第14話 敵上陸第二派

 春であるが雨の夜、それも塹壕の中は寒かった。

 兵隊たちは雨続きで生乾きの毛布に包まり、お互いに抱き合うように眠っている。いちおう壕には屋根が付いているので雨が入って来る事はなかったが、それでも内部は不快な湿気で満ち溢れていた。

 睡眠をするには最悪な環境である。しかし壕の中にいる誰もがぐっすりと深い眠りに入っていた。

 日頃の疲れが溜まっているせいだ。そのうえ今夜は珍しく嫌がらせの夜間空襲もない。

 終わりの見えなかった陣地構築から解放され、みんな泥のように眠っていた。

 無論、敵の第二派が上陸した事は伝えられているし、解放されたのも敵の攻撃に備えるためだ。

 しかし今はそれすら気にならずに眠れるほど疲れ切っていた。

「ミキ、交代ッス」

「うむむ……」

 ぐっすり寝ていたところを起こされ、ミキは唸るような声を上げながら目を擦った。

「もうそんな時間……?」

「そんな時間ッスょ…………」

 毛布に潜るとあっという間にアカツキは寝てしまった。

 本来なら歩哨の交代には然るべき引継ぎを行う規定があるのだが、そんな事すら守られていない。それだけみんな疲れているのだ。

 ミキは小銃を持ち、鉄帽ヘルメットを被って歩哨に立つ。

 陣地構築から解放されて三日目。第五中隊は川岸の陣地から、飛行場の東にある陣地に交代を命ぜられていた。自分たちで造った陣地を出て、他の連中が造った陣地に移ったわけだ。

 そして陣地からやや離れた場所に幾つかの小哨を作り、分隊で交代しながら警戒に当たっている。

 つまりミキたちは実質的に敵前に突出しているような状態なのであるが、敵襲が予想されている地点は北の陣地であるから皆気楽なものだった。

 もっとも歩哨に立つ時ばかりは緊張の連続だ。

 何しろウッカリ敵を見逃せば小哨どころか部隊、否、友軍全体を危険に曝す事になる。そして何より自分の死にも繋がるため、眠いからといって気を抜く事はできなかった。

 元より臆病な性格のミキであるから、ちょっと物音がしただけで跳び上がりそうになる。そのため歩哨中は常にビクビクしており、一時間が経過して次の歩哨と交代になる頃にはすっかり心身共に疲れ切ってしまっていた。

 交代し、生乾きの毛布に潜ると次の瞬間には既に眠りについている。それほどミキは、否、兵士たちには睡眠が足りていなかった。

 しかし無情にも朝は直ぐにやって来る。

 まだ寝足りないと思いつつ、ミキたちは起床して毛布を片付けた。

 疲れは取れないが、とにかく今日の夕方まで警戒任務に就けば後方陣地にいる分隊と交代が出来る。陣地にはある程度の生活環境は整えてあるから身体を休める事くらいは可能だ。少なくともこんな穴蔵とは比べ物にならない。

 早く交替の時間にならないか。

 みんなそればかりを考えていた。

「おい、隠れろ!」

 唐突に監視所代わりの木の上に立っていたアサキに言われ、ミキたちは大慌てて壕の中に入った。アサキも木から飛び降りると急いで壕の中に転がり込む。

 この壕は入念に擬装されており、入った後に「蓋」を載せれば外部からは一切見えなくなるように造られていた。

「なにがあったんスか?」

「シッ!」

 なんだか解らないまま、みんな黙りこくって事の成り行きを見守る。

 ソッと擬装の隙間からミキが外を覗いて見ると、何やら草がガサゴソと動いているのが見えた。明らかに生物が動いているような感じだ。

 そのまま監視を続けていると、目の前に擬装網を被った兵士たちが現れた。

 それも一人や二人ではない。十人、否、もっと多い。

「五十か六十は軽くいるな」

 軍曹が備え付けられた監視窓を覗きながら呟く。

 こっちは十名弱。見付かれば勝負にもならない。

 軍曹は有線電話のハンドルを回して中隊指揮所を呼び出し、小声で現状を報告した。

 それから分隊の全員に小声で命令を伝える。

「監視を続行する。全員気付かれないようにしろ」

 それからしばらくの間、ミキたちは目の前を通過していく敵の群を監視する。

 思えば「生きた敵の群」をこれだけ間近で見たのは初めてであった。

 青い軍服に皿のような形状の鉄帽ヘルメット。腰に巻いた帯革ベルトには銃剣や弾薬盒ポーチが付いており、肩掛け式の雑嚢カバンや水筒をぶら下げている。

 特徴的な物などない。典型的な装備をしたマーガレット公国軍の兵隊である。しかし服装には戦闘をしたような形跡はなかった。

 おそらくは上陸第二派の連中だろう。

 身長がエラい小さく見えるのは小人族ホビットであるからかもしれない。

 十分ほど息を殺して身を隠していると、敵部隊はミキたちに気付かずに前を通過していった。

 ホッと安堵の溜息が漏れる。

 しかし安心するのは未だ早かった。なんと新しい部隊が現れ、再びミキたちの目の前を通過し始めたのだ。

 先ほどより数は少ない。合わせればちょうど一個中隊ほどの規模だろう。

 軍曹は隠れながらも逐一報告をしていたが、唐突に「あ?」と素っ頓狂な声を出した。

「どうしました?」

「切れた」

 有線電話が唐突に切れたという事は電話先に何かがあったか、あるいは電話線自体が切れたかのどちらかである。

「なんか嫌な予感がする」

 軍曹は何度か中隊指揮所の呼び出しを行ったが、相変わらず連絡は着かない。

「…………戻って来た」

 キクリがそう呟いた瞬間。

 凄まじい数の銃声が響き、壕の近くに銃弾が襲い掛かった。

「うわぁ!」

 全員壕の中に縮こまる。

 しかし銃弾は壕の中には飛び込んでこない。どうやら当てずっぽうで撃って来たらしい。

 だが壕の近くを撃って来たという事は、大よそとはいえこちらの位置を把握しているという事だ。

 おそらく何処かで電話線が見付かったのだろう。

 その場で即座に切断し、線を辿って監視しているミキたちの所まで戻って来たのだ。

「射撃の規模からするとオレたちと同数か、少し多いくらいか」

「やりますか」

「他の連中にも戻って来られれば終わりだ。一斉射の後に引き揚げるぞ。軽機は狙え! あとの者は手榴弾!」

 軽機関銃の銃手が照準を合わせ、他の分隊員は手榴弾を取り出す。

 幸いにして敵はまだこちらの正確な位置を掴んでいない。当て推量で撃っているだけだ。

「目標前方の森、撃てッ!」

 機関銃が景気の良い連続した発砲音を鳴らし、一瞬だけ出来た隙を突いて全員が壕の合間から手榴弾をぶん投げる。

 爆音。

「よし、下がれ!」

 号令一下、全員壕から逃げ出す。

 いざという時のために壕は四方八方に出入口を作っている。そのため敵がいると思われる位置の反対側から順次跳び出した。

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