無茶な姿勢で撃ったので転倒、尻もちを着く。
ミキは尻もちをついたまま慌てて次弾を装填しようと
敵将校も拳銃が弾切れだと判断するや否や、そのまま放り棄てて細身の長剣を抜く。
大慌てでミキは何度も
蛮声を上げながら敵将校はミキに突っ込み、掲げるかのように長剣を振り上げた。
怖い。
ただそれだけの理由で、無意識のうちにミキは小銃を前に突き出していた。
小銃に取り着けた銃剣が敵将校の腹部に突き刺さり、その勢いで彼女の手から抜け出した長剣が宙を舞う。
二、三回ほど宙で回転した長剣が落ちて地面に突き刺さると、それで思い出したかのように敵将校は膝を着き、口から血を吹き出した。
碧色の瞳がしっかりとミキの顔を捉えている。
だがそのまま動かなくなると、敵将校は覆い被さるようにしてミキの上に倒れた。
「ヒィッ……ヒィィ」
奇声のような悲鳴を上げ、ミキは転がるように敵将校から逃げる。
しかしよく見れば、敵将校は既に絶命していた。銃剣が突き刺さったのは即死するような部位ではなかったと思うが、とにかくピクリとも動かなくなった事に間違いはない。
思わずホッと安堵の溜息を吐く。
だが安心をするには早過ぎた。
「少尉殿ッ!」
繁みから勢いよく青い軍服の兵士が現れる。
そして斃れている敵将校とミキの姿を見るや、憤怒の表情で「貴様ァ!」と手にする小銃を構えた。
だが敵兵が引き金を引くよりも先に、対面の草陰から放たれた銃弾が彼の頭の中に飛び込んだ。
「ベニキリ、立つッスよッ!」
草陰から現れたのはアカツキだった。手に持つ小銃の銃口からは硝煙が昇っている。
アカツキが尻もち着いているミキに手を伸ばそうとした瞬間、再び敵兵が現れてアカツキに銃剣を突き立てた。
だが切っ先が突き刺さる直前にアカツキは身体を逸らすと、振り返り様に銃床で敵兵の顔面を殴打する。
転倒する敵兵。アカツキは容赦なく止めを刺そうとしたが、草むらから突如として三人目の敵兵が跳び出してアカツキを押し倒した。
慌ててミキが立ち上がろうとすると、そこを目掛けて今度は四人目の兵士が蛮声と共に銃剣を突き出しながら突っ込んでくる。
銃剣では間に合わない。
ミキは覚悟を決め、突っ込んでくる敵兵の腹に思いきり頭突きをかました。
通常であれば単なる衝撃で終わっただろう。
しかしミキは
刺さるという程でもなかったが敵兵はミキの角で突かれて「ゲボッ」と珍妙な声と共に嘔吐した。
角で突いたまま、勢いに乗ってミキは敵兵を木に叩きつける。
これで戦闘力を奪えたのか、敵兵は地面に崩れ落ちた。
しかし戦闘は終わらない。
「クソがァ!」
鼻から血を流しながら、アカツキに殴打されて転倒していた敵兵が小銃に手を伸ばす。
だが彼の手が小銃に届く事はなかった。
その前に駆け付けたアサキの銃剣が深々と横腹に刺さっていたからだ。
アサキが敵兵を蹴り飛ばして銃剣を抜き、今度はアカツキに覆い被さっている敵兵の背中に突き立てる。
斃れた敵兵を押し退け、アカツキは立ち上がると自分とミキの小銃を取った。
「ま……待て」
ミキの角で腹部をやられていた敵兵は手を前に出して制止したが、アサキは構わずに銃剣で突き殺した。
「よし、行くぞ」
アサキに言われ、ミキとアカツキは頷く。
だが走り出す前に、ミキは絶命している将校の近くに革の鞄が落ちているのを見付けた。
書類や地図を入れておく
腰に下げる型なのだが戦いの際に外れていたらしい。
無意識のままにミキはその図嚢をひっ掴み、アサキとアカツキに続いて森の中を走っていく。
そして気が付いた。
これまでもミキは戦闘自体はしている。しかし明確に、自分の手で人を殺したのはこれが初めてだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます