第13話 マイハマ中尉
また今日も雨が降っていた。聞くところによるとドウメキ島の雨期に入ったらしい。最近はずっと雨である。
そしてそんな雨の日にも関わらず陣地構築は行われていた。
戦争というのは陣地構築の合間に行うもの。この短い間にミキはそう学んでいた。
「ちょっと! 泥が付いたわよ!」
「うるせぇな! そこにいるのが悪いんだろ!」
陣地構築の合間には時折り何処かで喧嘩が起こる。
無理もない。
空腹と疲労、いつ終わるのか解らない陣地構築に敵襲の可能性、さらに最近では航空機による嫌がらせ爆撃が追加されたせいで寝不足という状態が続いているのだ。そのせいでみんな苛立っており、些細な事で直ぐに喧嘩が起こるというような有様だった。
また輸送が途絶えた事によって生理用品なども不足し、容易に洗濯も出来ないので常時不快感を味わっている女性兵もいる。
生理痛があっても簡単には休めず、女性兵たちは男性兵以上に精神的、肉体的に疲れ切っていた。
無論、不機嫌なのはミキも同じである。
他の兵士たち同様に疲労と寝不足、特に空腹で常に苛立っており、流石に怒鳴るような事は無くてもちょっとした事で睨みつけるようになってしまっていた。
短気になっているという自覚はある。だが治そうと思える生活環境ではないのだ。
もういっそ敵襲でもあってくれないか。
そんな事すら思ってしまう。
それでも今日は少しばかり気も晴れていた。
中隊本部のある指揮所に呼び出され、一時的とはいえ陣地構築から逃れる事が出来たからである。
指揮所というと大仰だが実態は半埋蔵式の小屋であり、飛行場にあった豚の飼育小屋が立派に思えるような代物だ。それでも常時湿気で水の垂れているミキたちの塹壕に比べれば宮殿のようであった。
「ベニキリ参りました」
「入れ」
指揮所に入る。
小屋の中にいるのは中隊本部指揮班の将校や各係の下士官、大隊との連絡を取るための有線電話の交換手や事務の下士官兵であり、塹壕暮らしのミキからすると「文明的」な環境であった。
ミキが来たのに気付くと指揮班勤務の曹長がギロリと睨んだが、直ぐに興味を失くしたのか武器係下士官との会話を再開する。
「中隊指揮官殿はいま電話中だ。少し待て」
中隊付き将校に言われ、ミキは本部の隅に移動した。
指揮班の全員が喫煙しているので指揮所内はとにかく煙く、天井を見ると雲のように紫煙が漂っている。煙草と「色が付いた水」状態のお茶が彼らの燃料であるようだった。
「陣地構築を急がせてはいますが資材が足りません。兵員の疲労も極限に達しています」
電話をしているのは妙齢の女性将校だ。
切れ長の目をした美人であり、この悪環境でも隙なく着用した軍服から彼女の性格が窺える。
彼女が戦死した中隊長に代わって第五中隊を預かっている代理の指揮官マイハマ中尉その人だ。
「状況は解っていますが、しかし……もしもし?」
もしもし、と何回か繰り返してからマイハマは眉間に深い皺を寄せた。
「この虚け!」
怒鳴りながらマイハマは受話器を叩きつける。
その姿を見てミキは驚いた。
ミキは以前よりマイハマの事を知っており、彼女が口喧しい性格なのも知っている。だが露骨に怒鳴っている姿を見るのは初めてだった。
どうやら苛立っているのは兵隊だけでなく、将校も同じであるらしい。
「交換手、次に電話連絡があったら雨衣の一つでも持って来いと言ってやれ」
そこまで言って、マイハマはようやくミキの存在に気付いた。
「ベニキリ、来い」
「はぁ」
二人で中隊長室に入る。といっても個別の部屋ではなく、仕切りの布が一枚あるだけだ。
「座れ」
「失礼します」
廃材で作られた椅子にミキが座ると「ギィッ」と今にも壊れそうな悲鳴が上がった。
「率直に訊く。兵たちの状況はどうだ」
この質問はミキもある程度は予想していた。
まだ内地で訓練をしていた頃、ミキは将校集会所で勤務していた事がある。マイハマとはその時に知り合ったのであるが、彼女は時折り兵士たちの生活環境などを訊いて来る事があった。
基本的に軍隊では将校と下士官兵の生活環境が隔絶している。
そのため将校が兵隊の状況を知るには兵隊の「まとめ役」である下士官を経由するしかないのであるが、その下士官たちも全てを語ってくれるわけではない。時には都合の悪い事を隠す事もある。
マイハマが下士官を飛ばしてミキに兵隊の様子を訊ねるのはそういうわけだ。
もっともそういった下士官を介さない直接的な行為は基本的に嫌がられるので頻繁という程ではなかった。
「率直に申し上げますと最悪です」
隠す事もないのでミキは臆面なく言った。
「睡眠も、食事も、休憩も何もかも足りてません。みんな疲れ切って苛々しています」
ミキの説明にマイハマは頷いて続きを促す。
「終わりの見えない陣地構築に、いつ来るかも解らない補給。敵襲の可能性もあって寝る時ですら枕元に小銃を置いているのが現状です」
どうせ改善なんかされない事は解っているが、とりあえず好きなだけ愚痴って良い機会なのでミキはとにかく不満を並べ立てた。
将校に不満を並び立てるなんて滅多に出来る事ではない。これでもかと愚痴りまくる。
「まだあるだろう?」
「は?」
「私の評判だ。悪いだろう」
ミキは直ぐに答える事が出来なかった。
実際、マイハマの評判は悪い。ただしこれは彼女自身が悪いのではなく、兵隊の間で根強く残っている男尊女卑ともいえる悪癖だ。
つまり「女の指揮官は信用出来ない」という風潮であり、実際のマイハマの能力に関係なく、彼女の指揮官としての評価は低かった。
ぶっちゃけて言ってしまうと同性であるアサキなどからの評判も悪い。現状では男女問わずに女性指揮官は信頼されていないのだ。
言い淀むミキの態度で察したのだろう。マイハマは「解った」とだけ言って頷いた。
「退室して良し」
「ベニキリ、帰ります」
出ていこうとしたら「待て」と止められた。
てっきり不平不満を並べ過ぎたせいで怒られるのかと思ったが、壁に下げてある
言われるがままに覗いてみると缶のドロップスが入っていた。
「それだけしかないが持ってけ。他の奴らにも分けてやれ」
「ありがとうございます!」
自分でもこんなデカい声が出るのか、と呆れるほどミキは大きな声で礼を言う。
突然の大声にマイハマが呆れたように苦笑し、ミキは中隊長室を後にした。
「ベニキリ、声がでけーゾ」
流石に外にまで聞こえていたらしい。指揮班の下士官たちも苦笑しながらミキを揶揄する。
恥ずかしくて早く指揮所から出ようとした時、電話交換手が「中尉殿!」とマイハマを呼び立てた。
「大隊本部より電話連絡です」
中隊長室の前にいたミキを押し退けるようにして、マイハマが交換手から受話器を受け取る。
「マイハマ中尉代わりました」
何度か「はい」を繰り返した後に、マイハマは神妙な面持ちで受話器をゆっくり置く。
「指揮班長、陣地構築を中断して全員戦闘配置に就かせろ」
言いながらマイハマは指揮班全員の顔を見渡す。
「敵の第二派が上陸した」
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