第4話 樹海の莫迦行軍

 固い軍用毛布の中でミキは目を覚ました。

 毛布の中から少し顔を覗かせると、外は薄暗く未だ日は昇っていないようである。

 起床時間まで少しの余裕があったので二度寝と決め込もうとしたが、どうにも目が冴えてしまって眠れない。今まで起床時間前に目が覚めるという事自体なかったのだが、やはり敵地にいるという緊張があるようだ。

 ドウメキ島上陸の第一日目、どうやらミキたち上陸第一波はツイているようであった。

 上陸は全くの無傷で行われ、やはり無傷で敵の監視哨を確保している。そして終日、その場の維持を命ぜられたミキたちはゆっくりと身体を休める事が出来た。

 話しによると第二派の部隊は上陸後、日が暮れてからも物資の荷揚げなどに奔走し、夜は潮風に晒されながら浜辺で寝たそうだ。それに対してミキたちは半埋蔵式の居住区に宿泊している。寝台なんて贅沢な物はなかったが、それでも外や地べたで寝るよりも快適に眠る事が出来た。これだけで天と地の差である。

 さらにミキにとって幸運だったのは、恐らく敵の物だと思われるスプーンを手に入れる事が出来た事だ。野戦での飲食は主に飯盒を使うのであるが、箸だとどうしても底の物を取る事が難しい。しかし匙だと取り易いので手に入れる事が出来たのは本当にありがたかった。

「眠れなかったの?」

 いつの間に起きていたのか、隣の毛布からキクリが訊ねてきた。

「いや、起きちゃっただけ」

「そう」

 言ってからキクリは向かいで寝ているアカツキを見た。他の者も眠れずに毛布の中でモゾモゾしている中、阿保ヅラ晒して眠っているのは彼女だけである。

「剛胆なのか、それとも無神経なのか……」

「どっちもだと思う」

 ミキはクスリと笑ったが、キクリは何も言わなかった。いや、笑ったのかもしれないが顔が見えないのでどういう反応をしたのか解らなかったと言った方が正しいかもしれない。

 寝ているのか起きているのか解らないような時間を過ごした後、日が昇ると炊事班が炊いた米と粉末味噌の味噌汁で朝食を摂った。具もロクに入っていない、大して美味しくもない味噌汁だがとにかく腹に納め、一日分の弁当を受け取って出発の準備をする。

 目標は公国の設営隊が造ったという飛行場だ。

 ドウメキ島の飛行場はマーガレット公国の物であるが、同時に宗主国であるエルフィンシア王国の所有物でもある。従って島には公国の警備隊だけでなく王国軍関連の部隊もいるであろうというのがミキたちに伝えられた事前情報だった。

「公国や王国の将校はエルフが多いって聞くけれど」

 背嚢を背負いながらミキは言う。

「エルフってどんなの?」

「耳が長いって話しッスよ」

「いや、それは知っているけれどさ」

 一応はミキたち下っ端兵隊も座学で公国、王国軍の装備編成や人種などの基礎知識は学んでいる。そのため王国および各属国の支配階級であるエルフが長い耳を持っているという事は知っていたが、実際に見た事がある者は少なくともミキの周りにはいなかった。

「嫌でも知る事になるさ」

 そう言うのはミキたちの同年兵のゼンザイ・アサキである。アカツキ同様に少年のような顔つきの女性兵だが、アカツキと違って手足が長く目付きも悪い。

「何しろこれから戦争だ。敵なんか嫌でも見る」

 言いながらアサキは鉄帽ヘルメットの顎紐を結ぶ。

「もっとも一般兵は凡人族ヒュマ犬耳族コボルト小人族ホビットばっかりらしいけれどな」

「詳しいのね」

 感心しながらキクリも顎紐を結ぶ。

「詳しいついでに訊きたいのだけれど、なんで私たち第五中隊が先鋒なのかな。旅団には捜索大隊もあるし、中隊だって九個ある。それなのに真ん中の第五が一番前っておかしくない? 私たちが女だから?」

「そんなのオレが知るかよ」

 ぶっきらぼうに言ってアサキは小銃を担ぐ。

「なんか事情があるンだろ。ほらさっさとしねェと置いて行かれるゾ」

 納得は行かないが置いて行かれるわけにもいかない。ミキも小銃を担いで並んでいる兵隊の列に加わった。

「第二小隊を先鋒にして飛行場まで進む。射撃は命令があるまでするな」

 中隊長の短い訓示の後、第二小隊長が弾込めと着け剣を命令。全員で弾を装填し、銃剣を取り付ける。

「第二小隊前へ」

 かくして第五中隊隷下の第二小隊は横隊を作って森の中を前進する。

「また貧乏くじだ」

 思わずミキは嘆いた。

 ここで簡単であるがミキたちの部隊の解説をする。

 ドウメキ島に上陸したのは独立混成第四四旅団(通称、たま兵団)だ。これは歩兵第四六三連隊を中核に編成されており兵数はおよそ八千名。中核となる歩兵連隊には約三千の歩兵がおり、この他に砲兵隊や捜索隊といった戦闘兵科だけでなく、工兵隊や輜重隊といった補助部隊が付属している。旅団の前に「混成」の文字がつくのは、こういった様々な兵科で編成されているからだ。

 そして歩兵連隊は三個の歩兵大隊と補助部隊で編成されており、一個大隊の下には二百名前後の歩兵中隊が三つに重機関銃や歩兵砲などの重火器を扱う部隊が付属している。つまり一個連隊には歩兵中隊が九個と三個の重火器中隊があり、ミキは第五中隊の所属だ。

 中隊には指揮班と三つの小隊がある。その下には四つの分隊だ。

 従ってミキの所属を正確に書くと独立混成第四四旅団(霊兵団)、歩兵第四六三連隊、第二大隊、第五中隊、第二小隊、第二分隊となる。エラい長ったらしいが、軍隊はお役所の一つなのでこういった数字が羅列するのが通例だ。

 そして第二小隊が先鋒となった場合、第一分隊は小隊長がいる分隊なので必然的に第二分隊が先頭を行く事になる。

 木々の密集した森の中は上陸してきた時と同様に暗くて視界が悪かった。それどころか朝靄まで出ており、文字通り一寸先も見えない。隣を歩いている筈のアカツキやキクリの姿もボンヤリと陰が浮かんで見えるのみであり、先頭を歩いているアサキに至っては影も形も見えなかった。

 さりとて直ぐ近くに敵がいる可能性があるので容易に声を掛け合う事も出来ない。出来るだけ音を出さないように、姿勢を低くして一歩一歩進んでいく。

 誰も彼も無言で、足音さえ気を付けているので森の中は至極静かである。時折り例の気色の悪い鳥の鳴き声は聞こえてくるが、それが耳に届く外部の音の全てであった。

 いちおう飛行場までは約十キロと伝えられており、起伏は激しいが一日で走破出来ない距離では断じてない。しかしこれだけ視界不良な状態では到着どころか半分行けるかどうかすら怪しかった。

 銃剣を付けた小銃を槍のように構え、ゆっくりと一歩一歩確実に進んでいく。

 隆起した木の根や顔の前を遮る小枝などが煩わしい。

 ふと。

 ぼんやりと何かが見えた気がした。

 立ち止まり、小銃を構えて凝視する。無論、濃霧のせいで何も見えない。しかし一度気になると、もう「何か」がいるような気がしてならなかった。

 ミキはジッと凝視し、濃霧の中にあるものを見出そうとする。

 瞬間。

 肩を叩かれてミキは銃剣を突き出しそうになった。

「交代だ」

 肩を叩いたのは後続の第三分隊の兵隊であった。流石に同じ分隊をずっと先頭にしておくと疲弊するので、時折り交代する事になっていたのだ。

「今あそこに何かが」

 ミキが小銃で差すと、交代にきた兵隊も同じ方向に小銃を構える。

「何かって、なんだ」

「解らない」

 言いながら二人で一歩一歩、にじり寄るように「何か」が見えた場所に向かっていく。

 相変わらず濃霧で視界が悪く、ほとんど何も見えない。

 それでも数分ほど警戒しながら進んで、二人はホッと安堵の溜息を吐きながら小銃を下げた。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花、だな」

 それは言葉通り、古くて細い木だった。ちょうど人の頭と同じくらいの丈で左右に枝が伸びていたから見間違えたのだ。

 途端に恥ずかしくなり、ミキは先鋒を任せて後ろに下がった。あれだけ恐かったのに、正体が解ってしまうと莫迦らしくて仕方がない。

 莫迦らしい、といえばこの後である。

 ほとんど丸一日掛けてミキたちは何とか飛行場に着いたが、そこに敵の姿はなく、それどころか鬼国の国旗である「飛龍旗」が翻っていた。

 なんて事はない。ミキたちが上陸した少し後に別動隊が附近の浜から上陸して飛行場を一気に占領したのだ。いわばミキたち上陸第一波は陽動のようなものであり、濃霧の中を緊張しながら急いできただけ損だったのである。

 まったくもって莫迦々々しい話しであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る