第5話 狙撃兵
飛行場に到着した第五中隊の兵士たちはみんな不満だった。
「ふざけやがって」
アサキが悪態を吐く。彼女だけでなく第五中隊の面々のほとんどが同じ心境だっただろう。何しろ死ぬほど神経を使った一日が端から全くの無意味だったのだ。
さりとてその鬱憤をぶつけるような相手もいない。ブツブツ文句を言うくらいが関の山である。
「戦わないで済んだのだから、それで良いじゃない」
キクリはあまり気にしていないらしく、さらりとそう言って退ける。
「それはまぁ、そうかもしれないけど」
実際、もしかしたらミキたちが飛行場にいた敵と戦っていた可能性もあるのだ。そう考えればあながち損ではないのかもしれない。
「第二分隊、集合」
分隊長に呼ばれ、ミキたちは慌てて集まる。
「小隊長より飛行場周辺の安全確保を命ぜられた。よって第二分隊は直ちに命令を実行に移す」
飛行場周辺の安全確保、というと仰々しいが要するに周辺を散策して異常がないか確認して来い、という事らしかった。簡単にいえばパトロールである。
完全武装である必要はないたので行軍に使用した背嚢や余分な装備を残置し、小銃と弾薬だけという身軽になってミキたちは出発した。
「なんか戦った形跡が全然ないッスね」
アカツキがポツリとつぶやく。
実際、日暮れ間際の飛行場には戦闘をした形跡がなかった。
「さっきチラッとこっちに上陸した連中の話しを聞いたんだが、こっちも上陸した時には誰もいなかったらしい」
アサキの言葉が正しければ、敵は何の抵抗もせずに一目散に逃げて行ったという事になる。飛行場の各所に残された大きな穴も、敵の破壊工作ではなく上陸前に行われた鬼軍の艦砲射撃で空いた物なのだそうだ。
「事前情報だと警備隊がいるって話しだったけれど何故逃げたのかしら」
「普通なら抵抗する筈だよね。なんでだろ?」
キクリとミキの疑問にアサキは「オレが知るかよ」と答えた。もっともと言えばもっともである。
「しかし質素な飛行場ッスねー。空き地みたい」
周囲を見渡しながらアカツキがボヤく。確かに彼女の言う通り飛行場と呼ぶには些か殺風景過ぎた。というよりも何もない。管制塔と言っていいのか解らない建物がポツンと一つ。それに小さな掘っ立て小屋。空き地という表現が正しく思える。
「滑走路が出来ただけだったんだろ」
首を鳴らしながらアサキが言う。
日が暮れる前に到着出来たとはいえ、流石に濃霧の森を緊張状態でずっと歩いていたので身体中がカチコチに固まっていた。
「じゃあ未だ飛行場を使うのは無理なんだ」
「さぁな。オレも専門家じゃねーし」
ボンヤリとした会話をしながら第二分隊は歩く。
飛行場の真ん中では上陸第二派に付いてきていた工兵の乗ったブルドーザーが忙しなく走り回っている。
設備だけでなく機材関係までほとんど手つかずで残されていたらしい。お蔭で機材の荷揚げ前から作業が出来ると指揮官たちは喜んだが、当の工兵たちは「休む暇もねぇ」と不満たらたらだったそうだ。
ちなみに工兵というのは建築や工作を担当する軍隊の土建屋のようなものである。
「逃げる時にあれも持って行けば良かったのに」
「あんなんで森の中に逃げ込めるかよ」
「あっ、そうか」
引き続き会話をしながら歩いていく。まるで呑気に散歩でもしているような気分であった。緊張から一気に解放されたせいかもしれない。
「分隊、左右に別れろ」
突然、軍曹が命令を出す。
慌ててミキたちは左右に散開して姿勢を低くした。
半埋蔵式の小屋を発見したのだ。遠目からでは解らなかったが、見たところ倉庫か何かであるらしい。しかも明らかに中で何かが動いているような物音がする。
一瞬にして緊張が奔り、左右に別れた分隊はゆっくりと小屋に進んでいく。
距離を詰めていくと小屋の中の物音がはっきりと耳に届いてきた。不規則な物音は明らかに生物が歩いた際に発するソレである。
「気を付けろ、敵兵かもしれない」
ミキたちの先輩である古兵がそう注意をしてから、そぉッと小屋の扉に手を伸ばした。
瞬間。
不意に何かが飛び出して来て、思わず古兵が「敵だぁ!」と悲鳴のような叫び声を上げて発砲する。銃声が響いたがロクに狙いをつけていなかったのか、弾は小屋の奥の方に飛んで行っただけだった。
ミキたちも慌てて小銃を向ける。直ぐに撃てるように指は引き金に。
しかし小屋の中から出てきたモノを見て思わず笑い声が零れた。
ミキだけではなく、分隊の皆が下らない冗談でも聞いたかのように失笑する。
小屋から出てきたのは豚であった。それも小さな子豚である。
どうやら家畜の飼育小屋の類であったらしい。ぶうぶうと鳴きながら数匹の豚がトコトコ歩いている。
「古兵殿、それが敵でありますか」
極上の冗談を聞いたような様子でアサキが古兵を揶揄する。というのも、この古兵は年功序列を笠に着て散々に威張り散らしていたからだ。こういう時くらいはやり返しておきたいと思ったのだろう。思わずミキも笑ってしまった。
「クソッ!」
顔を真っ赤にして、古兵は豚に小銃を向ける。
「撃ち殺してやる」
乾いた銃声。
しかし血を噴き出したのは豚ではなく、小銃を向けていた筈の古兵だった。銃弾も彼女の銃からは撃ち出されておらず、カタンという虚しい音を立てて地面に落ちる。続けて思い出したかのように銃の持ち主も倒れた。
「狙撃兵ッ!」
咄嗟にアサキが叫び、反射的に全員が小屋の陰に隠れる。
だがミキはどうしたら良いのか解らずに立ち尽くしていた。
目の前で古兵が血を流して倒れている。
助けに駆け寄るべきなのか、それとも無視して伏せるべきなのか。
いま何が起きているのか理解が追い付いていなかった。
「伏せるッスよ!」
アカツキがミキの襟を掴んで物陰に引っ張り込む。
途端に今までミキが立っていた場所に着弾して砂煙が立った。どうやら狙われていたらしい。アカツキが引っ張り込んでくれなければ古兵と同じ運命を辿っていた事だろう。
しかしミキはアカツキに礼を言う事が出来なかった。
とてもでないが、それどころではなかったのである。
「何処から撃って来やがった」
アサキが悪態を吐く。
困惑するミキを置いて状況はどんどん進んでいく。どうやら戦場に「待った」は存在しないらしい。
「私ならあそこから」
少し動揺しつつ、しかし冷静な声でキクリが軍曹に教える。ミキの位置からは見えないが何か建築物の類があるらしかった。
「クソッ。迂闊だった」
悪態を吐きながら軍曹は双眼鏡で確認し、やがて狙撃手を見付けたのかアカツキを呼んだ。
「三時方向(右斜め前)の小屋の残骸。二階に狙撃兵」
「三時方向、小屋の残骸の二階に狙撃兵」
復唱し、アカツキはゆっくりと指示された場所を確認する。
「確認したか」
「したっス」
「よし、全員、頭を上げるなよ」
アカツキが匍匐前進で射撃位置に着く間、他の兵隊はみんな物陰や地面にへばりついていた。周囲の状況が気になってはいたが、下手に動けば御陀仏になるのは明白である。
そんな状況下でミキだけは目の前に転がる古兵から目を離せずにいた。
既に死んでいるのか古兵はピクリとも動かない。ただ血だまりがジンワリと広がっていっている。
本来ならば真っ先に生死を確認し、必要ならば手当てをしなければならない状況の筈なのに、今は誰も彼もが彼女の事を忘れているかのようだった。
「古兵殿」
倒れている古兵にミキは声を掛ける。返答はなく、ピクリとも動かない。やはり死んでしまったのだろうか。
こんなに呆気なく?
今しがた喋っていたのに?
全く現実味がなく、ミキはただ倒れている古兵をずっと見つめていた。
銃声。
いきなり現実に引き戻され、思わず身を縮める。
少しの間が空いてから「仕留めたッス」というアカツキの声がして、全員がホッと安堵の溜息を吐いた。
即座にミキは古兵に駆け寄って息を確認する。だが彼女は既に絶命していた。
即死だったのか、それとも何か一瞬でも考える暇があったのか。目を大きく見開いて驚いたかのような死に顔である。少なくとも自分の死を理解していたような顔ではなかった。
「ベニキリとマイカゼ、あの小屋を確認して来い」
軍曹が先ほどの小屋を指差す。飛行場に立っている掘っ立て小屋では唯一の二階建てだった。
「はい。行くわよ」
「え?」
何を言われたのか理解が追い付かず、思わずミキが訊き返すをキクリは大きくミキの肩を揺さぶった。
「しっかりしなさい」
それでようやくミキは我に還った。今は戦争中だ。我を失っている場合ではない。
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